10. 導音機

 ポカポカ茶が評判になり、喫茶店『ドールハウス』を訪れる客もかなり増えた。そうなると、テーブル四つでは間に合わない場面も多くなる。


「やっぱり、奥の整理をするしかないんじゃないですか?」

「そうですよねぇ」


 コトラとグーベルは、人形工房の道具を押し込めていた仕切りの奥を整理する決意をしたのだった。


 毎日、開店前に少しずつ整理して、スペースを確保していく。人形づくりの道具は一部を店内に展示するが、残りはひとまず店の奥にあるグーベルの居住スペースへと移動させた。結局のところ、整理と言いつつ、荷物を移動させただけである。どうやら、グーベルもコトラも片付けの才能はないらしい。


「この机はどうします?」

「うーん、結局はこれをどうにかしないと場所を確保できないですよね」


 問題となっているのは、人形工房で使っていた大きな作業机だ。仕切りの奥でもデンと場所をとって、存在感を放っていた。


 無骨で傷だらけ。大きすぎて場所をとる。喫茶店で利用するには適さない代物だ。率直にいえば邪魔である。


 その上、大きすぎて、ドアを通らないので運び出すことすらできない。場所を確保するためには処分するしかなかった。


 だが、それでも。その作業机は人形師バルターが残したもの。数多くの人形作りを見守ってきた彼の戦友だ。余人にとっては不要品だとしても、グーベルにとっては故人を偲ばせる想いでの品なのだろう。


「喫茶店のために祖父の机を処分するのは本末転倒な気がします」


 今でこそ喫茶店で働くことを楽しんでいるグーベルだが、そもそものきっかけはバルターの人形工房をどういった形であれ残したいと考えたからだ。当初の目的を考えるならば、できる限り元の状態を維持するというのは間違いではない。


 しかし、コトラは思うのだ。


(きっとバル爺は、店長が人形工房に縛られるよりも、自分の好きなことをして生きて欲しいと思うんじゃないかな)


 もちろん、工房をできるだけそのままの形で残したいという気持ちも彼の本心だ。それをないがしろにするのはよくない。ただ、工房のあらゆるものを残すために、彼自身がやりたいことを我慢するというのは正しくないように思えた。


(店長が生まれてきたことを誰よりも喜んだのは、バル爺のはずだから)


 とはいえ、グーベルも簡単に割り切れないだろう。なので――……


「天板と脚をバラしましょうか。もし、必要になれば、復元できなくもないでしょうし」

「仕方がないですね。それじゃあ、パーツも奥に運びますか」


 コトラが提案したのは、処分の先送りだった。使うかもしれないから、とりあえず片付けておこうという安易な考えである。たいていは、二度と使われることもなく、眠らせたままになるのだが、片付けのできない二人には名案に思えた。ますます、グーベルの住居スペースが圧迫されることになるが、当人が気にしていないので問題はなかった。


 グーベルが不慣れな手つきでノコギリを扱い、どうにか机の脚を切り落とす。そのときになって、コトラは机の隅に、小さな箱のようなものを見つけた。大きさは氷冷庫よりはかなり小さい。喫茶店で使っている盆に乗るくらいのサイズだ。箱の上部には、先がラッパのように広がった管が繋がっている。


「これって、導音機ですか?」

「あっ、そうです。こんなところにあったんですね」

「ふぅん。見たことがない型ですけど」


 導音機をはじめとして、ここ数年で新たに開発された魔工機の多くは王立魔道研究所によって生み出されたものだ。情報漏洩を防ぐために、製造に関わる職人は非常に限定されているので、大抵の導音機は同じような外観となる。


 しかし、コトラが見つけた導音機は、魔道研究所の元所員である彼女が知らない外観をしていた。現在製造されているものよりも筐体がやや大きい。導音機は最新の魔工機だ。当然ながら『旧式』なんてものは存在しない。その導音機は正規に製造されたものではない可能性が高い。


(試作機って可能性はあるけど……でも、こんな感じだっけな?)


 職人に製造を委託する前に、研究所でも試作はしている。ただ、それは粗末な木箱に無理矢理押し込んだような……はっきりいえば廃品にしか見えないような見た目だった。


 それに比べると、目の前の導音機は洗練されている。少なくともコトラの知る試作機とは別物だ。


「店長は、この導音機がどういうものかご存知ですか?」

「僕も事情はよくわからないんですが、誰かが祖父に押しつけていったみたいですよ」

「押しつけていった? それは本当によくわかりませんね」


 導音機に限らず、ほとんどの魔工機は非常に高価だ。それを押しつけていくとはどういうことなのか。コトラには想像もつかなかった。


「押しつけていったというのは、誰が?」

「対応したのは祖父だったので、僕にはなんとも。祖父は不機嫌でしたから、事情も聞けずじまいでした」


 高価な導音機を貰って、不機嫌というのもよくわからない話だ。


(でもバル爺ならあり得るかしら。気難しい人だったからね)


 そもそも理由もなく高価な贈り物を貰うような性格ではなかった。それを無理矢理押しつけてきたのなら、不機嫌になってもおかしくない。


「店長がそのときのことを知っているといことは、最近のことなんですね」

「ええ。あれは祖父が亡くなる前日のことでした」


 バルターが死んだ日のことを思い出したのか、グーベルが目を伏せた。


(それなら、導音機の存在を忘れていても仕方がないかな)


 結局、導音機の出所も、押しつけていった者の思惑も何もわからなかった。


 とはいえ、導音機のような貴重な魔工機を使わずに放置しておくのは勿体ない。試しに、スイッチを入れてみると、導音機のラッパのような口から、楽しげな声が聞こえてきた。問題なく動くようだ。


「それで、これはどうします?」

「酒場や食堂なんかでは、導音機を置くところも多いんですっけ?」


 グーベルが顎に手を当て思案する。即座に結論を下さなかったところを見ると、判断に迷っているようだ。少しでも判断材料にしてもらうため、コトラは自分の知っていることを説明する。


「導音機はまだまだ普及していないですから、客寄せの効果が期待できるみたいですよ。放送を聞きにくるお客さんで売り上げが伸びるそうです。ただ、導音機を導入する値段を考えると、コストに見合う効果があるかどうかはなんとも言えませんね」

「なるほど。そういうことなら、導入コストが必要ない分、悪くはない気がしますね」

「コスト面に関してはそうですね。ただ、ドールハウスは、バル爺の人形が迎えてくれるというある種特殊な空間です。導音機の放送が、ドールハウスの雰囲気を壊してしまうということは考えておかないと駄目ですよ」

「なるほど。雰囲気ですか」


 少しばかり考えて、グーベルは判断を下した。


「とりあえずは、お店に置いておきましょうか。放送を流すかどうかは必要に応じて判断すればいいです。最終的に邪魔だと思えば、そのときに片付ければいいですからね」


 というわけで、導音機はカウンター横のスペースに置かれることになった。

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