彼は誰(2)

「オタクくん、このままいけば宿街に下りる筈だけど、入る?迂回する?」

「そうですなあ、腹も減りましたしそのままいきましょう。聞いたところによるとここらの街道沿いには豚骨拉麺の屋台が点在するそうですぞ」

「またあの豚の骨の汁麺かよ、しかも朝から?うまいけど胃がもたれるんだよ」


くだらない話にさえもびくびくと聞き耳を立てる少年を横目で見やりながら、浜万は履き物の紐を結び直した。

実のところ彼はこの少年の扱いにめっぽう困っている。

忍者の里では17、18にもなればおおよそ1人前の扱いになる。正確に言うとそこまでの技量が伴っていようがいまいがその歳になるまで生き延びたからにはある程度使えるものとみなされ任務に駆り出されるという事だが、とにかくその頃合いになれば年下の見習たちが後にずらりと並ぶようになる。数年前に成人を迎えた浜万も勿論同じだったが、この男は特に10代前半の子供に苦手意識を感じた。その年頃の子供は聞き分けの良さも我儘ぶりもどちらも半端に混じっており、何を考えているのだか分からないというのが言い分だった。

それは実際の経験を以っての自論であり、浜万は以前その年頃のくのいちに言い寄られたことがあった。伊湖いこという名のくのいちはその年齢にしては優れた才能を持っていた。忍びの里で名を持つ者は優秀な者に限られており、彼女はまだ若く経験が足りないもののそれを補う凶暴さを誇る一方で冷静な判断力も宿し、何よりも任務の遂行に忠実だった。しかしうら若きくのいちとしては申し分ない技量を持ち合わせ伸びしろも見込める反面、内面はそこらの少女と対して変わりやしない子だった、というのが浜万から見た彼女の評だった。

何がきっかけだったのかは当の本人は思い出すこともできない些細なことから伊湖は浜万を慕うようになっていた。里で姿を認めると目で追われ、時には遠くから稽古の様子を盗み見られることもある。たまに言葉を交わせばその声はほんの少しだけ上擦っていた。これでも本人はあまり表立てていないつもりのようだったが、幼少のみぎりより何かと目立ち衆目に晒されることの多かった浜万にしてみればその態度が含む意味はあまりにも見え透いていた。ただし人としての内面が年相応にあるいはそれ以上に幼いためか、その感情は近しい異性に対する恋慕と親しい兄役に対する親愛が分別つかずに混ざり合っているものだった。こういった感情を抱くものが求めるものは複雑で理解し難く、遊ぶにしても幼すぎるし適当に受け流すには重すぎる。端的に言ってしまえば浜万にとって面倒でしかなかった。


浜万は歩きながら目の前の少年を観察した。小柄な痩せっぽちで、伊胡と同じ年頃のはずだが彼女よりもずっと弱々しく見える。きょろきょろとひっきりなしに周りに目を配り、こちらの挙動や言葉を逃すまいと必死で自分が息をするのを忘れるほど過敏に注意を払おうとしている。己が生かされるかどうかも分からない状況下では無理もないかもしれないが、それにしたってこの年頃まで生き延びた忍びはもう少しくらい擦れた目をしているというのに、およそそれらしくない。

こんなただの子供は露を払うが如くに容易く始末できるはずだ。浜万を死忍として使役する巨漢の忍は何故かそれをせず、かといって見逃すでもなくただついて来させている。この男の真意が読めなかった。

かといって自分がこの件に関して立ち入ったところでどうという事にもならないのと、奴の意向をわざわざ口に出して確かめるのがいかにも下手からの伺いのような気がする為、訊くことはしなかった。


一行が行く街道にはだんだんとすれ違う人々も増え始めて賑わいが出てきた。やがて宿街に辿り着く。ちょうど宿を出て発つ旅人が多い時間帯だった。客に朝食を出す厨の喧騒も一旦は盛りを過ぎたと見え、一息付いた丁稚たちが店裏の勝手口でめいめいに賄いの汁飯を啜っている。

3人が入った店は拉麺の店には珍しく早朝からの営業をやっていた。店内どころかあたり一帯に広がる独特の獣っぽい臭気が妙に腹の虫を鳴かせる。血抜きした豚の骨をひたすら煮出した汁に麺を絡ませ、炊いた細切れの肉と刻んだ漬物が控えめに乗せられた椀がさほど待たされず人数分運ばれた。

自分の分まで出されるとは思っていなかった少年は面食らったが2人がさっさと箸を掴んで食べ始めたのを見て、恐る恐る椀を自分の方に寄せ、背を丸めて啜り始めた。忍の里では到底食べられない手のかかった料理の味に戸惑いながらも、空腹には抗えず次々とかき込む。

熱いものを熱いうちにかき込むことに慣れておらずところどころ咽せながら味わった。口いっぱいに広がる濃厚な味わいは麺と共に飲み下せば意外にもあっさりとした余韻を残し、次の一口へと誘う。炊いた肉の脂の甘みや刻み漬物の塩辛さはその味に変化を与えてつつもさらなる旨みを引き立てる。こんなに美味いものが里の外の世界にあったことは知らなかった。しばらく夢中になって丼椀に顔を突っ込むようにかき込んでいたが、お世辞にも行儀の良い食べ方をしていない事に気付き慌てて頭を上げた。しかし店の中の誰もが似たり寄ったりの食べ方をしている。

その中でもひときわ盛大な音を立てて啜り上げ一瞬で麺を食い尽くした巨漢の忍びは、何事か聞きなれない言葉を店の者に伝えた。ややあって湯気の立ち上る麺だけが皿に乗せられて運ばれてきて、それを受け取るなり間髪入れず再び椀にかき入れる。なるほどこうすれば麺が柔らかくなりすぎない状態でまた食べられるのか、と少年は納得した。

そこかしこから麺を啜る音が聞こえる。何もかもが見慣れない光景だった。ひょっとして自分でも気付かないうちに死んでいて、前いたところと違う世界を訪れているのではないか。取るに足らぬ空想が汁の蒸気と共に浮かんで消えていく。


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