3. コトラの思いつき
「す、すみません。少し舞い上がってしまって」
「いえ、構いませんよ。ところで、一つ聞いてもいいですか?」
打ち解けてきたと見たコトラは思い切って、気になっていることを聞いてみることにした。問われたグーベルはきょとんとした顔をしている。
「なんでしょう?」
「どうして、ここで喫茶店を開こうと思ったんですか?」
コトラが気にしたのは、彼が人形工房で喫茶店を始めた理由だ。人形師の孫が人形師を継ぐとは限らない。とはいえ、この場所で喫茶店を始める必然性もないように思える。元工房なので、とても喫茶店向きの内装ではないのだ。建物を活かすにしても、きちんと改装した方が良さそうなものなのに。
「ああ……そのことですか」
率直な問いに、グーベルは苦しそうな表情を浮かべた。
「僕は祖父の工房を残したいんです。ここは僕にとっても大切な場所なので。とはいえ、僕に人形師の才能はありませんから」
「だから、喫茶店を?」
コトラは首を傾げる。工房を残すという目的ならば、ますます喫茶店をはじめる理由がない。
グーベルは言いたいことはわかっているとばかりに頷いた。
「コトラさんがいらっしゃったときに、店の前にいた男を覚えていますか? あの男が土地を買い取りたいとうるさいんです。もし、工房をそのままにして使わなければ、買い取り交渉が激しくなるでしょうから、無理矢理にでも何かに利用した方が良いと思って」
「なるほど」
グーベルにとって喫茶店は目的ではなく、あくまで地上げ屋に対する対抗手段。利益よりも、営業しているという事実を求めている。その結果、内装は二の次になってしまったようだ。
「僕にできることといえば、こうしてお茶を入れることくらいですから。でも、お茶には自信があるんですよ。祖父も美味しいと言ってくれたんです」
グーベルとバルター。二人の交流はそれほど長くはなかったはず。それでも、バルターと人形工房への想いが十分に伝わってくる。
(事情はわかったけれど、地上げ屋がそう簡単に諦めるかしら?)
地上げ屋の全てが強引な手段で土地の買い取りを進めるわけではないが、先程見た地上げ屋は荒っぽい言動で、穏やかとは言い難い雰囲気だった。何より“このままでは計画が”という言葉が気にかかる。計画が上手くいかない苛立ちに、客の来ない喫茶店など強引な手段で潰してしまえと考えてもおかしくはない。
(でも、人気店になれば少しは躊躇うかもしれないわね)
客が増えれば、その客が味方になってくれる。目撃者が多くなれば、強引な手段も取りにくくなるだろう。証言があれば警邏隊に訴えることもできる。
(やっぱり、喫茶店にお客さんを呼び込むのが一番よね)
そこまで考えて、コトラはクッキーに目を向けた。紅茶は文句なく美味しい。では、クッキーはどうか。
一枚とって口に運ぶ。サクリと軽快な歯触りのあと、ほどよい甘さが口の中に広がった。
「美味しい! これも店長さんが?」
「はい、そうですよ」
「ふむふむ」
提供する商品の質は高い。そして、バルターの人形は余所にはない魅力だ。人気を獲得できる要素は備えているように思える。
問題は立地だ。古い建物が並ぶこの区画は、かなり人通りが少ない。興味を持った通行人が足を運んでくれるなんてことを期待しているだけでは、客が集まらないだろう。
(できれば協力してあげたいところだけど。研究所は……まあ、いいか。最近、嫌気が差してきたところだし)
コトラは、すっかりとこの喫茶店の雰囲気が気に入っていた。その上で、グーベルにも興味がある。彼が喫茶店をどうやって運営していくのか、それを見届けたいと思った。
興味関心の赴くままひた走るのがコトラの良い面であり、悪い面でもある。数秒で考えをまとめると、立ち上がり高らかに宣言した。
「決めた。私もここで働きます!」
「……え!? どうしてそんな結論に?」
グーベルが驚く。特に働き手の募集もしていないところに、一方的に宣言されたのだから当然の反応だ。しかし、それでもコトラは止まらない。
「駄目ですか?」
ぐいっと詰め寄られて、グーベルは一歩退く。しかし、後ろはすぐ壁だ。それ以上は逃げられない。二人はカウンター越しに向かい合う形となった。
「……駄目というか。正直に言いますと、従業員を雇うお金がないんです」
「でしたら、まずは私にお給料を払えるくらいの儲けを出さないと駄目ですね」
「ご、強引ですね。先程も話しましたが、このお店はあくまで地上げ屋対策です。だから、利益を出す必要はないんですよ」
「それだけでは不十分です」
茶葉の仕入れや建物の管理と維持に資金がかかること。不人気であれば、地上げ屋のちょっかいは止まらないこと。そんなことを一つ一つ説明して、グーベルを説得する。
「それに、店長さんはお茶を入れるのは好きなんでしょう?」
「それは……そうですね」
「だったら、色んな人に飲んで貰いましょうよ、店長さんのお茶を」
その言葉に、グーベルは心を動かされたようだ。少し考えたあと、彼は逆にコトラに問いかけた。
「コトラさんの言うとおり、あの男を諦めさせるには、喫茶店を開く程度では足りないかもしれません。そういう意味では、できるだけたくさんのお客さんに来て貰った方がいいのはわかります。でも、どうしてコトラさんはうちで働こうという気になったんですか?」
「店長のお茶のファンになったからですよ。店長がこのお店をどんな風にしていくのか、興味があるんです。それと、バル爺が残したものを見届けたいから、ですかね」
コトラは真っ直ぐとグーベルの目を見て答える。グーベルもまた、コトラの心情を読み取ろとするかのごとく、彼女の目をじっと見た。数秒の間、そのままの状態で二人は見つめ合う。
「わかりました。コトラさんさえよければ、僕の喫茶店で働いてもらえますか」
「ええ、喜んで」
結局、折れたのはグーベルだった。コトラは満面の笑みを浮かべる。これで目的は果たせそうだ。
「それでは、従業員のコトラさんには早速相談があるんですが……」
「何でしょうか」
グーベルは恥ずかしそうな表情でコホンとひとつ咳払いをしてから、相談事を持ちかけてきた。
「先程の紅茶は、幾らくらいの値段設定にすればいいんでしょうか」
「今は幾らなんですか?」
「……まだ決まってません。コトラさんが最初のお客さんだったので」
「はい!?」
なんと、値段すら決めずに営業を始めたらしい。どうやら、グーベルはお茶の淹れ方には熟達しているが、それ以外はさっぱりのようだ。
「もう。しっかりしてくださいよ」
ため息を吐いて、コトラはグーベルの髪を一本引き抜いた。
「痛ぁっ! 何をするんですか!」
「いいじゃないですか。減るものじゃありませんし」
「いや、確実に一本減りましたよ!」
「まあまあ。相談料だと思ってください」
「意味がわかりませんよ……」
少し涙目のグーベルをなだめつつ、コトラは考える。
(まだ、確証はないけど、彼はきっとそうなんだと思う。彼が何を考えて、何を為すのか。ちゃんと見届けないとね)
バルターの死を知り、鬱屈としていた心はすでに晴れている。彼の代わりに、彼の残したものを見守ろう。それはきっと、コトラの好奇心も満たしてくれるものだから。
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