5. 探る目つき

「それにしても、喫茶店を始められるとは意外でした」


 用件は済んだはずだが、レパンたちはすぐには帰らなかった。彼は、キョロキョロと店内を眺めている。レパンほど露骨ではないが、エクレーヌも似たようなものだ。


 とはいえ、コトラにも気持ちはわかる。彼女自身、初めて訪れた日には、同じように店内を見回したのだから。


 人形工房の名残が残る喫茶店は、独特の雰囲気があって、不思議な世界に迷い込んだかのような気分になる。上手く扱えば喫茶店のアピールポイントになるかもしれない。


「エクレーヌ君。せっかくだから少し休んでいこうか」

「あまり長くならないのなら、構わないと思います」

「ありがとうございます」


 グーベルは、客二人に向かって頭を下げたあと、コトラに案内を指示した。彼自身は準備のためにカウンターへと向かう。


「それではこちらに」


 指示を受けたコトラが、二人をテーブル席へと案内しようとするが……それはレパンによってやんわりと止められた。


「せっかくなので、カウンター席でお願いできるかな?」

「え……? はい。構いませんよ」


 カウンターの奥は調理スペースだ。急造の喫茶店で、無理に作業スペースを確保したような場所なので、見栄えはしない。とはいえ、椅子が用意されている以上、客を座らせるつもりはあるのだろうと、コトラは気にせず案内した。


「おや、こちらの席で?」

「ええ。仕事ぶりを拝見させていただこうかと」

「それは緊張しますね」


 貴公子然とした笑顔で挨拶するレパンと、完成された笑顔で返すグーベル。色恋に興味が薄いコトラでさえ、美しいと思う二人だ。ここにご婦人がいれば、二人の笑顔に頬を染めることは間違いないだろう。残念ながら、ここにいる客は彼らだけだが。


「……っ」


 いや、頬を染める女性は一人だけいた。エクレーヌだ。少しの間、惚けていたようだが、コトラに見られていることに気付いて、顔を逸らした。反応が面白くて少しにやけてしまうコトラだったが、客商売として相応しくないと思い、顔を引き締める。


「ご注文は?」

「そうだね。僕は珈琲を貰おうかな。エクレーヌ君はどうする?」

「私は紅茶で。その……クッキーもお願いします」

「かしこまりました」


 注文を受けたグーベルが、作業を開始した。その様子をレパンがじっと観察している。その眼光は鋭く、とても仕事の様子を見届ける目つきとは思えない。


(店長も容疑者の一人ってことかしらね。まあ、その判断がおかしいとは思わないけど)


 コトラからすれば、グーベルが彼の死に関わっているとは思えなかった。だが、その思いを口に出しはしない。疑うのがレパンの仕事だ。不当に決めつけられているわけでなければ、コトラが関与すべきことではない。


 グーベルはレパンの視線に気付いていないのか、お茶を用意するのに集中している。


(いけない。私も仕事をしないと)


 とはいえ、コトラが任されているのは基本的に仕事と洗い物だ。特に、営業時間内の洗い物は全てコトラが請け負っている。どうも、グーベルは人前で手袋を外すことを嫌っているようだ。当人は営業時間が終わってから片付けるから問題ないと主張していたが、それならとコトラが請け負った。


 珈琲と紅茶を用意するのはグーベルの仕事だ。そちらは任せるように言われているので、できるのはクッキーの用意ぐらいだった。その用意も、小皿に数枚のせるだけである。


 クッキーはグーベルが早朝から起き出して用意したらしい。以前、客として食べたときと変わらず、ほどよい甘みで大変美味しい。クッキーといえば保存性を高めるために堅焼きで作ることが多いが、グーベルの作るそれはバターをたっぷり使って柔らかく仕上げている。サクサクとした歯応えも絶妙だ。


 今朝も味見で食べさせてもらった。失敗だったのは、一枚と言われていたのに、ぱくぱくと数枚食べてしまい、グーベルを困らせてしまったことだ。特製クッキーは保存性の問題があるので、売り切れて無駄にすることを心配して、作る量を最低限にしているらしい。コトラの試食のせいで、客に提供できる数が減ったしまったというわけだ。


(氷冷庫でも作ろうかしら。それなら保存期間も伸びるし、たくさん作り置きもできる。それなら、味見をしても……)


「コトラさん、コトラさん」

「……はい?」

「はい、じゃないですよ。どうしました?」


 気がつけば、グーベルが困惑した表情でコトラを見ていた。先程まで、お茶の準備をしていたはずだが、それはすでに終わっているようだ。レパンとエクレーヌの前にはいつの間にか珈琲と紅茶がそれぞれ置かれている。少々、クッキーの味に思いを馳せる時間が長すぎたようだ。


「どうぞ、ごゆっくり」


 小さく笑って誤魔化して、コトラはクッキーの小皿をエクレーヌに差し出した。一瞬の沈黙のあと、空気を読んで誤魔化されてくれたのはレパンだ。彼はコホンと小さく咳払いをしたあと、珈琲のカップを持ち上げて、興味深げにしげしげと眺めた。


「珍しい作り方をしていましたね。この店独自の方法ですか?」


 マグニルにおける一般的な珈琲の作り方は、細かく砕いた豆を鍋で煮だして抽出し、カップに注ぐという方法だ。砕いた豆の粉が沈殿するのを待って、上澄みの液体を飲むのである。


 一方で、グーベルは変わった淹れ方で珈琲を作る。容器の上に布製の漉し器を設置し、そこに粉砕した豆の粉を入れておくのだ。その上から、ゆっくりとお湯を注ぐことで珈琲が豆から抽出される。


「祖父が好んだ作り方なんです。何分、せっかちな性分だったもので、粉が沈殿するまで待てなかったそうで。それに、豆が浮き上がらないようにそっと飲むというのも面倒だと言っていました」

「ははは、なるほど」


 職人には気忙きぜわしい性格の者が多い。粉が沈殿するまで待つ時間すら惜しく感じるのだろう。苛々と珈琲を待つバルターの姿は想像に容易かった。


 ひとしきり笑ったあと、レパンがカップを傾けた。目を細め、満足げな表情を見せる。


「ふむ。味は薄めですが、さっぱりとして悪くないね」


 特製珈琲がお気に召したらしい。


「エクレーヌ君。紅茶の方はどうだい?」

「私はレパン様ほど飲み慣れていませんので、紅茶について詳しいわけではありませんが……とても飲みやすくて美味しいと思いますよ」

「へぇ。次の機会には紅茶を飲んでみようかな」


 珈琲も紅茶も庶民に広まりつつあるとは言え、嗜好品だ。特に紅茶は、庶民が頻繁に手を出すにはまだ値が張る。それを飲み慣れているというのなら、レパンは上流階級の生まれなのだろう。そう思えば、カップを持つ仕草も優雅に感じられる。


(良いところのお坊ちゃんかしらね?)


 なんとなく、コトラの中でレパンのイメージが定まった。

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