8. コトラの特製茶
「すぐに用意しますから」
「すみません。ありがとうございます」
グーベルをカウンターの椅子に座らせた。まだ力が入らないのか、彼は机に突っ伏している。少しだけ調子を取り戻したらしく、言葉は幾分かはっきりとしていた。
とはいえ、根本的な原因であるマナ不足を解消しなければ、回復には到らない。コトラは急いで、カウンターに回る。
マナ欠乏症の薬として見た場合、月白草は他の薬草類と調合し、飲み薬として処方するのが一般的だ。しかし、今回はグーベルのやり方に準じて茶として用意する。他の素材が不足していることもあるが、グーベルの症状ならば月白草だけで十分だという判断だ。
(専門ではないけど、まあこれくらいはね)
研究所時代――といってもつい先日までそうだったのだが――の専門は魔術工学。とはいえ、魔法関連の知識は一通り修めている。月白草の性質を思い出しながら、コトラは煎じ茶の準備を進めた。
茶に使う水は井戸から引いている。濾過済みで煮沸すれば飲み水としても問題ない。が、今回は別の方法で水を用意することにした。
鍋に手をかざして、小さく呟く。それは世界に働きかける言葉だ。鍋には少しずつ雫が生まれ、やがて鍋半分ほどの水となった。
「……魔法の水を使うんですか?」
突っ伏したままのグーベルが、目を丸くする。
「ええ。成分を抽出するときは、魔術で生成した水の方が良いんですよ」
「そうなんですね。それは知りませんでした」
「味については私もわかりませんけど」
透き通って一見すると綺麗そうに見える水でも安全とは限らない。何故なら、見えない毒素が溶け出している可能性があるからだ。同じように、無色透明の水の中にも、多くの不純物が含まれている。水に溶け出した不純物は非常に細かいので濾過しても取り除くことはできない。
毒素は煮沸することで消えることもあるが、だからと言って全ての成分が消えるわけではない。煮沸しても不純物は残る。
一方で、魔術で生成した水は不純物がない純水。そのため、水に成分が溶ける余地が十分にある。つまり抽出に適しているのだ。
高品質の魔法薬を作るときなどは、そうしたことを配慮して魔術で生成した純水を使う。コトラはそれを月白草の抽出にも応用するつもりだ。
十分な水を用意したら鍋を火にかける。紅茶の場合には沸騰しはじめくらいの熱い湯を使うので、ひとまずは同じ程度に鍋を熱した。
(ギネルは温めの温度から溶け出すのよね。抽出効率を考えると、沸騰寸前のお湯だとちょっと熱すぎるかな)
水に溶け出す温度は物質によって異なる。基本的には高温になるほど、成分は水に溶け出しやすくなるのだが、だからといって沸騰寸前が抽出に相応しい温度かといえばそうではない。今回の場合はむしろ
どうしたものかと考えるコトラに、ベーグルが声をかける。
「どうしたんですか?」
「いえ、少し冷まそうと思って」
「それはどうして?」
紅茶ならば、沸騰し立ての熱湯で抽出するのが一般的だ。グーベルはあえて
どうせ冷ますまで待つ必要があるので、コトラはゆっくりと説明した。
「基本的に高温になるほど、各成分の抽出量が増えるんです。でも、マナ欠乏症に有効な成分――ギネルという成分なんですけど、これは比較的低温で抽出限界を迎えます。ギネルだけを抽出するなら、あまり温度が高すぎない方がいいんです」
説明を聞いて、ベーグルが小さく頷く。
「つまり、他の成分の抽出を抑えつつ、ギネルという成分を効率よく抽出するということですか?」
「そうです」
「でしたら、一度、別の器に移し替えると良いですよ。ポットに注ぐときにも温度が下がります。ただ、温度を下げすぎると香りが出ないのですが……」
グーベルが紅茶を淹れるときには、用意したお湯をティーポットに注ぎ、しばらくおいて捨てていた。あれはポットを温めるためにやっていることらしい。今回はあえて省略して、お湯を移し替えることで温度を下げる。
ちょこんとポットを触ってみれば、たしかに温度は下がっているようだった。
(正確な温度が測れないのは不便ね)
研究所の実験室には温度を測るための機材があった。それが使えれば便利なのだが、さすがに元人形工房でもそんな道具は置いていない。
となれば、感覚で温度を予想するしかない。二度ほどお湯の移し替えをしたところで、十分と判断した。あまり温度を下げすぎると、ギネルの抽出効率も悪くなる。そうなれば本末転倒なのだ。
「淹れてみますね。ギネルは抽出できていると思いますが、味はどうでしょうか」
コトラの淹れ方は、あくまでマナ欠乏症への効果を重視したもの。味は二の次だ。味と効果のバランスが求められるのは、魔法薬とはまた違った難しさがあった。
「香りはいいですね」
カップを受け取ったグーベルは、月白草の煎じ茶をそう評した。マナ欠乏症の気怠さは、好奇心で塗り替えられているようだ。経験のない淹れ方で供されたお茶に目を輝かせている。
しばらく香りを楽しんだ後、グーベルはカップを口に運んだ。味を確かめるように、慎重に一口含む。すぐに、その目が見開かれた。
「これは……! たしかに、僕が淹れるものよりも、ギネルという成分が多く含まれているみたいですね。マナが染み渡っていくのがわかりますよ。それに渋みが薄れて飲みやすいです。水と温度でこれほど変わるものなのですね」
「それは良かったです」
コトラも、余った残りを一口飲んでみる。たしかに、以前飲んだものよりも渋みが抑えられ、代わりに甘みが強いように感じられた。
(うん。意外と美味しいんじゃないかしら。普通に淹れるよりもいいかも)
渋みも茶の味わいのひとつではあるが、苦手な人もいる。かくいうコトラも、少し苦手だ。渋みが苦手な人向けの淹れ方として考えてみる価値はありそうだった。少し手間はかかるが、悪くない。
「それにしても、コトラさんは博識なんですね」
一息ついたところで、グーベルがにこりと笑みを浮かべた。月白草の茶の効果もあって、顔色も幾分良くなっている。
「たまたまですよ。前の仕事に関係していただけですから」
「そうですか? それでも、その知識は素晴らしいと思います。よければ、僕と一緒にお茶の淹れ方を研究してみませんか。コトラさんが力を貸してくれれば、もっと美味しいお茶を淹れることができるかもしれません」
グーベルがキラキラと目を輝かして語る。
(工房を残すためって言っていたけど、やっぱりお茶を淹れるのが好きなのね)
微笑ましく見守っていると、その視線に気付いて、グーベルは顔を赤らめた。
「すみません、ちょっと興奮してしまって」
「いえいえ、研究熱心なのはいいことですよ。私も興味があります」
興味があるというのは本心だった。淹れ方によって味が変わるのは面白い。味を引き出しながら、薬効を最大限に引き出すにはどうすべきか。月白草ではなく、他の薬草を使えばどうか。そういったことを考えて、試していくのがコトラは好きだ。
店長の観察に、美味しいクッキー。それとお茶の研究。衝動的に喫茶店で働くことを決めたけれど、楽しみは増えていく。
「そうですね。やってみましょうか」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「いえいえ、こちらこそ」
子供のようにはしゃぐグーベルに、コトラもそれに劣らない笑顔を返した。
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