飛空上で蜃気楼・2
出口付近まで地下を行くつもりであったのだが、やはり【カゲロウ】の聴覚機能は鋭い。ラクダの耳は背後に複数の足音を聞き取った。それに、やはりこの飛空城全体が【呼水】に乗っ取られているようだ。
振り返ると飛び道具のような武器がちらりと見えたので手に持っていたキューブを投げつける。暗器は先頭を走る【カゲロウ】たちの足元の床に直撃すると途端に爆散する。
「……何投げたの?」
「暗器だよ。」
道中で追いかけてきた【カゲロウ】に投げられたもののうち、不発だったものをいくつか拾ってきておいて正解だった。構造といい素材といい、少し簡易だなと思ったけれど彼が自分で作ったものらしい。
煙の中から飛んでくる銃弾をひょいひょいと避けて、ラクダは目の前で閉まろうとしているシャッターの下を潜った。
「ねえっ、どうするつもりなの?」
麻来は黙って逃げ続けるラクダに痺れを切らして口を出した。後ろからシャッターが撃ち砕かれる音がして、相変わらず追手が走ってくる。
麻来の目から見ても【カゲロウ】たちよりラクダの方が足が速いし、このまま逃げ延びればあの籠型船を盗んで飛んで行けそうな気さえした。
「いや、それは危険だよ。相手は廃空港とはいえこんな大きな建物もハックして操るような技術を持ってる。そんな船に乗ってしまえば、捕まったも同然だよ」
しかし提案してみたところあっさり棄却される。
「……じゃあ元々乗ろうとしてた飛行機は? あるんでしょ?」
「それももう彼らに乗っ取られた後だろうな。」
これも駄目らしい。空振った麻来はいささかむくれる。
「なんなのもう。どうするっての? 飛空城ごと壊すとか?」
「うーん、」
「うーんって、ひっ!?」間延びした声を出しつつ【カゲロウ】たちの攻撃を避けて減速知らず。この男は脚だけは賞賛出来るなと思った麻来はなんだか気に入らなくて露骨に舌打ちした。
「緊張感のない男」
「それは麻来だろ。こっちは考えてるんだよ」
遠回しに邪魔だと言ってることを麻来はすぐに察知した。だがそんな言い方で引き下がるような性分でもない。懲りずにまた思いついたことをそのまま提案していく。
「なら、あいつらの中から一人捕まえたらどう? 人質にするとか、脅して逃がしてもらうとか」
「無理だな。彼らは消耗品扱いだからお互いの命を惜しまない。【カゲロウ】を一匹捕まえても交渉材料にはならないよ」
「全部駄目じゃない!」
「だからそう言ってるでしょ。【カゲロウ】は主人の命令にただ従うように作られているから脅したって何も喋らないし、仲間意識もないから盾にもならない。」
なんの役にも立たないじゃない、と麻来は溜め息を吐いた。
「…………兎に角逃げ切るには外へ出てもあの人数を撒けはしない。身動きを封じるか、ここに閉じ込めるか」
なんとか大勢の【カゲロウ】から身を隠して逃げ込んだ先は暗い倉庫だった。天井の角には壊れた監視カメラが剥き出しのコードにぶら下がっている。この建物にいる限り監視は続くため、あまりコンピュータと繋がった部屋には入れない。
そういう理由でこんな目立たない空港の一隅に逃げ込んだのだが、運悪く今回はそれが仇となった。
【カゲロウ】が一体、放り出された人形のように転がっていたのである。
「うわ! 何これ」
ラクダは背負子を半ば放り捨てるように床に置き、横たわっている【カゲロウ】の脇に膝をついた。
血は出ていない。ただぷつりと途切れたように倒れている。状況が分からないが、麻来を保護してからここに来るまで一人として【カゲロウ】に致命傷を負わせた覚えは無いし、ただの怪我というわけでは無さそうだ。
「……ねえ。なにしてんの。はやく逃げなきゃ」
麻来はラクダを見下ろしてぽつぽつと言う。
「塔ごと壊しちゃうとか? 飛行機だって使われたくないんでしょ」
敵の怪我を処置しているラクダの後ろに突っ立ったまま先程までの提案の続きを喋り出す。彼女はいつもの様子とは違って、極端に冷めている。
「それは……ちょっと現実的じゃないぞ。この大規模な建造物を崩せるだけの爆薬なんてないし、あったとしても仕掛けた俺たちが逃げられない。瓦礫の下敷きになってしまう。……ああ、飛行機だけ破壊していくことは有効かもしれないけど……」
ラクダは先程と同じ調子で反論しながら応急処置を続ける。これはあの【カゲロウ】だ、人間とは違って余計な回路が入り組んでいるので治療だけでは足りないだろう。【カゲロウ】の構造を正確に把握している訳ではないが、元々は人間からつくられた物だ。器官は似通っているはずである。……方法はある。なるべく使うのは避けたかったが。
「仕方ない……」
「なにしてんの。もしかして助けるの? そいつ、敵じゃなかったの」
麻来は声を荒らげることもなく素朴に話しかけてくる。
「……麻来、すまない。あなたには危害を加えさせないと約束するから」
「ふうん」
麻来はラクダの後ろを意味もなくうろうろ歩いているようだ。非難しているのかしていないのか、どちらとも取れなくてかえって不気味だ。
「どうでもいい」
「……麻来?」
彼女の呟きに続きはなかった。
けれど気を取られている場合ではない。ラクダは振り返ることなく、処置を始めた。
麻来は首を傾げて、胸骨圧迫をしているラクダの隣にしゃがみ込む。さっきから頭がぼんやりする。この倉庫に入ってからだろうか。眠いような、それにしては妙に気持ちが冷めていくような。
倉庫を開けた先に倒れていたこの【カゲロウ】に麻来はあまり関心が持てなくて、はじめは傍らに駆け寄ったラクダが何をしようとしていたのかよく分からなかった。体勢を変えたり手首の脈を測ったりしているので、見ているうちに彼がこの【カゲロウ】を助けようとしているのは何となく伝わってきたが、どうしてそんなことをしているのか理解が出来ないし、考えようとも思えなかった。
ラクダは【カゲロウ】の胸に耳を当てて、何かの音を聞いているようだ。
耳を澄ましていない麻来には何の音も聞こえない。追手の【カゲロウ】たちの走り回る音も聞こえてこない。周囲は気持ち悪いくらいに静かだった。
逃げなければいけないのに麻来はいつまでも呑気にその顔を覗き込む。何から逃げているのかも忘れそうになる程、時間が経ったような気がして。
わたしは何のためにこんなところにいるんだっけ。
誰かにもう一度会いたかった気がしたのに……ついさっきまでその人のことばかり考えていたのに、今は思い出せない。
まあきっと、全部大したことじゃないのだ。
どうでもいい。
この子が死のうが、追手に捕まろうが、何だろうが。
目を閉じて暗闇に包まれると浮遊感に襲われる。
————……大丈夫ですよ。助かりますから。
その瞬間、耳元に聞こえてきたのは、聞いたこともない女の人の声だった。
「………ごほ、」
突然、溺れていたかのようにむせ返って、仰向けにされた【カゲロウ】の胸が再び上下した。
呼吸が安定していくのを確認して、ラクダはようやくほっと息を吐く。
「ぶは……っ」
麻来は息継ぎに失敗したような声をあげた。【カゲロウ】に集中していたラクダが驚いて顔を上げる。
「ど、どうかした?」
どうも意識が飛びかけていたようで、麻来は頭痛を振り払うように小さく首を振った。
「や、なんか……何かに引きずり込まれる夢みたいなのが見えて……」
「夢…………?」
ラクダに怪訝そうな顔をされて、自信がなくなって首を引っ込める。
「……よくわかんない。もう何ともないわ」
「本当に大丈夫?」
まあ、今は意識もはっきりしているし、特に問題はない。麻来は適当に頷いてみせた。
疑っているのかラクダは麻来の顔をじっと観察する。
「……何ともないならいいか。異変があったらすぐに教えて」
「はいはい」
分かってるのかね。聞こえるように呟いてからラクダは【カゲロウ】に視線を戻した。
「君、」
と肩を叩きだすので麻来は慌ててその手を掴む。
「ちょっと! なに起こそうとしてんの」
「本当に上手くいったのか確認したいんだよ。意識が戻らないままだと心配だ」
「そもそもそれは敵でしょ! なに助けてんのよ!」
「それは先にことわったよ」
たしかに何か言っていた気もする。わたしに危害を加えさせないとかなんとか、なんて曖昧な約束を口にするんだ。こいつは。
「だいたいそいつ、なんでこんなとこで倒れてるの? 仲間は助けてやらないの」
「さっきも言ったけど、【カゲロウ】は消耗品。螺子や釘、ナットと同じようなものだ。部品の間に仲間意識も友情もないし、一人減ったところで気にも留めない……そういうふうに作られているんだ」
ラクダは無機質な声で先程教えたことを繰り返す。彼は【カゲロウ】の話を始めると、声が低く冷たくなる。
「怒ってるの」
「え?」
ラクダは目を丸くして麻来を見た。
「……いいや、怒ってなんてないよ」
否定はするが、顔は強ばっているし声もどこかぎこちない。怒ってないならなんなのよ、と見詰めていると、視線を受けたラクダは眉尻を下げて観念の笑みを麻来に向けた。
「ごめん。本当に怒ってないよ。……悲しいだけだ」
ラクダは瞼を少し伏せて【カゲロウ】を見下ろす。
「それと少し、憤ってもいる。【カゲロウ】たちのように生命を与えておいて……こんな扱い方をするなんて。非人道的だ。——神にでも、なったつもりか」
「…………」
麻来は膝を抱えてその顔を覗き込む。一瞬こちらをちらりと見たラクダは「失礼」と気まずそうに詫びた。
彼は心を痛めているのだ。命を弄ぶような研究で生まれた【カゲロウ】たちに対して敏感に感じ取って。麻来にとっては実感の持てないことであっても。
「…………だけどそれはあなたには関係のないことだ。もう行こう」
ラクダが立ち上がって倉庫を出て行こうとするので、麻来は慌ててその肩を押さえつけた。
「ん? な、何?」また始まった突拍子もない行動を予期出来ず、ラクダは戸惑って後ろに立つ麻来を気にするようにきょどきょどと首を動かした。
「そのまま」
麻来がこう言うとラクダは訳が分からないまま従順にしゃがんだ体勢を保った。
麻来はちょっと引き返してあるものを引きずってくると、背負子に投げて乗っける。
「…………麻来、なあにこれ」
「【カゲロウ】」
「やっぱり…………」
ラクダは溜め息を吐いた。
「あのね、たしかに蘇生するまでは俺のエゴだったよ。だけど今はあなたを最優先にしなきゃいけない。荷物が増えるとそれだけ危険も増える……そのうえこの子は麻来の敵だ、それに——」
「だけど君にとっては敵じゃないんでしょ。その口振りから察するとそうなんでしょ」
ラクダは押し黙る。認めているのと一緒だ。
「助けたらいいのに。席くらい譲ってあげる」
「…………麻来。」
ラクダがそっとこちらに向き直る。怒られるかと思っておでこをガードしたが、彼はただ麻来の前髪をくしゃくしゃと乱しただけだった。
「ありがとう。……ごめんね」
その時の彼の顔を、麻来は見逃した。
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