2. 人形の喫茶店
喫茶店という形式はディベロではまだ珍しい。飲食物を出す店といえば大衆向けの食堂くらい。隣国の影響で茶を楽しむという文化が少しずつ浸透しているが、影響が強いのは上流階級に留まっている。茶の原料の多くを輸入に頼っているせいで、庶民が気軽に楽しむにはまだまだ高価なのだ。
(喫茶店……には見えないわね)
バルターは職人気質で商売っ気のない人間だった。そのせいか、人形工房には看板すら出しておらず、多くの人はその存在に気付いていなかったことだろう。青年の言う喫茶店も、外観は人形工房だったころのまま。申し訳程度に小さな置き看板が設置してあるが、少々アピールには欠ける。
(喫茶店ドールハウス、か。中はどうなってるのかしら)
工房の様子を確認するという当初の目的は果たした。しかし、コトラの関心はすでに青年と喫茶店に向いている。
(でも、せっかくだしね。彼のことも気になるし)
あの青年は実に興味深い。彼が何故、喫茶店を始めようと考えたのか。その理由も気になった。好奇心の虫がひょっこりと顔を出している。こうなると、コトラは止まらない。
「あの、まだ開いてますか?」
「あ、お客様でしたか。お見苦しいところをお見せしました。どうぞこちらへ」
青年は、苦笑いを浮かべた後、コトラを店へと誘った。
ドアの向こうは、以前見た光景と変わっている。道具類が乱雑に置かれていた傷だらけの机は片付けられ、小さめのテーブルが幾つか並んでいた。それでも工房の名残を感じさせるのは、壁際に並べられた人形たちだ。
(お茶会のホストとして、お客さんを迎えているみたいね)
コトラは微笑を浮かべた。雰囲気は悪くない。
「バル爺の人形、そのまま残してあるんですね」
「はい。祖父……ええと、バルターとは知り合いだったんですか?」
「ええ。バル爺とは仲良くさせてもらってました。人形工房にも何度か足を運びましたよ」
「そうでしたか」
青年はグーベルと名乗った。二週間ほど前から、ここでバルターと暮らしていたらしい。
「本当に元気だったんですよ。あの日も、僕に次の人形の構想を聞かせてくれました。なのに、突然倒れて……」
「そうだったんですか」
病気や老衰なら前兆がありそうなものだが、話を聞く限りでは本当に唐突の死だったようだ。ラジオで死因の言及がなかったのは、特定できていないからなのかもしれない。
(一緒に過ごしたのは二週間か。それでもバル爺にとっては特別の時間だったろうな)
心の内は本人にしかわからないが、それでも悔いは残さなかったに違いない。コトラはそう信じた。
もう一度、店内を見回す。喫茶店と名乗ってはいるが、人形工房の一部を無理矢理それらしく整えただけだ。喫茶スペースは広いとは言えず、テーブルは四卓のみ。他には長机を適当に並べたカウンターがあるくらいだ。
右手側には衝立で仕切られている場所があって、隙間からは見覚えのある机や道具類が覗いている。人形作りの道具類は、とりあえずその場所に押し込めているようだ。内装を整えるより喫茶店として営業することを優先した結果なのだろう。だが、さすがに大雑把と言うほかない。何かよほどの事情でもあるのだろうか。
(喫茶店としてやっていくには、ちょっとこじんまりとしすぎてる気がするわね……。まあ、今のところ問題はなさそうだけど)
スペースの狭さはあまり問題となっていないようだ。何故なら、コトラを除けば、誰一人として客がいない。客の多い時間帯ではないとはいえ、経営は大丈夫なのか。余計なことかもしれないが、コトラは少し心配になった。
とはいえ、バルターが亡くなってから改装したというのなら、つい最近のはずだ。現時点で認知度が低いのは当然だった。客が増えるとしてもこれからだろう。
グーベルに続いて、店内を進む。彼がカウンターに入るので、コトラはその正面に座った。
「そういえば、バル爺の孫、なんですね?」
「はい。といっても、こちらで過ごしたのは二週間ほどですから、知っている人はあまりいないと思いますけど」
「あんまり、そう言う話をする人じゃありませんでしたからね」
寡黙というわけではないが、バルターは個人的な話をする性格ではなかった。彼の口から出る言葉は人形のことばかりだ。そんな人だったから、近所の住人でもグーベルがバルターの孫であることを知る人はほとんどいないだろう。
コトラもバルターから孫の話を聞いたことはない。当然、面識もない。だが、気に掛かることがあった。
「うーん、二週間ですか。私のことは覚えてませんか?」
「え、初対面ですよね? 少なくとも、この二週間でお会いしたことはないと思うんですけど」
コトラが最後に工房を訪れたのは一ヶ月前。グーベルがコトラを知らないというのも当然のことだった。
「……そうですよね。何でもないです」
若干残念に思いつつも、仕方がないと諦める。代わりにというわけではないが、グーベルの顔をじっと見つめた。
「それにしても――」
「な、なんですか?」
視線の強さに怯んだのか、グーベルが上擦った声で問う。それを無視して、コトラはグーベルの顔を観察した。
見れば見るほど整った顔である。そこにバルターの面影は見つからない。無論、彼の若い頃の姿を知るわけではないのだが。
(この顔がバル爺みたいになったら、ちょっとビックリよね)
グーベルは貴公子然としているが、バルターはどちらかと言えば強面だった。無駄に眼光が鋭く、人形師というよりも盗賊の親玉と名乗った方が信じられる。もし、若い頃のバルターがグーベルのような姿だとしたら……月日というのは残酷であると言わざるを得ない。
「バル爺とは、全然似てないですね」
「そうですか。似てませんか……」
コトラの指摘に、店主はがっくりと項垂れる。ショックだったらしい。
「まあ、気にしなくていいと思いますよ。似ていない親子なんて珍しくないですから」
そんな慰めのような言葉をかけると、グーベルは微妙な顔で頷いた。
「それでご注文は?」
「ああ、そうですね。ええと……」
コトラは視線を彷徨わせた。メニューの類いはないらしく、何を頼んだものか見当もつかない。なので、素直に尋ねることにした。
「……オススメは何です?」
「珈琲とクッキーのセットですよ」
「ああ、珈琲。バル爺が好きでしたね」
「そうなんです」
珈琲も輸入に頼っているが、それでも紅茶に比べれば安く手に入る分、庶民にも普及している。愛好家も多く、バルターもその一人だった。
「それじゃあ、紅茶とクッキーで」
「……今の話の流れはなんだったんですか」
「すみません。苦いのは苦手なので」
それじゃあ仕方がありませんね、と頷いて、グーベルは準備をはじめた。その様子をコトラは無言で眺める。
グーベルの所作は淀みない。コトラは紅茶の入れ方に詳しいわけではないが、それでも彼の手つきは慣れているように思えた。
「お待たせしました」
紅茶が注がれたカップと、数枚のクッキーがコトラの前に差し出された。白いカップに鮮やかな紅が映える。鼻腔をくすぐる香りはまるで果実のように爽やかだった。
「それと、こちらを。お好みでどうぞ」
グーベルが追加で用意したのは小さな壺と匙。ぴっちりとした木蓋をどけると、中には上等な白砂糖がぎっしりと詰まっている。
これほどまでに純度の高い砂糖は、まだまだ貴重だ。庶民の口には入らないとまでは言わないが、このように好きに使えとばかりの大盤振る舞いは普通ならありえない。
コトラは思わずぎょっとして、グーベルの顔を見た。そこには悪意のない微笑みが浮かんでいる。少なくともコトラの戸惑いは伝わっていないらしい。
(も、もしかして、一杯の値段が途方もなく高かったりして。最初に尋ねておくベきだったかしら……)
内心で動揺しつつ、砂糖をちょこんとだけ掬ってカップに落とす。砂糖の量はあくまで好みであり、決して値段を想像して怖じ気づいたわけではない。そう、決して。
「美味しい……」
ひとくち飲んで、思わず言葉が漏れた。
紅茶は何度も飲んだことがある。しかし、今まで飲んだものよりも、ずっと美味しかった。香りが豊かで、渋みが少ない。爽やかで柔らかい味だった。
「本当ですか? ありがとうございます」
グーベルの顔に笑みが浮かぶ。純真無垢で、見ているコトラまで嬉しくなるような、そんな笑みだ。二人してニコニコと笑い合っていると、いち早く正気に戻ったグーベルが恥ずかしそうに目を伏せた。
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