彼は誰(3)

食後に出された熱い番茶が温まった胃臓をさらに温める。こんなに満腹感を覚えたのは久しぶりのことだった。

支払いはいつの間にか済んでおり、美味の余韻もそこそこに店を出た。もうすっかり太陽の位置は高くなっている。街の中心となる通りは人の行き来がなお忙しくなっており、物売りの呼び込みや駕籠を運ぶ掛け声や幼児たちがはしゃぐ喧騒で溢れかえっている。里から外に出るのは大抵が夜間だった少年はこのような賑やかさを目にする事も初めてに等しい体験だった。

興味をそそる食事処は他にいくつもあったし魚や野菜だけでなくカラカラと回る色鮮やかな風車やぴろぴろと羽衣をひけらかすように泳ぐ金魚の行商まで、全てが未知の景色。こんなに鮮やかな世界がある事を知らなかった。

胸が強く鼓動している。怯えている時の動きとは違うとわかる。この2人の忍びは、もしかしたら自分をこんな世界に連れ出してくれるのではないかと思えてきた。里を抜けた先にも世界がある事を教えてくれているのではないか。

驚いたことに巨漢の忍びはまだ腹が満ち足りないらしく、街道沿いの他の飲食店を眺め回っている。あちこちに視線を向けているうちにやがて目当てを見つけたらしく、浜万と少年を置いてさっさと中に入ってしまった。軒先で待たされた形の浜万は店が表に置いた縁台に腰掛け、足を組み頬杖をついて眠そうな顔をしている。


「こういうとこ来るの初めて?」


数時間前は浜万の淡々とした冷たい声音に恐怖を感じていたが、元々こういった喋り方なのだと慣れたおかげで言葉の節々に僅かな優しささえ感じ取れるように少年はなっていた。


「はい、初めてです、こんな栄えた街。沢山の人がいるんですね」

「こんなのまだ大したことないよ。もっと街道を登っていけば城下町に着く。そこはここより人も店も何もかもずっと多い」

「そんな所があるんですか、すごい……。浜万さんはいろいろな所に行ってらっしゃるんですね」

「別にどこ行ったってやる事変わりはしないよ」


浜万は少年に話しかける時は決まって一瞥もせずに他所を向いているのだが、少年としても正面切って話す相手としては恐れ多く身長差もあるため気付くことはなかった。

それ程待つこともなく巨漢の忍びが店から出てきた。両手には串に刺さった果物や飴を大量に抱えている。


「ここはね、冷えっ冷えのね、冷えたやつが、冷えまくりでござるから」

「わかったわかった」


浜万はぞんざいな手つきで2本の串を取り上げる。氷水でギュッと冷やされたらしい桃や棗や枇杷などが刺さっている串のうち、瑞々しさを放っている梨が選ばれた。それは突然のように自分の分も渡されたので少年はすっかり感動してしまった。

先ほどと同じように支払いを済ませたであろう巨漢の忍びにお礼の言葉を伝えたかったが口元でうまく言葉がまとまらず、不恰好な呟きになった。それを気にもせず、構わんでござるよと笑って返してくれる。分厚い眼鏡の向こうの目はあたたかく優しい。いくら任務だからといってこんなに良くしてくれる人を殺そうとしていた事がとても申し訳なくなった。口いっぱいに広がる梨の果汁はきわめて冷たく、少し酸っぱいのがかえって心地よい。

たくさんの甘味を抱えて再び歩きだした。

これは元々そうやって食べ歩くための形状だと教えてもらい、得心がいった。

冷水にくぐらされたことで元の味が引き立った果実たちは拉麺で温まった胃臓を軽やかにしてくれる。ついでに足取りも軽くなっていたのか、いつの間にやら再び街を抜け、道を離れて小高い丘の上にいた。目の前には深い緑の山が待ち受けている。鳥達の鳴き声がよく聞こえる。

日差しはあたたかく、木の葉が風に揺れる音は耳に心地よく、足の裏に伝わる柔らかな草の感触も小気味良い。

懐にあるお守りを軽く握れば馴染みのある感触が指に伝わって、安らいだ気持ちがより一層凪いでいく。

今日はこれまでの自分の一生のうちで最も美しくいい日ではないだろうかと思えた。優しい風が少年の頬を撫でる。

巨漢の忍びは振り向くと再びにっこりと笑顔を見せた。




「じゃ!最後の食事もおやつも済んだし、ウサギ殿、死んでいただけますか」


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