夜を折る

夜瀬凪

1.夜を纏う


 

 都会の夜は騒がしい。眠らない、という比喩は確かで、ビルにはいつ見てもどこかしらに明かりがついている。田舎から出てきた菜摘なつみには少しばかり空気が肌に合わない。田舎の静かな夜に慣れた身としては、夜まで騒がしいのはなかなかにストレスだ、ということには最近気づいた。


 憧れの東京の私大に進学したはいいものの、主に人間関係がうまくいっていないのも最近のストレスの一因だろう。昔からなぜだかうまくいかない。大学での友達と呼べる子は、望んでいたキャンパスライフとは程遠い、0に近い数字である。


 ぎりぎりの日程で合格したため、良い物件をうまく見つけられず、値は張るにもかかわらずさほど居心地の良くないアパートの一室に住んでいる。繫華街が近くなのが良くなかった。キャッチには会うし、サイレンや人の声がうるさくて仕方がない。コンビニが近いのはまあいいが、食生活が荒れはじめているのは問題だろう。肌が荒れていくのに比例して心も荒み始めている。


 

 溜息を吐き、安物の総菜を口に運ぼうとした瞬間、タララッタッタ♪と今一番聞きたくなかった音がスマホから鳴る。仕方なく、箸を置き、スマホを手に取ると、何故か心が痛むきがした。


「もしもし、菜摘だけど、どうしたの。お母さん」

『あんた大丈夫かなあって、心配になってねえ。ちゃあんと三食食べてる?』

「……うん、大丈夫、食べてるよ」

 目の前の総菜に罪悪感を覚えながら、電話越しの母の声はあたたかい。

『都会向いてないんじゃない?……辛かったら、無理せんでいいんよ』

「そこそこ、うまくやってるよ。心配しなくて、いいから」

 心に染みるその声、言葉が今は痛い。染みてしまうから、良くない。

『そう?あんたストレス抱え込みやすいんやから、気ぃつけなね』

「うん、ありがと。そだ、おいしいお菓子見つけたから、今度送るよ。クッキー好きでしょ」

『まあまあ、気使わんくてええのに。でも、嬉しいわあ』

 うまく、話題がそらせただろうか、とスマホが拾わないように細く息をこぼした。

『なんか、送ってほしいものとかあったら、遠慮なく言いなさいよ』

「そうする。今は特にない、大丈夫」

「……あら、ごめんね。お父さん帰ってきたから、切っても良い?」

『ん、じゃあね』


 またね、と声がしてぷつりと通話が切れる。


「あ~~、……もう、しばらくかけてこないでいいよ」


 一応、言っておくと菜摘の母との関係は良好である。ただ、今はその優しさ、気遣いを受け取るのにも負担がかかる、というか。しんどい、のだ。


「うん、しんどい」


 声に出したからって、何かが変わるわけでもない。

 菜摘の場合、言葉にすることで心が軽くなることもなければ、自覚して余計にしんどくなる、というようなこともない。その感情はただ淡々とそこにある。


「どうしよ、ご飯食べる気しなくなっちゃった」


 ただ、この一人部屋で声を出すことに虚しさを感じるだけだ。

 パックが開けられた状態の総菜が小さいテーブルの上に陣取っている。さっきまで口に運ぼうとしていた野菜の色が、急に鈍くおいしそうには見えなくなってきて、元からたいして無かった食欲が一気に冷めて行くのを感じる。


 明日の朝でいいか、とプラスチックの蓋を閉じなおして、その辺の輪ゴムで留めた。のろのろとした足取りでどうにか冷蔵庫まで行き、空いているスペースに突っ込む。代わりに、ストックされている無糖の強炭酸を一本取り開ける。気泡のはじける音がどこか、遠くで鳴った。

 炭酸は嫌いじゃない。強い刺激が、眠っている脳を叩き起こしてくれる。本当は甘いほうがいいけど、常飲するし、ただでさえ健康に悪い生活をしているのだから、というせめてもの選択である。


 ぐびぐびっと、炭酸を流し込む。喉が少しだけひりつくこの感覚にも慣れたみたいだ。

 ボトルをベットサイドの棚に乱暴に置き、毛布の上に倒れこむように、体を沈めた。


 救急車のサイレンが鳴っている。珍しいことじゃない。

 同世代と思われる男の人たちが盛り上がっている声がする。ホストクラブか飲み会か。どちらにせよ珍しくない。縁のない世界だとは思う。

 

 目をつむると、都会の夜景とか、歓楽街のネオンが思い浮かぶ。上京してからも夜中外に出ない菜摘は、その景色を実際に目にしたことはなく、それは縁遠く、決して菜摘がたどり着けない場所にある。

 

 ピコン、とさっきとは違う、短く軽快な通知音が鳴る。腕だけをのばしてスマホを手に取るとーこういうときは部屋が狭くて良かったと思う-ソシャゲの通知が来ている。そういえば、今日から新イベントが始まるんだっけか、この前のイベント全部回収できなかったなあ、とかどうでもいいようなことで頭を埋め尽くす。とりあえず、ログボだけでも貰おうと、アイコンをタップする。


 少しばかり長いロードは早く見たいときや、疲れているときにはイライラさせる要因でしかない。チカチカ、と画面の端っこで回る読み込み画面が、なぜだか心臓の拍動に似て見えた。

 ゲームは菜摘の精神衛生上必要不可欠なものであり、砦みたいな存在だから、心臓という例えも悪くないな、と思ったら少しだけイライラが収まった。


 ロードが終わり、ログボ受け取りの画面に移ると推しが表示されたので、いらつきは完全に収まり、気分が浮上する。この時に表示されるキャラはランダムで、キャラはざっと40名強いるので、推しが出てくるのはそこそこレアだ。


「よかったあ、日付変わる前だ」


 大抵のゲームと同じく、日付が変わればカウントがリセットされるタイプなので、夜にゲームを開いてログボを貰い損ねるのはなかなか悔しい。

 ホーム画面には推しが設定されていて、その顔で荒んだ心が癒されていく心地になる。これだから、止められないのだ。課金してしまうのも仕方がないだろう。少なくとも菜摘にとってはメイク用品や服を買うのと同じくらいに必要経費だった。ゲームに金をつぎ込むだなんて馬鹿らしいという意見にも一理はあると思う。けれど、それで心が救われるならいいのではないか、と思ってしまう自分がいる。

 馬鹿でもいいから、ただ息をしていたいだけだ。


 一通り、癒しを摂取してから、ランキング画面に飛ぶ。

 『夜の菜の花狩り』の名前を探す。


 【9位】 

 【プレイヤーランク99】(同率1位)

 【総合スコア 19,216】(9位)


 10位以内確保。

 昨日ログインできなかったわりには高い。やはり一週間の総合スコアがものをいうのか。頑張ってよかった。

 9が並んでいる。苦、みたいで嫌だ。

 もう少し、上の順位を取り戻したい。確か先週は4位だった。


「さあ、今日も狩りに行きますか」

 

 モンスターたちは私に理由があって、襲い掛かってくるわけではない。“負の感情が存在しない”そのことは菜摘を安心させた。

 ゲーム内でつながるフレンドは皆優しい。

 推しは今日も、美しい顔で誰にだっていう台詞を口にしてる。甘くて優しい、ときめくような言葉。

 

 うまくいかない人間関係も、荒れた肌とか生活も関係ないとばかりに、ゲームは、推しはそこにいてくれるから。平面の中だけで会える安心感を。ままならない現実を忘れるために。



 カーテンが風になびいたのを見て、窓が開いていることに気づく。動きたくないが、うるさいし、肌寒くなってきたので、窓まで歩いて行った。四角く切り取られた空は、都会の明かりをうつしていて、随分と明るい。


 星は、見えない。月は出ていない。なるべく音を立てないよう、窓とカーテンを閉める。


 もう一度ベッドに飛び込み、都会の喧騒をかき消すように、ヘッドフォンをつける。


 この瞬間、菜摘は『夜の菜の花狩り』になる。“夜”を冠して、生きている。


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夜を折る 夜瀬凪 @03_nagi

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