夜(2)

少年は常々自分に忍びなどは務まらないと思っていた。何度夜の訓練に出ても闇は怖いし虫や蛇を呑んで食糧にすることも出来ない。飲まされる毒はどれほど薄めても吐いてしまうのだからいつまで経っても耐性を付けることは出来ない、出来ないことだらけだったがもっとも出来ないと思っていたのは人を殺す事だった。

抜け忍が里内を引き摺り回され、晒し者にされた末に処刑されるのを見た日の夜などは一睡も出来なかった。まったくの他人であるはずのその抜け忍の顔を見ると、まるで自分のせいで彼が苦痛を味わっているかのような気がした。彼は死んだ。死は怖い。その死を自分が誰かに与える事を考えるのも怖い。自分や自分ではない誰かに永遠の暗闇が訪れる事を思うと天と地が逆さまになったような心地になるのだった。

少年に親の記憶はなかった。物心ついたばかりの頃は今と違うどこかで暮らしていたような気もするが、はっきりとは思い出せない。気がつけば忍びの里の子供たちの教育係を務める者に毎日怒鳴られたり追い回されたり放り投げられたりしていた。里では外から口減らしで売られてきたり戦で親を亡くした後に拾われたりと似たり寄ったりの経緯でやってきた子供らがまとめて同じ場所に放り込まれ、まとめて教育を受け、まとめて矯正をされ、そのうちのまとまった何割かが体を壊して死に、何割かが逃げようとして死に、また何割かが訓練中の事故で死に、生き残った何割かが一人前の忍びとして仕上がる。そしてその忍びもまとまった何割かが間もなく任務で死に、あるいは再び逃げだそうとして死に、あるいは生死も知れず行方不明となり、残った少数が生きて村を回していく。

つまり未来はないのだが、少年やその他の子どもたちは今日を生き延びるのに必死でそんな先の事を考えちゃいられない。

子供なりに不安になる事もある。他の子供達と手足がぶつかる狭苦しくて粗末な寝床のなか、何度声を殺して泣いた夜があったかわからない。そんな時にはお守りを手持ち無沙汰に握りしめるのがいつもの癖だった。お守りは子供達に与えられた唯一の私物だった。スッと鼻を抜けるような、清涼感の中に少し甘さがこもった香りのする草がそれぞれ異なる柄の布で包まれており、自分の気に入ったものを手に取る事を許された。訓練用の武器や道具を無くせばこっぴどく叱られるが、このお守りに限っては匂いが薄くなったりしただけで新しいものと替えてもらう事ができた。大抵の里の子供達はこれを大事にしている。


今日は、ただついていけばいい任務のはずだった。

抜け忍をひとり処分する。里の外に出る任務は何度か受けていたが直接殺しに関わる仕事は初めてだった。いよいよ自分がもっとも恐れる事に直面しなければならなかったが、それでも今回はただ経験を積むための随伴だと聞かされていた。実際に獲物を仕留めるのは経験を遥かに多く積んでいる先輩たちだと。


俺たちがやるからお前は下がってろ、手持ち無沙汰なら伝令の鴉の手入れでもしてろと少年に声をかけた、成人して間もない忍の首はごろごろと転がって楠の木の根にぶつかり止まった。他の忍も皆、地に伏して転がっている。命あるものはもはや誰もいない。

少年は恐怖した。だがその一方で不思議と静かな心地で終わりを悟った。終わりとは、こちらが待ちもしていない時に唐突に来るのだと。終わりとは何か、死んだらこの意識はどうなるのか、そういったことの答えを間もなくこの身で知る。

しかしまだ生存本能は残っている。何をおいてでもここを逃げ出したかった。忍びにとって任務放棄は死を伴う重罪だがそんな事は頭になかった。なのに足がもつれて上手く走れない。ほとんど這うような姿勢で前に進むべくもがいていると、突如冷たい掌に手首を掴まれた。

まったく気配を発さず突然現れたそれを、一瞬幽霊と見紛った。大声をあげて手を振り払い後ずさってもそれはべったりと張り付くように距離を詰めてくる。無我夢中で草むらを抜け、背中から月明かりに照らされてようやくそれが幽霊ではなく質量のある存在だとわかった。しかもその整った貌に少年は見覚えがある。


「……浜万はまさん?」

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