飛空上で蜃気楼

飛空上で蜃気楼・1

 シャッターを閉めると、色の濃くなってきていた空の光が金属の戸に遮られて少しの間薄暗くなった。追跡は引き続きされているはずなので身を隠すのにはただの気休めだが、気付かないうちに接近されるよりはマシだろう。

 ラクダが走っている間は踏ん張っていた足を今は背負子から投げ出してぶらぶらと揺らしていると、ラクダが膝をついて地面が近くなったのでぴょこんと飛び降りた。麻来の足はしっかり着地したのに衝撃の音も足と砂埃の擦れる音もしない。

「……しかし手数が多いな、あの【カゲロウ】は。電気剣を奪っただけでは無力化には至らないみたいだ。一人で追手として送られるだけの事はある」

「飛空城の中って、こんなに空洞になってるのね。トンネルみたい」

 薄暗い屋内を数歩歩いて、天井を見上げるとその天井が見つからない。途方もなく長く高い円柱の空間が伸びていた。上へ伸びているのだからトンネルというよりは煙突状と言ったほうが正しいのだろうが、内側の壁には点々と電球らしき球が螺旋状に取り付けられていて、縦に覗いていると青い圧迫感が襲ってくる感覚はトンネルと類似していると麻来には思える。その天へとのぼるトンネルは規模が大きく、確か直径が五十メートルよりもっと広かったはずである。

 ほとんどの飛行機がこの塔から離陸するのだから広いのは当たり前である。この煙突からたくさんの機体が飛び立つ光景は、麻来をはじめ近隣の住民にとっては日常のことであった。外観は白い大樹の幹のように見えるので、この空港の通称を『アイボリーツリー』という。

 あまり離れないようにねと釘を刺されたので早速奥の方へ探索に行こうとすると、すかさず勇み足は首根っこを掴んで止められた。

「【カゲロウ】というのは」制御板か何かの扉を開けて壁と見つめ合いながらラクダは話し始める。「組織のある人間が開発した人工の生体プログラムなんだ。あれは人間の染色体の遺伝情報から複製して何十人と生み出されたうちの一人」

「……生体プログラム? ただの人間に見えたけ、ど…………?」

 そう言ってはみたものの、そういえばあのフードとゴーグル、無骨な戦闘服の下を確認したわけではない。だんだん曖昧になってきて、明後日の方向を仰ぎながら語尾が途切れていく。

「広義にはクローン体だから人間とも言えるけど、組織の扱いはロボットに近いよ。未発達の子供に見えても従順で冷酷で、命令には決して逆らわないよう作られてる。」

「ふーーん……」

 よく分からないけれど、とにかく見た目はあんな子供でも敵に変わりはないということか。麻来は他人の事情を聞かされている時と同じように淡々と相槌を打ちながら、陣のように円を描いた床の中央へ歩いていく。無機質で暗い色の床の上、きっと冷たいはずなのにあまり温度を感じない。それどころか地面に足を踏みしめる感覚すら幻覚かと思うほど薄く、ふわふわしている。

 これがお化けの感覚かあ、とぼんやり思考していたら、ラクダの呼び声を聞き逃していた。

「大丈夫?」

 反応が無かったことを妙に思ったのか、何か壁の電子盤を勝手に開けて何やらしていた作業を中断し、こちらを振り返っている。

「なに?」

 気付けば円の真ん中近くまで歩いてきていた。麻来は無意味にくるりと回りながら中央に辿り着く。

 この床は左右に開く扉になっている。この離陸場が現役の頃は、今麻来の立っている扉が左右に開いて、真下の階には離陸準備を完了した航空機が待機している。するとこの階まで天井のないエレベーターのように出航する機体が上昇し、頭上の出口へと飛び立っていくのだが……。

「麻来。こっち」

 手招きされて、今度は誘われるまま素直に近寄って行った。

「ねえ。その組織ってやつの名前とかないの? 小出しに説明するわりに、重要なところが伏せられている気がしてならないんだけど」

 壁に顔を戻したラクダはまだ何かカチャカチャといじりながら「んー、」と半ば上の空でハミングのような伸びた声を出した。「ちょっと待ってね」

「ちょっとって何……うわっ」

 軽い段差を飛び越えて陣のような円から出た直後、ラクダが制御装置の大きなスイッチをバチンと入れた。途端に円い扉が鈍い機械音を響かせながらゆっくりと開き始めて、筒の内側に狭い足場だけが残った。顕になった下の階には空港が使われなくなってからずっと置き去りにされたままの古い機体がいくつか並んでいるのが見下ろせる。

 その何機かの中からひとつだけ、この階までゆったりと持ち上げられてきた。それは少し小型で、現代ではあまり見ない籠型だった。シャチのような飛行船の下に吊り下げられた塔の内側が青色のライトで照らされているせいで判別は出来ないが暖色系で彩られた二階建ての建物と、前後に光沢のある重々しいプロペラ。何百年も前、飛行機発明の少し後に開発された、人の空への憧れの結晶である。

「……はじめてみた。これに乗るの?」

 ここに来たのだから何かしらを盗んで飛んでいくのだろうとは予想していたが、まさかこんな珍しいものに乗れるとは思わなかった。数十年前まではまだ客や乗務員を乗せて空を飛んでいたが、現在なら博物館に展示されてもおかしくない。元々興味は薄かったがいざ目の前にすると心も躍る魅力があった。

 子供が汽車に乗せて貰えるような気分で振り返ると、ラクダはもう隣に来ていて、立派な籠型船を見上げていた。

 その顔は麻来の予想していた余裕のある表情ではなくて、闇に騙されたかのように目が開かれて、血の気が失せた肌には冷や汗が伝った。


「違う。これじゃない」


 視線を飛行船に向けたまま腕で麻来を二、三歩下がらせる。それを待たないうちに飛行船のスピーカーは、いいや、この離陸場全体の放送が広くも圧迫された空間に語りかけてきた。

『——夕帝国再設組織【呼水】の東支部よりマキ・アウラ並びにミオ・ヤナギに宣告します。我が帝国にとって、ミス・アウラの魂の保存は有害になり得ると判断されました。貴方がたには、この派遣船に投降するか、あるいは破滅するかの二択が用意されています。即刻選んでください。』

 拡張機の放送が話を始めるのを聞かずに、ラクダは麻来の手を引いて最初にここへ潜り込んだシャッターとは逆の方向へ走り出した。

「読まれていた! 逃げるよ!」

 向かった長方形の出口は装飾も扉もなく、ただもう点灯もしていない非常口の誘導灯が頭上に設置されているだけで、奥へは細い通路が伸びているのが見えた。

 しかし目前まで来たときにその入り口もシャッターが突然下りて、逃げ道が封じられてしまった。

 即座にラクダの右手が自分の背に縛り付けていた電気剣を掴むと、抜きざまにスイッチを入れた。

 爆音と共に脆いシャッターは吹き飛んで、泡を食って口を開けたままの麻来を引っ張って開通した通路を走る。

「もうシステムが乗っ取られてる……」

 シャッターを破壊している間にスピーカーの声は静かに話をやめていて、船の一階の搭乗口からは何人かの【カゲロウ】たちが降りてきている。

「ちょ……何よ今の!?」

「電気剣の威力のほんの一部だよ。ちょっと劣化しただけのシャッターくらい簡単に壊せるくらいのね。だからあの【カゲロウ】には返したくないんだよ」

「いやっ、カゲロウめっちゃ来てるんだけど!」

「そもそも大量に発生するものだろ、蜉蝣という虫は」

「いっ意味わかんないしそんなこと言ってる場合じゃないし!」

 叫びながら引っ張られて走っているが、背負われていれば引っ叩いているところだ。

 長い通路を振り返ると二十人程の同じ格好をした追手が追ってきている。

「もうっ、いっそ旧帝国に行くのは変わりないんだから、一旦捕まっちゃった方がラクじゃない!?」

「麻来、落ち着いて」

 ラクダは自棄になりかけて口走る麻来を嗜める。

「それは相手に首を差し出す行為と同じだよ、麻来。彼らは帝国へ運ぶ間にあなたの安全を保障するとは一度も言っていない。相手に身を委ねてしまうのはあまりに不利だ。それに俺は捕まったら間違いなくこの身体を回収されるだろう。あなたと違って俺は魂だけで地に落とされたらもうどこへも行けなくなってしまう……そうなったらあなたを助けにも行けない」

 話を聞いている途中で振り返ると、いつの間にか【カゲロウ】たちはもう後ろについて来ていなかった。土地勘があるのかラクダは乗客用の待合所や売店など入り組んだ施設を利用してうまく振り切っていたらしい。


 埃まみれのラウンジに逃げ込んで、一時体勢を整える。この部屋も、飛空城が現役の頃はVIPルームとして憩いの場を提供していたのに、今では煙草臭い薄灰色の廃屋と化している。

 ラクダはまだ麻来の手を引いて、剥がれた床を慎重に歩いていく。

「それにね、そのつもりもないのにそういうことを言うものじゃないよ。投降の意思があると思われてしまう」

 ラクダは話しながらも周囲の音に耳を傾けている。目を瞑って何かを聞いている水尾の顔を見ていたらいたずらしたくなったが、そういえばこの男は水尾なんかじゃ無かった。

 突っつこうとした人差し指をかざしたままうすい睫毛をのせた瞼を凝視していると、その眼が不意にひらいた。

「…………怖い?」

「え、は? 何? 何が」

 麻来はどもって、中途半端に言った。動揺したのだ。水尾の声でわたしに話しかけるから。同じ調子で名前を呼ぶから。

 まだこの男が、水尾だと思ってしまう瞬間がある。

「心配いらない。あなたもこの器も、決して【呼水】には渡さないから」

 けれどそうやって麻来の額に当てられた波のような手つきは、水尾のものではなかった。

「……コスイ?」

「組織の名だよ。」そう言いながらラクダは麻来から手を離す。「彼らは新たな水源を求めて活動している」

「水源……」

「昨今、旧帝国では深刻な水不足に陥っている。生活水の確保すらままならない状態だ」

 簡潔に説明しながらまた手元でなにか取り出して弄り始める。何してるの、と問うと「機能の調整」と言ってちらりと手の中を見せてくれる。見えたのは木製の四角いキューブだった。

「彼らは新しい水源を探している。帝国をたちまち潤すほどの、無尽蔵の水を求めてね」

「成程…………」

 と相槌を打ってみても正直理解が追い付かない。

「わかったふうにしなくていいから」

 無感動に言われて腹が立ったので脇腹に蹴りを入れた。「痛った。こら」

「…………ねえ、逃げなくていいの」

 麻来は抑えていた声を一層小さくして言った。部屋の外の通路からかすかに足音が聞こえたような気がしたからだ……気のせいだろうか。

「怖い?」

 ああ、さっきはそう訊かれたのね。同じ質問をされて、ようやく質問の中身を聞き取れた。先程は全く聞いていなかったので返答もしなかったけれど、こうやって聞き取れたとしても答えようがない。

「わかんない……」

 だって胸に手を当てても心臓のあった場所はうんともすんとも言わないし、腕を抱いて文字通り透けた肌に触れたとしても特に何も感じない。恐怖を感じれば動悸は早まり、悪寒を感じれば肌が粟立つというのに。

「確認しようがないのよ。身体がないと、わたしの感情は全部。……靄がかかってるみたいだ」


 自分の腕や脚を撫でている麻来を見下ろしながらラクダは思う。そうやって幽霊であることを徐々に自覚していく彼女は、その声が震えていることには気付かないのだろうと。最初にお茶を飲み干した時より確実に、感覚が薄れていっている。

 五感だけではない。人間の感情も欠落していくのだろう。


「……大丈夫。これから逃げるよ。準備はできたからね」

 そう言って徐に腰を上げ、足元の床板を指で引っ掛けて持ち上げた。

「うわ」

 下はスタッフ専用の地下通路となっていて、窓のある乗客用通路より格段に暗い。

 麻来は床下の埃っぽい空気の流れに顔をしかめて、けれどやっぱり追手が迫っていることをどこかで感じているのか、ラクダの背に大人しく収まった。

 ラクダは背負子に麻来が座ったことを確認して、懸垂の要領でゆっくり床にぶら下がり、音もなく階下へ飛び降りた。

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