7. 倒れるグーベル

 警邏隊二人組の来店以降、ドールハウスにもポツポツと客が入り始めた。とはいえ、未だに客が全く入らない時間の方が長い。


「店長もちょっと休憩しませんか?」


 クッキーを頬張りつつ、コトラが呼びかける。のんびりと過ごす彼女とは違って、グーベルは客がいない時でも忙しくしている。珈琲・紅茶の淹れ方の研究や、新メニューの開発に取り組んでいるらしい。当然、材料費が嵩むので、客入りを考えると大赤字だ。にもかかわらず、グーベルはひたすらクオリティアップに取り組んでいる。形振り構わず良い物を目指す姿勢は、バルターからしっかりと引き継いでいるらしい。


「クッキー、美味しいですよ。食べなくていいんですか?」

「僕は食が細くて多くは食べられないので、コトラさんが……って、そうじゃないですよ!」


 和やかに返事をするグーベルだったが、途中で対応の仕方を間違えていることに気がついたのか、僅かに声を荒らげた。だが、コトラはどこ吹く風だ。柔和な店主が少し怒ってみせたくらいで、怯むような性格はしていない。


「どうしたんですか、いったい?」

「いや、あのね、コトラさん。そのクッキーはお客様に提供するためのものなんですよ」

「知っていますよ。でも、今日はこんなにたくさんありますし……」


 言いながら、コトラはカウンターの隅に新たに設置された箱の扉を開いた。開いた扉の隙間からひんやりとした冷気が漂ってくる。


 コトラが開いたその箱は、氷冷庫と呼ばれる魔工機だ。アニムという魔法エネルギーを消費することで、氷を生成し庫内を冷やすことができる。今はクッキーをはじめとした焼き菓子が納められていた。


 氷冷庫は珍しい魔工機ではないが、それでも気軽に手に入るようなものではない。マグニルの王立魔道研究所から認可された一部の職人しか製造方法を知らず、生産量が限られているためだ。当然ながら、普及している魔工機――例えば、魔工ランプ――に比べると、桁違いに値段が高い。


 それが、何故、閑古鳥が鳴いているような喫茶店に配置されているかといえば、コトラが適当な材料で作り上げてしまったからだ。魔工機を作るには特殊な素材も必要となるのだが、それすら人形工房に残された素材の中から探し出してきた。グーベルは何故そんな素材がと首をひねっていたが、あったのだから仕方がない。


 その上で、氷冷庫があればクッキーの作り置きができますよとグーベルに囁いたわけだ。どういう企てだったのかは、語るまでもない。


「でも、それはコトラさん用に焼いたわけじゃないんですよ。材料費だってかかってるんですから」

「じゃあ、これは私のお給料ということで。ああ、氷冷庫の代金もクッキーでいいですよ」

「いや、それはそれで問題があるような」

「何がです?」

「クッキーで支払うとしたら、何枚分になるのやら」


 氷冷庫は、クッキーを食べたいコトラが勝手に作って勝手に設置したものだ。そもそも、全ての材料は工房で余ったものを使ったので、金銭的負担はない。だから、コトラは氷冷庫の代金を受け取るつもりはなかった。


 とはいえ、グーベルの立場で考えれば、無料で受け取ることに抵抗があるのも理解できる。氷冷庫の価格の大部分は材料費ではなく技術料だ。秘匿された製法、高度な技術力。それらに支払われる対価が上乗せされることで高額となる。材料が持ち出しとは言え、普通ならば支払うべき報酬は製品を買うのと大差ない。


 それがわかっているからこそ、コトラはクッキーを対価にしようと提案したのだ。グーベルは高額な報酬を支払わずにすみ、コトラも遠慮なくクッキーが食べられる。まさに理想的な取引だ。


「クッキーが食べ放題ですね」

「コトラさんなら本当に食べ尽くしてしまいそうですが」

「失礼ですね。お客さんの分はちゃんと残しますよ。……多少は」

「……あの、お手柔らかにお願いしますね。本当に」


 コトラの目に本気を見たらしいグーベルが、頬を引きつらせながら嘆願する。さすがのコトラも、そう言われれば引き下がらざるを得ない。氷冷庫の方を未練がましく見つめたあと、頷く。


「仕方がありません。これで最後にします」

「そうしてください」


 クッキーの全滅を避けられたことにホッとしたのか、グーベルが大きく息を吐いた。ただ、その表情は未だに優れない。原因はクッキーだけではなさそうだ。


「やっぱり、休んだ方がいいですよ、店長。体調が悪そうです」

「いえ、僕は――……」


 休息をとるように呼びかけても、グーベルは取り合おうとしない。だが、彼が言いかけた否定の言葉は最後まで紡がれることなく途切れた。まるで糸の切れた人形のように、その体はすっかりと力が抜けてしまったようだ。倒れ込みはしなかったが、バランスを崩して座り込んでしまった。


「店長、大丈夫ですか!?」

「……大丈夫。平気です」


 駆け寄って肩を抱くと、グーベルは微かな笑みを見せた。その顔に力はなく、とても平気とは思えない。まだ体に力が入らないのか、ぐったりとしている。


「すぐに起き上がりますので……」

「何を言ってるんですか。じっとしていてください」

「いえ、そうも言っていられないのです」

「月白草ですよね。私が準備しますから」

「ご存知でしたか……」


 月白草は、マグニルに自生する植物だ。乾燥させたものを煎じて、茶として飲むこともある。


 そして、魔法薬に使われる薬草の一種でもあった。その主な効能はアニムを体に馴染ませ、マナへの変換を効率化するというもの。


 アニムとは世界に漂う指向性のない魔法エネルギーであり、生き物が体内に取り込んだアニムをマナと呼ぶ。マナは個人ごとに特有の指向性を持ち、それが魔法的な資質を決定づけると言われている。


 マナは人体に不可欠なもので、魔法が扱えない者でもそれは同じだ。


 通常、身体が必要とするマナは、特に訓練せずとも人間が元々持っている変換能力で十分に賄える。だが、ごく稀に、アニムをマナへとうまく変換できない者がいるのだ。身体に必要なものが不足するのだから、当然、悪影響が生じる。これをマナ欠乏症と呼ぶ。恒常的な眩暈や頭痛が、その主な症例だ。月白草はマナ欠乏症の特効薬ともいえる薬草だった。


 グーベルが月白草の煎じ茶を愛飲していることは、コトラも知っていた。そして、それがマナの欠乏を補うためであることも予想していた。たが、グーベルが何も言わなかったので、それについて触れることはしなかったのだ。

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