夜(3)

月の光に淡く照らされ、男の貌は薄衣を纏ったように白く輝き、目元に落ちた影がより一層無表情を冷たく見せた。その顔の造作をわずかに歪めた浜万は舌打ちをして少年をしげしげ眺め、突然振り返った。


「オタクくん、もうちょっとで1人逃がすところだったよ。こういうのちゃんとしてくれる?」

「ええー、まだ残ってたでござるかー?あんまりにも気配に殺意がなさすぎて、仔ウサギか何かと間違えたでござる」


浜万の振り返った先、真っ暗な森の中から突然能天気な声を出しながら大柄な男が現れた。ふうふうひいひいと大袈裟に呼吸しているがついさっきまで空気の揺らぎすら感じ取らせぬまま他の忍びの首を吹っ飛ばしたのがこの男だ。少年はこの男が道具も使わず素手で首を飛ばしているところを確かに見た筈なのだが、さっさと返り血を拭き取ってしまったのか目に見える痕跡は残っていなかった。如実に残る血生臭さだけが夢や幻では無いことを示している。そもそもあんな事は、ただの人間に可能なのだろうか?


「で、どうするの?このウサギさんは」

「どうするもなにも、拙者を殺しにきたんですから、そりゃあねえ……」

「前は俺に無駄に殺すなって説教してなかったっけ」

「追っ手を始末するのは無駄じゃないし……」

「まあそれはそうだね」


かわいそうに、と浜万は独り言のように小さく呟き、しかしその声は側で抑え込まれている少年の耳に確かに届いた。言葉とは裏腹になんの感情も込められていない平坦な音の響きにはかえって現実感が伴い、腹の底がぞっと冷える。


「あ、あ、あ、あなた、浜万さん、ですよね」

「そうだよ。俺のこと知ってるんだね。里で話したことあった?」

「あの、直接、話したことは、ないんですけど、浜万さんは、すごい人だってみんな言ってましたから、あの、有名で、僕、僕だけじゃなくみんなですけど、浜万さんに憧れてましたし、浜万さんが死んだっていうのも、全然、信じてなかった、です」

「そこまで知ってるなら、尚更生かしておくのは都合が悪いなあ」


喉の奥がキュッと窄まって、声にもならない声が出た。少年の肩に乗せられた浜万の手には大した力は込められていないが縫い止められたかのようにべったりと離れない。氷のように冷たい指先だった。


「僕、あの、絶対言わないです、浜万さんのこと、他には絶対言わないです」

「あーそう、ありがとうね。忍者が絶対とか言わないほうがいいと思うよ」

「ごめんなさい、でも本当です、本当に言いません、絶対」


少年はもう自分でも何を言えばいいのか分からなくなっていた。これまで聞かされてきた他の忍びたちの話の上では殺される者が殺す者にやる命乞いが功を奏した事など一度たりともないらしい。

けれど現実に今は必死で次の言葉を探し、反芻する間もなく口から溢れ出る。いっそもう心臓も何もかも吐き出してしまいたいような気分だった。


「ちょっと待って欲しいでござる、どうして浜万どのとばかりお話なさるので?一応あちらの皆さんがた、拙者に対する追手の筈でしたよね?」

巨漢の忍びはついさっきまで居た森の茂みを指した。そこは月の明るさでも照らせないほど深い暗闇に覆われていて、もう死体の影が何体あるのか分からない。

「いいですか、人間の関係を見誤ってはいけないでござるよ。拙者の方が主、浜万どのが従の側でござるから、主導権はこっちにあるのですぞ。いわばマスターとサーヴァント、騎士とファティマ、審神者と刀剣、トレーナーとポケモン、海馬とブルーアイズのように」

「訳分かんない事言うんじゃないよ」

バッサリと切り捨てる浜万の言い草からはこの体の大きな忍びに付き従っているようにはとても見えない。しかも部隊を壊滅させたのはこの男1人だけがやった事で、浜万は逃げる少年を捕まえた以外は何の働きもしていなかった。初めて見た者からすればまずこの男の言うような関係だとは思えない。


「あっ、あっ、あの、ごめんなさい、浜万さんしかお名前知らなくて、あの、あなたのお名前は」

「それはまあ、無いでござるが……」

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