番外・怒りの子

鴉の視界を通して最後に見たものは、大八車を引く老婆の後ろを覚束無げに追う少年の背中だった。

絶命の瞬間にも似た長い溜息を吐き尽くして伊湖いこは身体を起こした。ここ数日は昼も夜もなくこの窓のない真っ暗な部屋の中で篭り続けていたため自律神経はすっかり狂っており、身体中に倦怠感が満ちている。加えて動物の視界は人間のそれとは大きく異なるためこの数日間は眼と脳に負担がかかり続けていた。

目蓋を覆っていた札を慎重に剥がし、手探りで水差しを掴み喉を潤す。自分の喉が鳴る音がよく聞こえた。


「なんなの?あの2人」 


抜け忍を追い討つ部隊が編成された事を突き止め、うまく口説いて術を仕込んだ鴉を同行させた甲斐はあった。

伊湖が慕う浜万は死んでおらず、生きている。正確にはあの憎たらしい巨漢で丸眼鏡の無名に殺されそれを蘇生させたとの顛末だった。

人の死にまで干渉する術は理論上あってもおかしくはないと思っていたが、まさか現実に存在するとは思っていなかった。他にも荒唐無稽な術は存在するとの事だがどこまで信じていいものかわからない。

しかし目にした通り浜万は生きている。本人が自分自身の状態をどう捉えているのかは分からないが、他の人間が見れば間違いなくこの男は生きて動いているという事実を認識する。その認識に浜万自身が感じた死の実感は関係ない。


「何で自分が殺したり殺された相手とつるんでるの?」


狂気による行動としか思えなかった。

あるいは諦観主義の極みによるものか。

いずれにしろマトモではない。

無名の忍びが浜万を殺した一連の流れに2人の自由意志があったわけではない事は調べがついていた。極秘で同士討ちの依頼が入りそれに応えた結果だと。

しかしそれ以降起きた事は側から見て全く理解できないものだった。なぜこんな無軌道な事ばかり繰り返しているのだろう。里から遠くに逃れたいのかと思いきや、大した目的もなく里に戻り、畑を燃やし、追手を皆殺し、そしてまたどこかへと逃れる。これが何に至るための過程なのか、伊湖には全く読めなかった。


誰にも明かした事はないが、以前無名の忍びに単身で戦いを挑んだ事がある。相手は個別の名前も賜れない雑魚だと思っていたが手加減は何一つしていない、にも関わらず大敗を喫した。無名がなぜこのような力を隠していたのかも分からないが、最も分からなかったのは自分を生かしておいた事だった。そんな事をすれば再び己を燃やしかねない火種になり得ると分かったはずだ。むしろそれを狙ったと考えた方がまだ説明がつく。


ただ傍観するだけでは限界があると実感した。

これ以上なにかを知る為には、再び自分自身が彼らに干渉をしなければならない。

それが憎き男の意のままであったとしても。

拾った命を再び捨てることになったとしても。

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オタクくん、若き芽を摘む。 梅緒連寸 @violence_

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