12. 魔女の正体
「おいおい、エクレーヌ君。少し落ち着きなさい」
導音機を前に考え込んでいたレパンも、この騒ぎには無関心ではいられなかったようだ。熱心に語り続けるエクレーヌをなだめようと肩を叩く。だが、エクレーヌの暴走はその程度では止まらない。
「いいえ、レパン様! 落ち着いてなどいられません! 彼女は叡智の魔女様を軽んじる発言をしたんですよ」
「いやいや別に軽んじてはいないだろう。とにかく落ち着いた方がいい。じゃないと恥ずかしい思いをするのは君だよ」
「私? 私が何故恥ずかしい思いをするというのですか!」
多少は落ち着いたものの、エクレーヌは親の仇のようにコトラを睨んでいる。その様子に、レパンが苦笑いを浮かべた。
「エクレーヌ君。叡智の魔女の名前は知っているかい?」
「もちろんです。コトラ・ガーシュですよね。それが何か?」
「そうだね。で、そこにいる彼女の名前は?」
「それは、たしか……コトラ、さん?」
そこで、エクレーヌは初めてその事実に気がついたようだ。今まで滔々と叡智の魔女の素晴らしさについて説いていた相手が、その魔女と同じ名前であるという事実に。
「で、ですが、珍しい名前ではないですよね?」
「最近はそうみたいだね。彼女の活躍で、同じ名前をつける親が増えたから。でも、以前は珍しい名前だったんじゃないかな」
「ということは……?」
エクレーヌが油ぎれしたブリキ人形のように、スムーズさに欠ける動作でゆっくりと首を巡らせ、コトラに視線を合わせた。コトラとしては苦笑を返すしかない。
「ええと……その、私がコトラ・ガーシュです」
「うそぉおお!?」
コトラがフルネームを告げると、エクレーヌは膝から崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか?」
「は、はぃ……。あの、本当にご本人? 叡智の魔女様なんですか?」
「そう、ですね。たぶん」
返事が曖昧になったのは、あまり実感がないからだ。コトラ・ガーシュであるとは確かに言えるが、叡智の魔女かと聞かれると少々自信がない。同僚がその異名を呼ぶことはない上、研究所に籠もりがちなので、世間の評判を聞く機会などほとんどなかった。そのせいで、いまひとつ、自分のことを指しているとは思えないのだ。
「あの……失礼ですが似顔絵と違うのは?」
「ああ、あれですか」
国威高揚のためか、はたまた王立魔道研究所の権威を高めるためか。叡智の魔女の功績はたびたび新聞に取り上げられている。そして、そのときに決まって掲載される似顔絵というものがあるのだ。
「あれは外向きというか……広報用のものでして」
似顔絵についてはコトラも見たことがある。正直に言えば、誰だこれと思う出来だった。特に美化されているわけではない。かなり忠実に描かれた似顔絵だ。だというのに印象が全く違うのは、衣装と化粧のせいだった。
記事の内容はコトラの功績であっても、その目的は国家と研究所の権威向上。少しでも印象を良くすべく、衣装も化粧もそれに相応しい装いを求められたのだ。似顔絵を描かれるときは、慣れない格好に表情も硬くなっていたことだろう。
一方で、普段のコトラは地味な格好を好む。性格もあるが、根っからの研究者気質であることもその理由だ。何しろ、実験で服を汚すかもしれない。化粧粉が落ちれば、実験データに狂いが生じることもある。よって、服装はシンプルに、化粧は最低限というのを標準スタイルとしていた。
そんなわけで、世間に知られているコトラのイメージと、実際の姿にはそれなりの隔たりがある。両方の姿を直接対面して見れば同一人物と気がつく人間は少なからずいるだろうが、新聞記事の似顔絵は似せて描かれているとはいえ絵にすぎない。細かい差異はどうしてもあるので、本人と結びつかなくても仕方がなかった。
「し、失礼しました。まさか、ご本人とは思わず」
説明に納得したのか、エクレーヌは顔を赤くしてしどろもどろになった。
(まあ、そっとしておきましょうか)
知らぬこととはいえ、叡智の魔女の素晴らしさを、長々とその当人に語っていたのだ。どんな顔をして話せばいいのかわからなくもなる。
代わりに、隣で苦笑いを浮かべるレパンへと話を振った。
「レパンさんはご存知だったんですね?」
「最初に名前を伺ったときに、おやと思い、調べました。コトラ嬢の研究は多岐に渡りますが、直近ではバルター氏との共同研究に取り組んでいたと聞きましたので」
「ああ、そういえばバル爺と仕事で付き合いがあると話しましたっけ」
名前に加えて、バルターとの共同研究。その二つの繋がりから、コトラの素性を確信したようだ。
(私のことを調べているってことはちゃんと仕事はしているのね。でも、それならなんでエクレーヌさんは知らないのかしら?)
調査内容を全て補佐官に明かす必要はないとはいえ、普通は共有しておくものだ。それなのに、エクレーヌに伝えていなかった理由がわからない。
コトラが抱いた疑問はエクレーヌ自身も気になるところだったようだ。
「どうして教えてくれなかったんですか!」
詰め寄られて、レパンはやれやれと首を振る。
「いや、教えたら君が暴走することが目に見えてたから」
「それは……そうかもしれませんが!」
エクレーヌにも自覚はあるらしく、否定の言葉は出てこない。興奮のせいか、恥ずかしさのせいか。彼女の顔は真っ赤に染まったままだ。
(別にただの研究員だったんだけどね、私は)
叡智の魔女のことで右往左往するエクレーヌは微笑ましく思えるものの、自分が大仰な異名で称えられていることには違和感を覚えるコトラだった。
「ねえ、コトラさん。ちゃんと連絡したんじゃなかったの?」
こそりと声をかけてきたのはグーベルだ。どうやら、導音機の放送を聞いていたらしい。心配そうな顔でコトラを見ている。
「もちろん、ちゃんと伝えましたよ。大丈夫です」
実際に、研究所を辞める意志は表明してある。書き置きで。
口頭で伝えなかったのは、説得や恨み言を聞くのが面倒だったからだ。
対外的には持ち上げられているが、その実、研究所でのコトラの扱いはあまり良くない。若い、しかも女性であるコトラが成果をあげることを面白く思っていない研究員もそれなりにいるのだ。魔法の研究は嫌いではなくとも、そんな環境に身を置くことに窮屈さを感じていたことは事実だった。だからこそ、衝動的に研究所を辞めて喫茶店で働こうなんて考えたのかもしれない。
(まあ、一番の理由は面白そうな観察対象を見つけたからなのだけど)
ともかく、そんな理由もあったので、研究所に迷惑をかけているかもしれない、なんて殊勝なことは考えもしなかった。
「もう一度、ちゃんと話をした方がいいんじゃないですか?」
コトラの内心など知るよしもないグーベルが心配げに言う。彼を心配させるのは本意ではないので、コトラは考える素振りを見せておくことにした。
「そうですね。検討しておきます」
検討した結果、無視するという結論になるのはほぼ確実だが、それを告げる必要はない。
「うん。それがいいですよ」
グーベルは素直に受け取ってくれたようだ。安心した様子で、微笑む。
(素直なのはいいことだけど、ちょっと心配ねえ)
一方で、警邏隊の二人は苦笑いだ。コトラの意図を正確に把握しているらしい。とりあえず、口元に人差し指を立てて口止めはしておいた。
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