三鹿ショート

 彼女とは、共通の趣味で親しくなった。

 二人揃って口数が少ないために顔を合わせたとしても会話が多いわけではなかったが、互いが互いの空間に存在することに対して、嫌悪感などといった負の感情は起こらなかった。

 彼女は女性であり、その性別ゆえの身体的特徴は街中を歩けば必ずといっていいほどに他者の目を引くものであったが、たとえ彼女と二人きりになろうとも、私は彼女に性的な感情を抱くことは皆無であった。

 私にとって、彼女は唯一無二の友人であり、それを失ってしまうような不安材料を意識的に排除していたためだ。

 一方で、彼女が私と同じ思考かといえば、そうではないだろう。

 外出の際は、少しでも露出を減らすような衣装を身に纏っているにも関わらず、私と二人きりになった途端、身体の線が露わになるような格好へと変化する。

 そして、他者とは常に三歩ほど離れている彼女は、私に身体を密着させながら、趣味や日常的な話を語っていた。

 触れれば火傷しそうなほどに顔を赤らめながらもそのような行為に至っている姿に、心が動かないといえば嘘になる。

 私と彼女ならば、たとえ交際を開始したとしても、上手くいくだろう。

 だが、その関係がいつ終焉を迎えるのかは不明である。

 終わることなく一生を過ごしていく可能性もあるだろうが、交際を開始して数日後に別れる可能性も否定することはできない。

 恋人という関係では無くなった際、それまでのような態度で接することができるのかといえば、出来るわけが無い。

 彼女のような友人を失うわけにはいかないため、私は彼女の好意を受け入れず、しかしこの関係を続けていかなければならない。

 彼女のことを思えば残酷な話ではあるが、私の人生を考えると、仕方の無い話である。

 だが、その心配も杞憂に終わるときがやってきた。

 彼女が、この土地から遠く離れた実家に戻ることになったからだ。

 これまでのように気軽に顔を合わせることが不可能となったことは悔やまれるが、直接会う頻度が減れば、彼女の私に対する誘惑の機会も減るだろう。

 彼女には申し訳ないが、これで心の平穏を得ることができる。

 しかし、寂しさを感じさせたくはなかった。

 今の時代、連絡の手段は幾らもある。

 毎日のように、欠かさず連絡をすると、私は約束した。

 彼女は涙を流しながらも、口元を緩め、首肯を返した。

 別れ際に中身が見えない袋を私に渡すと、彼女はその場を後にした。

 小さくなっていく背中がやがて消えたところで、私は袋の中身を確認する。

 それを目にした瞬間、慌てて袋を閉じた。

 これは、見間違いではないか。

 何度も深呼吸を繰り返し、再び中身を見つめる。

 やはり、それは女性用の下着だった。

 周囲に人気が無いことを確認し、袋の中身に手を伸ばす。

 見慣れないその布きれをどう処理したものかと考えていたが、温もりを感じたところで、余計な思考は吹き飛んだ。

 そういえば、彼女は私に別れの言葉を告げる前に、手洗いに行っていた。

 まさか、そのときに袋に入れたとでもいうのだろうか。

 彼女が去って行った方を見つめる。

 何を期待しているのかは分かっているが、それでも、私は彼女と特別な関係を持つわけにはいかなかった。

 隆起する己をなんとか宥めながら、私は自宅へと向かった。


***


 宣言通り、私は毎日のように彼女に連絡した。

 たとえ仕事で疲れ切っていたとしても、出張で別の土地の宿泊施設に滞在していたとも、日課のように欠かすことはなかった。

 彼女が実家に戻った理由は、父親が病気で倒れたためだった。

 頼ることができる肉親が皆無であるため、世話役として、彼女が戻らなければならなくなったらしい。

 話を聞いたところ、父親の病気は治り、身体に不自由も無いが、再び倒れた際に一人では不安だということで、彼女は実家に残り続けるようだ。

 彼女の父親に対する献身は、見習うべきだろう。

 その姿に影響されてか、私もまた、実家に顔を出す機会が増えた。


***


「私のことは、もう忘れてください」

 そのような言葉を最後に連絡が途絶えたのは、彼女の父親が退院してから数週間が経過した頃だった。

 私が連絡を取ればすぐに返事をしていた彼女が、一週間も音沙汰が無いことを考えると、異常事態といえる。

 私が何か、彼女の気に障るようなことを言ってしまったのか。

 特に変わったことはしていないが、万が一ということもある。

 だが、連絡が取れないために、謝罪しようにも不可能だった。

 私は不安に支配され、仕事も手に付かなくなってしまった。

 このままでは、いつか取り返しのつかない失敗をしてしまうだろう。

 ゆえに、私はしばらく休むことを会社に伝えると、彼女の実家へと向かうことにした。


***


 私が住んでいる土地から遠く離れているとはいえ、彼女の実家は、民家が疎らであるというような田舎ではなかった。

 駅前は栄えており、そこから離れたとしても、道を歩く人間は老若男女を問わない。

 このような環境では寂しさをそれほど感じることもないだろう。

 宿泊施設に荷物を置き、彼女の実家へと向かう。

 だが、いくら呼び鈴を鳴らしても、彼女はおろか、彼女の父親も顔を出すことはなかった。

 日を改めようと思い踵を返したところで、私は一人の女性を目にした。

 自身が持つ身体的特徴を強調するような薄着に、派手な化粧と髪の色を見ると、彼女とはまるで異なった存在である。

 私と目が合うと、女性は気まずそうに目をそらした。

 私の不躾な視線によるものかと思ったが、そうではなかった。

 よく見れば、それは彼女だった。

 あまりの変貌に、私の理解は追いつかない。

 呆けた私を余所に、彼女は何も語らず、家の中へと入っていく。

 扉が閉まった音で、ようやく我に返ったが、再び呼び鈴を鳴らしても彼女が姿を見せることはなかった。


***


 宿泊施設へ戻らず、そのまま待ち続けていたところ、日付が変わったような時間帯に、彼女は家から出てきた。

 未だに私が立っていたことに対して彼女は驚いたような表情を見せるが、やはり私に声をかけることなく、その場から足早に去ろうとする。

 しかし、今の私は呆けてなどいない。

 彼女の腕を掴み、事情を問うた。

 彼女は無言で私の手を振り払おうとしたが、私が彼女を逃がすことはない。

 私が退かないことを理解したのだろう、彼女は大人しくなると、自宅を指差した。

 彼女の後に続いて家の中へと入るが、そこは家と呼んでいいものか不明だった。

 塵は廊下や部屋を問わずに散乱し、歩くには必ず汚れた塵を踏まなければならなかった。

 壁を這う虫の存在に嫌悪感を抱きながら、彼女についていく。

 やがて到着したのは、唯一片付けられた部屋である。

 内装から察するに、彼女の部屋だろう。

 彼女は部屋の隅に鎮座している冷蔵庫から飲料水を取り出し、私に差し出した。

 飲まず食わずで彼女を待っていたために、単なる水とはいえ、私を生き返らせた。

 私が飲料水を一気に飲み干すのを見てから、彼女は寝台に腰を下ろすと、口を動かし始めた。

「私は、父親というものを誤解していたのです。いえ、誤解というよりは、異変に気付いていなかっただけなのかもしれません」

 突然の言葉に、私は首を傾げた。

 だが、話を遮るようなことはせず、彼女の話を聞く。

「私がこの家を離れている間、両親は離婚したのです。その原因は、母親の不貞行為でした。しかし、母親は悪びれることなく、むしろ父親が自分を相手にしなかったことを責めたのです」

 そのようなことを口にする人間が実在するとは、信じられなかった。

 己の罪の原因を他者になすりつけるなど、理解できない。

「父親は、見ている方まで辛くなるほどに落ち込んでいたそうです。しかし、病気で倒れて以来、人が変わってしまいました」

 彼女は私を見つめながら、

「母親が不貞行為を働いたような人間に対して、強い憎しみを抱くようになってしまったのです。自分よりも若い、息子ほどの年齢の相手に」

 そこまで聞いたところで、私は自身の意識に異常を感じ始めていた。

 酔っ払っているときのような、足下が明確ではないような感覚である。

 私が異変に襲われるのと同時に、彼女は立ち上がった。

 そして、私に唇を重ねた。

 驚くべき行為だが、それは私の意識を覚醒するまでには至らなかった。

 彼女は双眸から涙を流しながら、私の頬に手を添えた。

「あなたは、私の父親に姿を見られてしまいました。そうなってしまっては、どのような理由があろうとも、避けることはできないのです」

 彼女はそう告げると、部屋の扉を開け、廊下に立っていた人間を案内した。

 現われたのは、一人の男性である。

 その手には、包丁や鋸など、様々な刃物が握られていた。

 離れていく彼女の姿を改めて見て、彼女が煽情的な格好をしている理由を察する。

 彼女は、若い男性を誘うために、あのような姿へと変貌したのだろう。

 そして、誘蛾灯にやってきた虫のように鼻の下を伸ばす人間を、父親に差し出していたのだ。

 残酷な終焉が迫り来る一方で、私は安堵もしていた。

 彼女は、私のことを忘れることなく、それどころか、身を案じてくれていたのだ。

 それが分かっただけでも、意味のある訪問だった。

 私は覚悟を決め、瞑目した。

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三鹿ショート @mijikashort

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