9. ポカポカ茶

 コトラが働き始めて、十日ほどが経過した。未だに客が入らない時間は長いし、四つしかないテーブルが全て埋まることも稀だ。それでも、客足は増えつつあった。


「美味しいわぁ。これで冷え性にまで効くんだから、本当にありがたいわねぇ」


 恰幅のよい女性がカップを片手にコトラへと話し掛けた。ここ数日は毎日来店してくれている客だ。このまま常連になってくれるのではないかと、コトラは期待している。


 他に客はいない。なので、コトラは女性の話に付き合っていた。グーベルはというと、あいかわらず熱心にお茶の研究をしている。


 彼女が絶賛しているのは、コトラが考案したポカポカ茶だ。


 季節は春へと向かっているが、朝方はまだ冷え込むことも多い。とあるご婦人の、手足が冷えて辛い、というぼやきがヒントになった。


 冷え性に効くというハーブがメインとなっているが、一番の決め手はほんの少し加えた陽光樹の葉のエキスだ。


 陽光樹の葉は身体能力強化の魔法薬の素材として使われることが多い。そのエキスには内臓の機能を高める効果があるのだ。調合せずに陽光樹の葉だけを使った場合、魔法薬ほど劇的な効果は得られない。だが、冷え性改善が目的ならば十分だった。心臓の機能を僅かばかり強化して血の巡りをよくするのがコトラの狙いだ。


(手先が冷えるのは血の巡りが悪いからだって言うしね)


 その効果のほどは、目の前の女性の絶賛によって知れる。思い込みによって多少水増しされているところはあるかもしれないが、十分な効果が得られていると思って良いだろう。


「いや、本当に良いお店を見つけたわぁ。ご近所さんにもついついオススメしちゃってね」

「ありがとうございます。おかげさまでちょっとずつお客さんも増えてます」

「あらぁ、本当? それなら良かったわ」


 おばさん……いや、ご婦人はお喋りな性格らしく、その発信力はかなりのものだ。ここ数日で伸びている客足のうち大半はご婦人の縁によるものと思われる。しかも、類は友を呼ぶ、ではないが、増えた客の多くはおしなべてお喋りだ。この分なら、更なる客が見込めそうだった。


(やっぱり、噂話の力は侮れないわね)


 マグニルの識字率は30%ほど。都市部に限れば50%は下らない。となれば、宣伝のためにビラを配るという手段もないではないが、紙は未だに高い。店の宣伝にばらまけるほどの資金はなかった。


 他にも導音機の放送で宣伝を流して貰うという手段もある。だが、その費用はビラを作るよりも更に高額だ。


 導音機は、放送局から伝送されてくる音声を受信し、出力する魔工機である。放送局が発信した放送音声が、都市ディベロの全域に設置された中継器を経由して、個別の導音機に伝わるという仕組みだ。


 放送内容は、王家主導の下で放送局が決めている。しかし、その中に民間の希望者を募って放送を任せる枠があった。内容は事前に確認されるものの、王家批判や公序良俗を損ねるようなものでもない限り制限はない。


 とはいえ、無償で使えるわけではなく、中継器などの設備に関する維持管理費に使うという名目の協力金を支払う必要がある。この協力金がかなりの高額なのだ。


 そのため、利用するのはディベロの富豪層ばかり。実質的に、大商会が傘下の店を宣伝する枠となっている。


 また、導音機は普及率もいまいちだ。人の集まる酒場や食堂なんかには置いてあることもあるが、それを除けば所有者は裕福な者たちに限られる。高級商品ならともかく、そうでなければ宣伝効果も微妙だ。もっとも、大商会は導音機放送の民間枠で宣伝することが一種のステータスになっているので、店の名前を売るという意味では良いのかもしれないが。


 一方で、噂話ならば費用はかからない。噂に上るほどの話題性が必要になるが、それさえ用意できれば、あとは勝手に宣言が進んでいくのである。くわえて、ご婦人の噂話は、実際に店に足を運んだ体験談だ。宣伝のビラにはない説得力がある。効果は抜群だった。


「お菓子も美味しいのよね」


 ご婦人が、美味しそうに口に運んでいるのは、コトラもお気に入りのクッキーだ。客が増えた数少ない弊害は、クッキーの取り分が減ってしまうことだとコトラは思っている。


 そんな内心を顔に出すことなく、「ありがとうございます」と頭を下げた。


(うん。どうにかして、店長にクッキーの量を増やしてもらおう)


 クッキーの不満はクッキーでしか解消できないのだ。


「値段も安いからついつい足を運んじゃうんだけど……問題は食べ過ぎちゃうことよね」


 機嫌良くお喋りを続けていたご婦人の顔が、ふいに曇った。彼女はお腹に手を当てている。空腹や満腹のサインではない。そこに忍び寄る不吉な存在を確かめているのだ。


「そうですよね。私も味見で食べちゃうので」


 釣られてコトラもお腹に手をやる。ちなみにコトラの食べる量は味見というレベルではない。それに比べればご婦人の食べる量など可愛いものだ。それを断固として味見と言い張っているので、ご婦人よりもコトラの方が不安は大きい。


 脂肪。それが、彼女たちが恐れる不吉な存在だ。クッキーがもたらす負の側面である。


「ねえ、あなた。このポカポカ茶みたいに、痩せるお茶は作れないの?」


 ご婦人の何気ない言葉に、コトラは衝撃を覚えた。冷え性と同じく、お茶で脂肪を減らせたら。何と素晴らしい発想か。


「お客さん、天才ですか!?」

「あら、やだわぁ! 何を言ってるの」


 照れたご婦人に背中をバチンと叩かれて少々咳き込みながらも、コトラは頭を巡らせる。残念ながらコトラに痩せ薬の知識はなかった。しかし、諦めるわけにはいかない。コトラのスマートなお腹のために。


「脂肪を燃焼させるには運動が一番……。ん? ポカポカ茶も内臓の動きが活発になるから、その分やせる効果もあるのかな?」

「あら、そうなの? すごいじゃない!」


 コトラの独り言に、ご婦人が反応する。しかし、考えごとに没頭するコトラの耳には届いていなかった。


「陽光樹の葉だけじゃ、せいぜいクッキー数枚分かしら。たくさん食べるなら、もっとエネルギーを消費しないと……」

「あ、あら? ねえ、店長さん。この子、大丈夫なの?」

「ああ、気にしないでください。いつものことですので」


 ご婦人の言葉にグーベルは緩やかに首を振った。処置なしといったところだろう。考え事に没頭すると、他のことに頭が回らなくなる性格はすでにグーベルも把握している。


 結局、コトラが思考の海から抜け出したのは、ご婦人が店を去った後だった。残念ながら、何枚クッキーを食べても太らない夢の痩せ茶は思いつかなかったが、ポカポカ茶には僅からながらダイエット効果があるという噂は広がり、喫茶店にはますます客が増えた。


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