回答編 変わらぬ学食の味

 1

 新宿駅から小田急線の急行に約70分ほど揺られるとそこはもう都心から離れた田舎。

 わたしの母校である帝海大のキャンパスが存在する所。

 口の悪い連中は低下位大なんて揶揄するが、中には素晴らしい教授だっている。

 宗教民俗学の升田教授がそうだ。

 かつて彼の講義を受けたわたしが言うのだから間違いない。


 さて当時の升田教授の人となりであるが。

「講義の内容はぶっ飛んでいて面白いよ。講義中にマンガを読んでも携帯をいじっても注意されないし、試験は楽だし」

 学生Aの証言より。


「うん、とんがってるね。見た目はどこにでもいる冴えないおっさんなんだけどぉ~。イッちゃうヤバい薬とかの話はもうサイコ~」

 学生Bの証言より。


「ボクは初めて尊敬できる師に出会えました。一生ついていきます」

 学生Cの証言より。


 一見バラバラの証言だが、学生たちからの人気は確かにあった。

 見た目は中肉中背でいつも白衣姿。

 常ににこやかで穏やかな表情。

 だが話す内容は彼の現地で得た知識、つまりはアフリカやアマゾンの部族に伝わる呪術や精神を変容させる薬などなど。

 大学が夏休みや春休みになると海外へ飛びフィールドワークに精を出す。

 当然、資金が枯渇し借金に手を出した次第。


 この升田教授は私が担当している顧客である。

 いつも利子だけは振り込んでくれるので、他の個性ある顧客と比べると特に問題視はしていなかった。

 そんな中、週初めに彼からメールが届いた。

『全額きれいサッパリ返済する目処がついたがトラブル発生。次の土曜、僕の研究室に来られたし。』


 鼻はまだズキズキと痛むが無様な傷はどうせマスクで隠れてしまうし、全額返済の可能性があるならたとえ火の中水の中。

 わたしは小田急線に乗り込んだ。


 2

 無駄にだだっ広いキャンパスのはずれにある建物の三階の奥が升田教授の研究室である。

 扉にはエスニカ~ンな感じの大きな仮面が飾ってあり度肝を抜かれた。

 形はひし形を横から押しつぶしたようで長さは約1mほど。

 悪魔のような恐ろしい表情の仮面だがもしかしたら盾に使っていたのかも。


 仮面にしばらく魅入られていたが、正気に戻りお仕事開始。

「すいませ~ん。わたしは『地獄の沙汰もまごころ次第』でお馴染みの(株)まごころエージェンシーの関川二尋と申します。ご連絡があったので参上いたしました。升田教授~」

 と言ってノックをすると扉が開いた。

 背広に白衣、七三分けに黒縁のメガネ。

 あの頃と変わらない升田教授がにこやかな顔で部屋の中に招き入れてくれた。


 ここでわたしの回収の流儀を説明したい。

 守るべき大きなルールが二つある。

 一つ、いきなり本題に入らず雑談からスタートするべし。

 二つ、話をする際は飲み食いしながらがベター。

 なので雑談から切り出した。


「いやぁ、凄いのがドアに飾ってありますね。怖い表情に慄きました」

「あれはパプアニューギニアの長老から頂いた魔除けの仮面で戦の時には盾に早変わり。日本の家の鬼瓦や欧州の教会のガーゴイルなど人間の考えることは古今東西変わらないね」

 教授はにこやかに説明してくれた。

「ところで教授、実はわたしは昔ここで教授の講義を受けていたんです。これもご縁ですね」

「ああ、君は講義の後によく質問に来ていたから覚えているよ。それが今じゃ教授と学生という関係から借り手と取り立て人の関係になるとは何の因果だろうか」

 話題が本題に迫ってきたので雑談は終了。

 回収の話題に持っていく。


「ところでメールには全額返済の目処がついたとありましたが……」

「ああ、順を追って話そう。だがあくまでも目処だけで、全額返済はもう少し先になりそうだ。それが気に入らなきゃあの魔除けの仮面を借金のカタに持っていっても構わんよ」

「はは、ご冗談を」

 本当に冗談じゃないぞ。


 3

「まずはこれを見てほしい」

 升田教授はそう言うなり窓を開け、吊るしてあった鉢植えをデスクの上に置いた。

「えっ、何だこれ!?」

 わたしがそう叫ぶのも無理はない。

 だって植木鉢に植えてある植物のなんと奇妙なこと!

 茎はとても太い三角錐状。

 蔓はまるで触手。

 目のような実があちこちに生っている。

 B5の紙くらいの大きさでドドメ色の花弁が12枚、閉じたり開いたり。


「ペルーのアマゾンに住むシャーマンからもらった種を植えたらここまで育ったんだ」

 嬉しそうに教授は説明する。

「これは地球の生物じゃないのでは。こんな禍々しい植物は見たことがない……」

「昆虫なんかは毎年新種が発見されるよ。まあ、そもそも生命は宇宙からやって来たというパンスペルミア説を僕は支持している」

「はあ」

「また親しみやすいようにこの植物に名前をつけた。その名もショゴスⅡだ」

“テケリ・リ”

「え? 今なにか仰いましたか?」

「いや、僕はなにも言ってない。だが聞こえたろう。このショゴスⅡは鳴くんだよ。この鳴き声が名前の由来だ。そもそも名付けるというのは呪術の一種……」

「升田教授!」

「おっと、話が飛んでしまったね。じゃあもう一つだけ。ショゴスⅡの花粉は特別な作用があるんだよ」

「その作用とは?」

「意識をあちらの世界に跳躍させる作用。つまりインスタントな悟りの状態に誘う効果がある。この花粉を吸い込むだけで、だ。そもそも植物の幻覚作用は意識の変容のダイナモとして……」

「升田教授!」

「おっと、僕の悪いクセだ。ここから先は何か食べながら話すとしよう」

 部屋から出る時にショゴスⅡの触手がバイバイのような仕草をみせた。

「ああ、言い忘れていたがショゴスⅡは意思があり機嫌のいい時はダンスもするんだ」

「はあ」

「植物に感情や意識があるのはサボテンの……」

「升田教授!」

「おっと、このクセは治らんもんだ。ハハハ」


 4

 8号館の学食は土曜なので空いていた。

 いや平日も空いているのが常である。

 学食なのに定食が500円以上。

 おまけに不味い。

 わたしが卒業しても変わっていなかった。


「しかし変わらないですね。この値段、この不味さ」

 わたし達が食べているのはAランチの竜田揚げ定食帝海風。

「いや、お値段そのままで竜田揚げの数が6個から4個になったよ」

 升田教授は淡々と言った。

 この人は食に興味が無いのだろうか。


「升田教授、そろそろ話の続きをお願いします」

「ああ、さっきのショゴスⅡが発端になる。僕は特にショゴスⅡを知らしめるつもりも学会に発表する気もなかったんだ。専門分野じゃないし。まあ近々知り合いの植物学者に調べてもらおうとは思っていたけど」

「はあ」

「だがどこでどう噂が広まったものか、ショゴスⅡに興味を示す組織が2つほど出てきて僕に接触してきたんだ」

「その組織とは?」

「1つ目はエッジリバー社」

「ブッ、ゲホッゲホッ、オエッ」

 思わずむせてしまった。


「大丈夫か、君」

「ええ、なんとか。それでエッジリバー社はどんな条件を?」

「ショゴスⅡを譲れば僕の借金の肩代わりに加え、五千万円」

「ずいぶんと太っ腹ですが本当に支払われるのか疑問です」

 あの会社は我が社の取引先の一つではあるけど、イリーガル上等な所がある。


「ああ、僕もそう思っていた矢先にもう一つの組織から連絡があった」

「その組織とは?」

 なぜか嫌な予感がするので喉がカラカラする。

 お茶を口に含んだ時――。

「ミスカトニック大学って知ってるかな?」

「ブーーッ、ゲホッゲホッ、オエ~ッ」

 思わず飲みかけのお茶を吹き出し、むせてしまった。


「噂には聞いていたけど実在していたんですね」

「ああ、アメリカはマサチューセッツ州のアーカムにちゃんとある。こっちの方が条件はいい。教授としての永久職と研究契約。もちろんショゴスⅡあっての話だがね。僕はミスカトニック大と契約したんだ」

「で、エッジリバー社の申し出は断わった、と」

「それがね、向こうは納得してくれなくって困っているんだよ。それで今週土曜の夕方に代理人を寄越すからもう一度話し合ってくれ、と週初めにメールが届いたんだよね」

「えっ!? それって今日の事じゃ!?」

「うん、今は14時だから後2時間後くらいには来るんじゃないかな、エッジリバー社の代理人が」


 わたしは頭を抱えた。

 ついでに胃薬を噛じって深呼吸。

「え~と、話をまとめましょう。わたしが受け取った『全額きれいサッパリ返済する目処がついたがトラブル発生。次の土曜、僕の研究室に来られたし。』というメールですが、返済の目処とはミスカトニック大学との契約で得たお金ですね。トラブルとは信用できないエッジリバー社の理不尽な難癖。今日わたしを呼んだのはその難癖から升田教授を守って欲しいから、ですね」

「素晴らしい! 君にA+を与えよう」

 升田教授はにこやかに言った。

 鬼才だと思ってはいたがここまで計算高いとは予想外。

 完全にやられた。


 5

「一旦研究室に戻ろう。ショゴスⅡの世話をせねば」

「はあ」

 研究室へ歩く二人。

「話が通じる相手ではないから多分、荒事になるだろうな。ところで君は体は大きいけど腕に自信は?」

「はあ、一応は関川流柔術の継承者です」

「おお、それはいい。そもそも古武術の達人とシャーマンのたどり着く精神世界は共通の……」

 升田教授は熱心に話しているが、耳には入ってこない。

 これからのことで頭がいっぱいだった。


 そんなこんなでもうすぐ16時になる。

 ここは帝海大学キャンパスのシンボルともいえる噴水広場前。

 升田教授は鉢植えを大事そうに両手で抱えている。

 ショゴスⅡはこの水気のある場所がお気に入りなんだとか。

“テケリ・リ、テケリ・リ”

 なるほど、ショゴスⅡは機嫌良さそうに鳴いている。

“へっくし、へ~っくしっ!”

 ほう、クシャミまでするとは。

 ん!?

 この特徴あるクシャミは今朝に聞いた覚えが……。


「考え直してくれたかな、升田教授。考え直さなくても力ずくで奪うからおとなしく渡せばよろし」

 いつの間にか黒いカンフー着姿のチャン老師が升田教授の隣に立っていたのには驚いた。

 くそっ、気付けないなんてバカバカバカバカわたしのバカ。


「契約の概念もわからずに力で物を言わす。そんな会社とは御免被る」

 升田教授が静かに言った。

「交渉決裂。ならば奪うだけね」

「そうはいきませんよ、チャン老師。このわたしを倒してから奪えばいい」

 わたしは静かにチャン老師の前に立つ。

「あ、お前は今朝私にやられたヤツ。またやられに来たのか。そしていいのか? 私の会社、お前の会社と仲良しこよし。でも抵抗すれば全面戦争。お前どうする?」

「『回収の邪魔する者あればたとえ親でもブッ殺せ!』が我が社の社訓だからご心配なく。それじゃやりましょうか」

 さあリベンジだ。


「関川流柔術第二十代宗家、関川二尋ッ! 参る!」

「クシャミ拳開祖、チャン・フェイホンッ! シャーーッ!」

 お互い名乗りを上げて、戦闘態勢に。

 一気にすり足で距離を詰める。

 と、“へくしッ”というクシャミとともに老師の右直拳。

 だがミエミエだ。

 体を瞬息で沈め、を喰らわせることに成功。

 よし、寝かせてしまえば後はこっちのもの。

 このまま腕ひしぎ十字固めでジ・エンド。

 なんて考えは甘かった。


「へくしッ! へ~くしッ! ヴアアァ~~ックショイッッ!!」

 クシャミを3回連続でぶっ放すと老師は腕を一払い。

「えっ!? うそッ!?」

“ボチャン”

 マヌケな音がしてわたしは噴水広場の池に落下。


「クシャミ拳奥義、クシャミ三段活用。邪魔者は消え去たね。さあ教授、痛い思いしたくなければショゴスⅡを渡すよろし」

 老師はショゴスⅡに手を伸ばしている。

 クソッ! もうおしまいか!?


 だが、

“テケリ・リッ!、テケリ・リッ!”

 ショゴスⅡは大きく鳴くと老師の顔面に向かって花粉を大量に放出した。

「ウッ、ハッハックション、ハッハッハッハックショ~イッ、かっ花粉にはっ反応して、クックシャミがコント、へっくし、コントロールでっできないッ、ハァハァハクショ~ン」

 やがて老師はクシャミのし過ぎで腰を痛めたのか、その場で横になった。

「フウ、満腹満腹、満足満足。もう食べられないね」

 意味不明な言葉を残して動かなくなる老師。


「このショゴスⅡは敵と認識した相手には花粉を放出するんだ。幻覚作用のある花粉をね。ハハ、今頃は幸せな夢を見ているんじゃないかな」

 升田教授はにこやかに言った。

 わたしはノソノソと池から這い出してから、

“ハックション”

 と大きなクシャミをした。


 6

 升田教授の壮行会には仕事で参加できなかった。

 別れの挨拶くらいはしたかったが仕方ない。

 これで縁が切れると思うと少し寂しくなる。

 升田教授のことだからきっと今頃はミスカトニック大学で元気にやっているのだろう。

 ショゴスⅡと共に。

 あんな植物が税関を通れたのが不思議だが、なにか大きな力が働いたに違いない。

 また、今までの借金も全額返済してくれたので一件落着。

 わたしは相も変わらず回収業だ。


「キミィ、キミは明日の夜は空いているね」

 大山部長がニコニコしてわたしに言った。

「はあ、仕事も落ち着いたので早く家に帰ってアマプラでホラー映画なんかを観ようかと思っていたところですが、何かあるんでしょうか?」

 わたしは恐る恐る聞いた。

「ならちょうど良かった。明日の夜は社員研修があるんだよ。テーマは肝練り。度胸をつけるのが目的だ」

「つまり、何をするんでしょうか?」

「うん、出ると評判の心霊スポット、廃病院にキミ一人で一晩過ごすんだよ、キミィ。簡単だろ」

「いや、できれば断りたいです。第一わたしはそんな事をしなくても回収はできているはず」

「そうだな、キミの今までの功績を考慮して廃病院で一泊はナシにしよう」

「ハイッ!」

「ただ社員全員がやるのにキミだけやらないのは示しがつかないよ。だから違う肝試しにしよう」

「違う肝試しとは?」

「ライオンの入っている檻の中で一晩過ごしてもらおう」

「いや、だったら廃病院にします」

「フフ、これが交渉のコツだよ。二択にして追い込めばあんなに嫌がった廃病院に泊まると自ら言い出す。よく覚えておくように」

「ハイッ!」

 一安心して胸をなでおろした。


「じゃあ明日は空けておくように」

「ええっ!? やっぱりやるんですか?」

「ライオンの檻と比べればどうって事ないだろう、キミィ~」

「はい、その通りです」

 一応そう言ってから退勤した。


 帰宅したら大きな荷物が届いていた。

 送り主は升田教授。

 同封された手紙を読む。

『その節はすまなかった。

 君を利用し迷惑をかけた事、申し訳なく思う。

 なのでお詫びの品を送った。

 僕の研究室の扉に飾ってあったパプアニューギニア産の魔除けの仮面が一つ。

 ショゴスⅡの実から取れた種が数粒。

 大いに役立てて欲しい。』

 短い手紙だが気持ちは伝わった。


 早速、魔除けの仮面をドアの内側に飾った。

 この仮面を見る度に升田教授と学生時代を思い出す。

 そうだ、廃病院にこの仮面を持っていこう。

 百万の味方になるはずだ。


 そしてショゴスⅡの種だが。

 肝心の育て方が書いてない事に気づいた。

 その事に関しては、明日手紙を書けばいいか。

 あと、植木鉢もいつか買いに行こう。

 明日に備え早めに布団にもぐったら、

“テケリ・リ、テケリ・リ”

 どこかで聞き覚えのある鳴き声がしたがすぐに眠りに落ちてしまった。

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