白昼

何かの聞き間違いだと思った。

自分が死ぬ事自体はおかしくはない。昨日の夜は事実そうなると思っていたから。

信じられなかったのは目の前に立つ男の表情だった。自分を殺す者がこんなに人当たりの良い笑みを浮かべているという事が、容易には飲み込めなかった。


「ハッ、なんだ、結局そうなるのかよ」

浜万のせせら笑いには本人でさえ言い表しようのない苛立ちが滲んでいたが、それに気付く者はいない。


「散々ダラダラ歩かせて人目につくとこまで行って、それで結局これか。この過程に意味あった?」

「だって可哀想でござるよ、こんなに適性のない仕事をやらされてまずい飯を食わされ続けた挙句に死ぬなんて。せめて最後に美味しいものを食べてあの世に行っていただきたいと思いましてな」

「ああそう。子供に優しいとは、オタクくんにもいいとこあるね。俺には10歳を殺すのと20歳を殺すのがどう違うのか分からないからな」


少年に死の宣告をした後も2人の忍びは変わった様子もなく言葉を交わす。彼らの会話は10年来の馴染みに対するもののように砕けているがどこかずっと刺し合うような刺々しさが付きまとっている。自分を気にしているようには見えないがたとえば今突如逃げ出したり、よしんば斬りかかったとしても即座に両者いずれかに対応されることを少年は察知していた。

僅かにも慣れあえたような気がしていたが今ではそれがとんだ錯誤であったと身に染みて分かる。他の忍びよりも頭ひとつ飛び抜けてこの2人は人を殺しすぎていた。同じ食卓についてものを食べたり、世間話をしたり、その後でなんの躊躇いもなくさっきまで談笑していた相手の息の根を止めることができる。時にはお互い同士でさえも。


「あの、やっぱり、そうなりますよね」

「そうなるでござるなあ〜。本当に気の毒でござるが、拙者たちに出会ってしまった時点で詰んでしまっているでござる。だって拙者たちがたとえばウサギどのを見逃したところで、もう里で無事で過ごすことも出来ないでござるから」

「えっ、そうなんでしょうか」

「抜け忍を殺し損なった事が噂にでもなれば示しがつかないし、上が欲しいのは下忍の命じゃなくて拙者を確実に殺す為の手がかりでござるよ。だからウサギどのがノコノコ帰ってくれば何としてでも情報が欲しいし、逃げたところで子供1人容易く捕まえられますよ。手がかりが無いなんて面子が立たないし、それらしいものが出るまで絞りまくりでしょうな。雑巾絞りのごとく」

「ぞうきん……」

「ウサギどのの様な素直な子がそんな目に遭うなんて…‥ダメ!だから拙者が介錯いたす」

「あ、やっぱり、ダメなんですね。でも、あの、やっぱりどうにかなりませんか。僕絶対言わないようにしますし、たとえ拷問されたって我慢します」

「実際に本当の拷問を受けた事もないのによく言えたね」


浜万が口を挟む。道端の岩に腰掛けて足を組み頬杖をついた態度は巨漢の忍びの優しい微笑みと対照的な仕草だった。


「左様、ウサギどの、耐えれるか耐えられないかという個人の特性の話ではないのです。『喋らせる』事を専門にする者の技に耐えることなど、脳のどこか壊れていなきゃ不可能でござる」

「あっ、ハイ、そうですよね」

「それにもしウサギどのがあらゆる責苦を耐えぬいたとしても、割った頭の中から直接情報を取り出す方法だってあるのでござる。拷問で吐かせるよりずっとむごい方法ですぞ。だからここで死んでいただく方がかえって宜しいと思うのです。痛いのは短い方がいいですよネッ」

「あっ、そうですね、それがいいですよね」

「拙者ウサギどのには好感を抱いておりますからな。もう少し時間があれば拙者の二次元探究活動をお教えし、志を同じくする者として楽しくやりたかったのですが……悲しいけどこれ戦争なのよね」

「? はい……ほんとそうですよね」

「分かっていただけて何よりです、ささ、ウサギどのこちらに座って」


手招きされた場所にはいつの間にか粗末なゴザが敷かれていた。ここに座っていれば自分では目視できない速さで心臓を止めるか首を落とすかしてもらえるのだろう。あるいは昨日目にした様に頭蓋ごと砕かれるのかもしれない。

首を垂れて這い蹲う姿は奇しくも罪人が断頭の刑に処される様子によく似ている。


「あの、すみません」

「はいどうしましたウサギどの。辞世の句ですか?」

「いや、あの、すみません、そういうのじゃなくて」

「はいはい。ちなみにそのように力んで構えるのはあまりお勧めしませんぞ。多分ですがそっちの方が痛いので」

「あの、すみません、本当すみません、死にたくないです、なんとかならないでしょうか、本当ごめんなさい、すみません、嫌なんです、死にたくないです」

「えーーっ!そんなこと言われても困るでござる」

「ほんとごめんなさい、あの、死、死にたくないです、痛いのも辛いのも嫌です、ごめんなさい、無理です、ぼくには無理だったんです、すみません、嫌です、死にたくないです、ごめんなさい」

「そんなあ!そんな風に同じような言葉をたくさん羅列されたって!」


何を言われようと、声変わりもまだ迎えていない少年の声は震え続け堰を切ったようになだらかな山間に響き続ける。

こういう命乞いとっくに聞き飽きたな、というのが浜万の感想だった。これまでの経験上人が死を目前にして起こす反応は大差はない。そもそも暗殺の仕事ではこれほど対象が口を開くことは少なく、気取られる前に殺すのが常であったため、ここまでのらりくらりとしたやり方には苛立ちさえ感じる。どうせ殺す人間が話す言葉などなんの意味もない。いつまで喋らせているつもりなのか、なぜ納得させてから死なせようとしているのか、全く理解ができない。心底不愉快な気分だった。会話などする前にさっさと終わらせてしまえばいいのに、いつまで経っても暖簾に腕押しのやり取りを続けている。


これ以上あの子供の声を聞きたくない。

我慢の限界に達し浜万が口を挟もうとした時だった。


「だってウサギどのには死んで頂くしかないでござるよ!ここで息を引き取って頂くか、『禁呪・大解説』に記されし想消の術にて、忍としての過去を一切合切忘れていただくか………」

「お願いしま………え?」

「………はぁ?」


呆気に取られた少年に続いて思わず浜万までが声を上げた。


「なんだよそれ?そんな術まで書いてるの?あのボロ巻物」

「あるでござるよ」

「早よ言えや!!!!」


浜万は立ち上がって詰め寄り、その勢いのまま巨漢の忍の肩を殴りつけた。死忍から術者へ与えるダメージは連動する。ほとんど身じろぎもしない割に大袈裟に痛がって見せる相手とは対照的に、骨が軋む痛みに一瞬唇を噛んで耐え、声が出るのを耐えた。


「なんなの?マジで。オタクくんは他人を弄ぶのが生きがいなの?自分だけ何でも知ってますって得意顔出来て楽しい?」

「失礼な!拙者の生きがいは二次元と美味い飯にしかないでござるよ。浜万どのもちゃんと巻物を読みこめばいいじゃない」


言われずとも浜万はこの忍びの寝ている隙に懐から巻物を抜き取り盗み見た事がある。自分がこの男に掛けられた蘇生の技、干からびた骸でさえ生前の姿に戻し支配下に置く死忍の術の詳細を把握しておきたかったのが理由だったが、術の効力や術者への影響などは平易な言葉で記されている一方で肝心の手取りについては暗号化されておりまったく読み取ることができなかった。

五十音をバラバラに配置したような文章は意味らしいものをまったく読み取れず子供の落書きのようにすら見える。浜万は夜が明けるまで解読に苦しんだが結局復号は叶わず、分かったことといえば自分が今こうしていることに対して呑気に眠りこけている目の前の男が計り知れない代償を払っている事ぐらいで、鳥肌を立てながら巻物をそっと戻したのだった。


「巻物の著作権はとっくに消滅しておりますから無料で読ませて差し上げますぞ。というかチート術は抜け忍の基礎教養でございますが……え?まだ読んでないでござるの?浜万どのともあろう方が?え?」

「俺がその口を裂く前に黙ってくれるか。……まあつまりその想消の術ってやつでウサギくんの頭の中から俺らの情報を消せるとしても、だから何だよ?何もなくても面子の為に上は何でもするって話だったろ」

「そう、この術でなにかひとつの物を忘れる場合、関連事項の大部分を巻き込んで記憶が消えます。『ツンデレ』を忘れようとしたら『眼鏡』『姉属性』『敬語口調』まで忘れるように」

「その関連はオタクくんの頭の中でだけだろ」

「ウサギどのに拙者たちの事を綺麗さっぱり忘れていただくとなれば、紐付きが連鎖した末に自分が何者であったのかすら忘れる可能性もあるでござる」


少年はまたしても死の淵に瀕した状態から風向きが変わりはじめている事を察知した。正直2人の会話の内容はよくわからなかったが、死なずに済む方法はあるらしい。微かな希望が心に灯る。


「で、それが何?」

「我ら忍びはたとえ数多の人が行き交う場所ですれ違ったとしても互いの存在に気付けるでござる。だからどんなに抜け忍が出ても必ず見つけ出すことが出来たのですな。しかし自分が忍びだったことすら忘れた様な者は、ただの人でござる。不思議なことに忍びというものは皆、ただの人に対する嗅覚があまり働かないのですよ。今日町にいた人々も有象無象にしか見えなかったでしょう。みんな同じ顔をしているかのように」


そういえば浜万にも思い当たる節があった。

仕事の対象となる人間の顔は決して忘れはしないが、その仕事が終わってしまえばあれほどまで覚えこんだ顔をハッキリと思い出せなくなるのだ。

確実に自分自身の手で殺したはずだと分かっていても後から思い返せばその瞬間の顔もはっきりと浮かばないため、本当に死んだのか訝しむ事があった。断末の声を確かに耳にしていても。


「……まあ、言いたいことは分かったよ。完全に記憶を無くしてしまえば、里の連中の目を掻い潜れる可能性がワンチャンあるって事だろ」

「御理解感謝ッ」

「そうなったらもうウサギくんもそのまま里抜けしてどっか他所で暮らしたら?君は元から忍びっぽい気配が全然しないし、娑婆の人間に混じれば見分けもつかなくなるんじゃないかな」


少年の心に灯った希望の灯は徐々に膨らみゆく。

今の心境としては死ぬ以外の選択肢があればもう何でも良かった。しかもそれを自分でどちらか選べる余地がある。道が己自身で拓けるのならこれ以上の事はない。


「いずれにせよ実質これまでの自分に死んで貰うようなものでござるので、まあよく考えていただければと」

「あっ、あっ、あの、でも、ほんとに死んじゃうよりは絶対いいです、痛くて苦しいより絶対」

「でも忍の世界以外の場所でも地獄はあるでござろうから……記憶を無くして生きるのは本当に大変な事だと思いますので……死んでおけば受けずに済んだ痛みや苦しみも今後起こりうるかと……拙者個人的には前者がオススメ………」

「ううー、後者がいいです、後者でお願いします」


再び頭を低く下げて請う少年の膝には、粗いゴザで擦れた赤い痕がくっきりと残されている。

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