残骸逃避行・3
「アシスタント。対スピリット型電流エペの座標の調整を願います」
小型トラックの屋根は風雨やガスの大気汚染に晒されて色が暗くなっていて、落ち葉や枝が散乱している。【カゲロウ】はトンネルや天井の低い道路橋に頭を打たぬよう、姿勢を低くしたり後ろへ回ったりしながらトラックの速度に任せて走っている。奪われた電気剣に組み込まれていた発信器の位置情報を元に、目標であるあの二人を追っていた。
数秒待ってから、アシスタントが応答する。
『座標の調整を行いました。一時の方向、東北東へ時速約二十三キロメートルで道なりに走行しています。引き続き追跡をお願いします』
「了解。引き続きベータ・カム及び電気剣の追跡を続行します」
送信された彼らの位置情報は調整前と変わりなく、進行方向の先を一定のペースで走り続けている。
通信操作の際に少しずれたゴーグルを装着し直して、トラックの走る先へ目を凝らす。
「ねえそんなことより酔いそうなの。いつまで走ってるつもり?」
向かい風に紛れて、標的の声が正面の道からかすかに聞こえてくる。元々耳の性能は良く作られているがそれでもトラックの雑音が邪魔をするので、アシスタントに集音機能を依頼した。
かすかにノイズが入ったあと、肝心の答えを聞き逃しながら音質が自動で調整される。
「――だよ。とにかくこの国から出て、旧帝国に向かわないと」
「なんで! 逃げるんだったらわざわざ敵のところに行く意味がなくない?」
進む方向が同じなのだからこちらからは背を向けているはずなのに、マキ・アウラの声が真正面で発せられたように金属音のようなハウリングを起こした。
「もー……聞いてなかったのか、柳水尾が待つのは旧帝国だって」
集音器の精度が高まって、だんだんと話し声が明瞭になっていく。会話をしている人物が近付いている証拠だ。カゲロウは目を閉じて、おのれの脚力が可能とする飛距離とトラックの速度、それから目標との位置関係を計算する。奇襲を仕掛けるのに充分な機会を狙って。
身をかがめて、誤差がゼロになるまで待って、狙って……。
カゲロウは条件が整ったある瞬間、音もなく、舞い上がるようにトラックから跳び上がった。
突然の轟音と共に足先のアスファルトが粉々に砕け散る。先程までただ走っていたラクダの身体が後ろへ跳んで、襲撃の直前に攻撃を回避した。
急に動くのなら先に通告してほしい。麻来の景色が縦に回転する。振り落とされなかったことが不自然なくらいに大きく跳び退いたラクダの背と、自分の身体が見えない紐で括り付けられているかのようだった。
「【カゲロウ】……」
【カゲロウ】、と呼ばれたそいつは立ち塞がるように二人が進むべき方向に降り立って、こちらを見ていた。
「最悪! 追いつかれてるじゃない!」
「やっぱり追跡されてたか。電気剣に発信器が搭載されている可能性もあると踏んではいたけど……」
耳を疑うことを呟きながら、ラクダはまたしても空から降ってきた襲撃者と正面に向かい合った。
「これは君が持っていくって言ったんじゃないの! そういうことはもっと早く言っといて」
「いや、電気剣は取り返された方がまずい。威力が強すぎる。あなたを守りきる可能性が大幅に下がるんだ」
それに最初から麻来を探し当てたということは、追跡を電気剣に頼っているわけではないだろう。最大の武器をこちらが預かっている以上、うっかり渡してしまわないように逃げ切る方が確実に安全だ。
ラクダは思考が読まれないように相手の動きをトレースして、最小限の戦闘態勢をとった。
【カゲロウ】は静かにこちらの出方を伺っている。話しかけてもこないということは交渉には応じないだろう。もともと彼らはただ命令に従うように作られているから、主人以外の言葉に応じるとは思えないが。
ただ、彼の動作のパターンはまだ掴めていないが、柳水尾の記憶に残っている知識から推量すれば、武器を奪われた丸腰の状態でアスファルトを砕くほどの強い動力を有するゆえに、弱点も存在する。
微かに片足を前へ出すと、それを見た【カゲロウ】は身を低くした。やはり何も言わず、ただ様子を見ているようだった。さらに攻撃を仕掛けるように踏み出してみせると【カゲロウ】も大きく動き出した。そのまま走って【カゲロウ】に突進する。
しかしラクダが相手に真っ直ぐ向かっていくことはなく、寸前で脇へ逸れると、そのまま袖の触れるほど近くを通り過ぎていった。
ラクダは振り返ることなくまた走り始める。今度は先ほどの走りから急激にスピードを上げて、一気に踏み壊された道路を飛び越えた。膝立ちでラクダの背中に張り付いていた麻来が振り返ると、後ろでは【カゲロウ】が何故かバランスを崩して地面に手をついたところだった。その姿もあっという間に遠ざかっていく。
「ちょ、何かしたの?」
「ちょっと突っついて転んでもらっただけだよ」
何をしたのか全くわからなかったが本当にただ転ばせただけだったようで、背後ではすぐに膝をついて立ち上がるのが見えた。
「あっ」
「口は閉じてなさい、噛む舌なんてないけど。静かにしていてくれた方が走るのに集中出来る」
「なんっ」なんですって、と反論したかったが前より激しい上下の揺れが声を出すのを妨げた。噛む舌はないのにこういうところで妙に生きているような感覚を味わうのだから、逆に不便というものだ。麻来は代わりに頬を膨らませて彼の首筋を睨んでおいた。
少々気分を害しつつ追手のことも気になって再び振り返ってみると、そいつも見る間に加速して麻来に追いつかんとするところであった。足元を見ると明らかに地面から浮いていて、スキー板を片方失くしたような長いボードに両足を乗せて猛スピードで迫ってくるのだ。
「ねえっ、追っかけてきてるっ」
麻来は反射的に上半身を引いてラクダの首に縋りついた。ラクダがちらりと麻来の顔越しに追手の様子を確認して、抑えた声で麻来に告げた。
「……全速力で行く。加速するよ」
まだ速くなるの、と叫んでいる間に更に速度を上げて、耳が風を切る音が自分の声に重なってきた。麻来には計測など出来ないが、もはや五十キロ近くの速さで疾走していた。
「なにあれっ」
「ホバーボードだろ」
簡潔に答えが返ってきたが道具の名称を答えよとか出題したのではない。
見るからに地面から浮上して走行するそれは確かにその類のようだ。ホバーボード自体は麻来の生まれた頃から技術として存在していたらしいし、まだ余裕のある内陸部の方では自転車に次いで子供に買い与える者が多いそうである。テレビの広告などでも、色とりどりのホバーボードが各社独自の名前を付けられてあの手この手で宣伝されていたから知っている。
ただし、今追いかけてきているその物騒にも長くて刺さりそうな形状は見たことのない型だったし、そもそもあんなにスピードが出るものなら誰も子供に乗らせたりしない。ラクダの脚に並走できるほどの速さで走行しているのだから普通の子供用のおもちゃではないのは一目瞭然だ。
「あんなのホバーボードなんて言わないわよ!」
時折麻来の目前まで近付いては、走るラクダの足元めがけて何かを投げつけてくる。投げられた小さな砲弾のような鉄球は地面に当たると同時に弾け散って、麻来の顔までパラパラと破片が降ってきそうだった。切迫感に混乱した麻来はけたたましくラクダを急き立てる。
「痛い!」
「早く、早く逃げて!」
ラクダは肩を叩かれながら流石に仏頂面を作る。いや、ただ集中しようとしているだけかもしれない。
「軍用なんだよ、あれは。装甲車の破片で出来ているとかいないとか。避けながら走るから、ちゃんと掴まって」
ひとつ解説を加えると、飛んで来た尖ったガラスの破片を振り返らずに身体を傾けて回避し、直後に足元の火薬を飛び越える。上下左右に揺さぶられる形となった麻来はすっかり目が回って、背負子を掴まえているだけで文句を言う余裕も無くなってしまった。
本物のラクダのようにドッドッと重々しく靴を鳴らしながら直線の道を一気に駆けていった。
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