回答編 人生の楽しみ方

 1

 午前11時の大江戸線。

 座席に座れたので読みかけの資料を開いた。

 資料によると顧客の住まいは東京の月島。

 あそこら辺は開発の波の中でやたらタワマンが建てられているけど、まさか今回の顧客がタワマン住まいのはずはない。

 

 電車内のビジョン広告では転職お助け会社の宣伝が流れている。

『ちくしょう、こんな会社辞めてやる。でももう歳も歳だし転職できるかなぁ』

 冴えない中年がそう言うなり胃薬をガリガリと噛みだす。

『歳なんて関係ナイナイ。この転職代行エージェンシーにお任せアレアレ』

 黒いとんがり帽子に黒いケープ姿の怪しい魔法使いが突然現れ、中年に杖を一振りすると辺り一面に煙がモクモク。

『やり甲斐のある仕事。ストレスのない職場。もう胃薬とはオサラバサラバ』

 先程の冴えない中年はパリッとしたスーツ姿になり、職場の仲間達と焼肉をモリモリ食べている場面に転換。

『今なら退職代行サービスもセットで付いてくる春のキャンペーン実施中』

 というテロップで締め。


「へぇ~。今度利用してみようかな。胃薬とはオサラバサラバしたいし。ってイヤイヤ、ついつい広告に見入ってしまった。いかんな、早く資料の続きを頭に入れなければ」

 最近クセになっている独り言をブツブツとつぶやくとわたしは再び資料に目を通した。


 とはいっても今回の顧客のことはある程度は知っている。

 芸名は丸山ペラ子。

 本名はやなぎ月江つきえ

 昭和の夫婦漫才師、丸山ペラ助ペラ子はかつて一世を風靡。

 しかし夫のペラ助は飲む打つ買うの三拍子揃った昔ながらの芸人。

 あちこちからお金を借りまくり、二進も三進もいかずドロンと失踪。

 保証人のペラ子を残して。

 それからのペラ子は殺到する借金取りをのらりくらりとやり過ごしピン芸人として頑張る。

 だが、洒落にならない政治&宗教批判とエグい下ネタでテレビを干され現在はドサ回りの営業で食いつないでいる。


 資料には大体こんな事がまとめてあった。

 わたしが子供の頃テレビでも見かけていたペラ子から回収するとは何とも不思議な気持ちだ。

 そうこうしている内に大江戸線は月島駅に到着。

 わたしは彼女の住まいに向かった。


 2

 月島もんじゃストリートを通ると何とも食欲をそそる匂いがあちこちから漂ってくる。

 回収が無事終了したらもんじゃで一杯やろう、と誓うが今は仕事に集中せねば。

 ガリリと胃薬の錠剤をかみ砕いて飲み込み、通りを抜けると目的地である三軒長屋が見えてきた。

 彼女が住んでいる真ん中の部屋にはチャイムもないので、

「すいませ~ん。柳月江さん、ご在宅でしょうか? もしくは丸山ペラ子さ~ん。わたしは(株)まごころエージェンシーの関川二尋と申します。ペラ子さ~ん、いるんでしょう。早く出て来てくださいよう」

 中には人の気配がするので大きな声で催促をしてみた。

 するとなぜか隣の部屋の玄関がガラガラと開き、

「オイッ! さっきからうるせえぞっ! てめえ、ペラ姉さんに何の用だってんだ!」

 作業着姿で角刈りの老人が出てきた。

「まあ、あなたに言う必要はありませんが、平たく言えば借金取りです」

「この野郎、てめえもペラ姉さんに悪さする気だな。借金取りは人間じゃねえ。一昨日来やがれ、この唐変木めっ!」

 激昂した彼は老人とは思えない握力で掴んできた。

 話し合いは出来そうもないし、降りかかる火の粉は払わねば。

「関川流柔術返し技・霞返し」

 技の名を告げ、手の甲の経穴の一つ、合谷を我が親指で押圧しながら手首をひねり優しく合気下げすると老人は尻もちをついた。

「くそったれ、いい気になるな。オレは絶対に負けんぞ。さあ、殺せッ、殺しやがれッ!」

 老人は叫んでいる。

 確かこんな状況をクッコロって言うんだっけ?


「うるさいねぇ。何の騒ぎだい? セールスならお断りだよ」

 玄関先でバタバタしていたらお目当ての彼女が出てきた。 

 花柄のステテコに擦り切れたトレーナー、短髪で銀縁眼鏡。歳は80前なのにかくしゃくとしている。

「あの、お金を返してほしいんですけど」

「お前さんはどこの誰だい?」

「『企業とお客様の間をまごころでつなぐ(株)まごころエージェンシー』でお馴染みの関川二尋と申します」

「はて、これまでも借金取りはたくさん来たけどそんな会社は知らないねえ」

「いえ、債権譲渡通知書が送られたはず。借金のお支払いはすべて一本化されたんです。こんなババをあえて引くのはウチくらいなもんです。以後お見知りおきを」

「ここじゃご近所の目もある。ああ、熊八っつあん、大丈夫かい? いつもありがとうね。ふん、こんなウスラでかいだけのひょうろくだま、さっさと追い返すから安心おし。じゃあ、関川さんとやら、もんじゃの美味い店を教えてあげるからついてきな」


 3

 案内されたのは『五郎』という名の年季の入ったお店。

「らっしゃい! と、ペラ姉さん。しばらくぶりじゃないですか」

 店に入った途端、大将がペラ子に声をかけてきた。

「ああ、今日はお財布が後ろに控えているから美味いもんをジャンジャン持ってきておくれよ」

 後ろのわたしをアゴでクイと指し示すペラ子の仕草はなんとも粋で怒る気もなくなってしまった。


「五郎スペシャルもんじゃに鮭マヨもんじゃと帆立バター、それに大生と、お前さんは何を飲むんだ?」

「じゃ、ウーロン茶を」

「フン、下戸かい」

「いや、仕事中なので」

「バカだねぇ、もんじゃと酒は切っても切れないのに。まあ、飲みたくなりゃ注文すりゃいいさ」

「そうですね。食べながら返済計画を話しましょうか」

「あ~、やだやだ。野暮の極みだよ」

 なるほど、かなりタフな長期戦を覚悟しなきゃならないようだ。

 例によって胃薬をガリガリとやりだすとペラ子は眉をひそめた。


「ヘイ、お待ち」

「おお、来た来たっ。で、お前さん。もんじゃを作ったことは?」

「前に一度だけ。確かダムを作るんだっけ」

「心許ないねぇ。ここはアタイに任せな。まずはキャベツだけを炒めてドーナツ状に土手を作るんだ。そしたら穴ン中に汁を数回にわけて……」

 ペラ子の手際はキビキビしていてついつい見惚れるほどだった。


「あ、美味い!」

「だろうとも。最近の芸人は食レポのスキルが必要だなんて言われているけどね、“美味い”の一言で充分なのさ。そうだろう?」

「ええ、同感です」

「んっんっんっ、はぁ~っ。しかしビールが美味いね。お前さん、本当にウーロン茶なんかでいいのかい?」

「ええ、医者から止められてまして」

「じゃあ、遠慮なくいかせてもらうよ。おお~い、『波里井はりい最南さいなん』を一瓶持ってきてくんねぇ。それと牡蠣バターにマグロのテール焼きをヨロシクゥ」

「失礼ながらお歳の割には健啖家でいらっしゃいますね」

「フン、本当に失礼だよ。お前さんみたいなのを慇懃無礼ってんだ。言葉遣いは丁寧でも心ン中じゃバカにしてるのさ」

「では失礼ついでにそろそろ返済計画のお話を」

 ここからはわたしのターンだ。

 けっして逃さない。

 なんて今から考えたら甘い考えだった。


「一応は考えちゃいるんだよ」

「ほう、ぜひお聞かせください」

「まず、おまえさんがアタイに100万円くらい貸すのさ」

「なぜだっ!」

「おお、今のツッコミはいいよ。ツッコミはスタッカートでって昔師匠に教わったっけ」

「ペラ子さん、お話の続きをお願いします」

「まあ、肩の力を抜きなって。話は最後まで聞くもんだよ。それじゃお前さんに聞くが今のアタイの滑舌をどう思う?」

「う~ん、正直全盛期と比べると微妙というかキレがないというか。でもそれはしょうがない事……」

「いいや、違うね。入れ歯のせいさ。保険が効く入れ歯は作りが適当で雑。だけどね、自由診療の入れ歯は大したもんさ。その費用が大体100万円ってところ。入れ歯さえ良くなりゃ自慢のマシンガントークで華々しく復活もできるってもんさ」

 そう言ってるペラ子はどうも大真面目に語っているようだ。


「却下。まず今までの借金を返すのが先です。その後でしたらご融資も前向きに検討はしますが」

「なら次の手を。アタイがお前さんとこの会社、なんて言ったっけ?」

「企業とお客様の間をまごころでつなぐ(株)まごころエージェンシー、です」

「アタイがそのまごころナンチャラって会社のイメージキャラクターになってやるよ。これでツーペイ、一件落着ってな、ガハハ」

 わたしはペラ子の脳天気ぶりに思わず頭を抱えた。


「いや、笑い事じゃないですよ。もっと真面目に考えてくれないと困ります」

「フン、笑わずにはいられないよ。だって借金を抱えたアタイが飲んで食って楽しんでるのに、取り立てる方のお前さんはこの世のすべての苦労を背負い込んだ面ァしてやがる。そもそもお前さんは人生の楽しみ方ってぇのを知らないから店の中で胃薬をかじるようになっちまってんだよ。ガハハ」

 ペラ子は酔いが回ったのか少しハイになっているようだ。

「へえ、なら人生の楽しみ方っていうのをご教授ねがえませんかね」

 のらりくらりのペラ子にイライラが隠せない。


「そんなの簡単さ。起きた現実に良し悪しのラベルを貼らずにありのままを受け入れる。これが出来れば世界や人生は一変する。柳は緑、花は紅ってね」

「ほう、もっと具体的にお願いします」

「例えばアタイさ。夫のペラ助が借金こさえて失踪してもへいちゃらさ。だって借金は芸人にとっちゃ美味しいネタだしね。やってくる借金取りだって色んなタイプがいたよ。人間観察のチャンスをくれてありがとうと感謝できるくらいになったさ。現にアタイはお前さんとのやり取りや駆け引きを楽しんでいる。だのにお前さんは目の前の仕事を片付けるのに精一杯で周りが見えていない。せっかくの料理も酒も楽しめない。いつもイヤなことが消え去りさえすれば、イイことが起きさえすれば幸せになれるって信じている。だが幸せってのはそんな条件がつくもんじゃない。つまりは、に満足しなけりゃすべては茶番ってこと」

 ペラ子はそう言うとお猪口の酒をグイッと飲み干した。


「夫であるペラ助さんが一人で逃げたのも幸せだったと?」

 わたしは意地悪な質問をしてみた。

「ああ、実は彼はアタイにこう言って出ていったんだ。『オイラは宝探しの旅に出る。男は冒険だ。苦労をかけると思うがよしなに』なんて言ってね」

「それはまた……」

 初耳だった。


「でも恨んじゃいないよ。アタイも芸人。借金は二人の絆だから自己破産もしない。それに宝探しの旅なんてセリフがふるっているじゃないか」

「ええ……」

「わかってるよ。ペラ助はバカでアタイもバカだよ。だからさ、そんなバカたちのために乾杯してくれないか。一杯だけ呑んでバカに酒を捧げてくれや」

「そういうことなら呑みましょう。時代遅れの芸人に乾杯」

 一杯くらいなら大丈夫。

 今思えばそれが間違いのもとだった。


「へっ! ペラ助が帰ってくるわけないじゃないですかぁ~。きっとどこかでおっ死んじまってるに違いないですってぇ、ゲヘヘ」

「いいや、アタイにはわかるんだ。まだ生きているし近い内に必ず帰ってくる。本気で愛した人だもの。ところでお前さん、本気で人を愛したことはあるかい?」

 もうかなり酔っていたところにこの質問。

 それもトラウマをえぐるような。

 心の奥に抑え込んだはずの叫びがあふれ出す。

「く、久美子ぉ~、帰ってきてくれぇ~」

「お、それだよ。その呼吸だ。セリフのチョイスもセンスがいい。どうだいいっちょアタイと一緒にお笑いをやるってのは」

「ハハ、冗談を」

「いや、アタイは芸人だから冗談の出しどころは心得ているつもりだ。お前さんの名前はなんだっけ?」

「ハイ、シェキ川うた尋でしゅ」

「よし、丸山ペラ尋ペラ子結成祝いだ。みんな、今日はペラ尋が奢るからジャンジャン飲ってくれ」

「「「おおー!!」」」

 店中の客たちからは大歓声が上がった。


 大変な状況のようだが、とにかく気持ちがいいし気が大きくなっている。

 そうか、自分は丸山ペラ尋となって第二の人生を歩むんだな。

 クレカか電子マネーが使えればみんなにご馳走するくらいわけない。

 そうボンヤリ思っていたら突然店の扉がガラガラと開いた。

 この店にはそぐわない高そうなスーツ姿の老紳士がこちらに向かってきて一言。

「ここにいると熊八っつあんに聞いて来た。今、帰ったよ。待たせてゴメン」

「フン、女を待たせるなんて罪だね。アンタは。お帰り」

 少し涙を浮かべてペラ子は言った。


 4

 それからの出来事を思い出すと、人生は捨てたもんじゃないと断言できる自分がいる。

 あの日、もんじゃ店にやってきたスーツ姿の老紳士の正体は失踪していた丸山ペラ助。

 彼は波乱万丈、劇的で数奇な運命を語った。

 海外でお宝探しをしていた彼は仲間の裏切りにあい、後頭部を殴られて気絶。身ぐるみ剥がされる羽目に。

 意識を取り戻した場所は何故かインドで、おまけに記憶喪失に。

 ガンジス川で沐浴しているとマハラジャの娘に見初められそのまま結婚。

 実業家として大成功。

 ところが数ヶ月前に記憶を取り戻したペラ助。

 根っからの芸人気質な彼にとって堅苦しいビジネスは性に合わない。

 会社を売り、妻とは別れ、けじめをつけた上でやっとの思いで日本に帰ってきたんだとか。

 もちろん、借金及び利子、さらにはもんじゃの代金までペラ助がきれいサッパリ支払ったのは言うまでもない。


 5

 ――次の日の仕事帰り、わたしは大山部長から焼肉をご馳走になった。

 男二人で焼肉も悪くない。

「う~ん、キミはよくやったよ。さすがにマギーは渡せないが今夜は焼肉を腹いっぱい食べるといい」

「はあ」

「よし、タン10人前、ロース10人前。カルビとレバーも10人前。さあ、キミも好きなだけ注文しなさい」

「それじゃチャプチェとキムチとテールスープをお願いします。あ、あとサンチュとライスを」

「ほう、胃の調子は大丈夫なのかね、キミィ?」

「はい、おかげさまで。なんかあの二人のドラマチックな生き様を見ることが出来て人生は捨てたもんじゃないって心底思えたんです」

「イヤイヤ、キミィ。ドラマチックさだったらキミだって負けちゃいないよ。キミのお父さんが開いていた関川道場が道場破りにあってからというもの、父の仇を討とうとしているなんてイマドキない話だよ。まあ、仇を見つけたら私に相談しなさい。事と次第によってはマギーを貸しても構わんよ、キミィ」

「はあ」

 せっかくの大山部長の言葉もわたしの心には届かない。

 

 仇に執着しヤクザな仕事に就いている自分は人生を楽しんでいるのだろうか。

 自問自答の答えは明らか。

 もう仇を見つけるなんて虚しい努力はヤメにして、丸山ペラ尋として生きて行くのもアリかもしれない。

 その方が人生は楽しめるはず。

 丸山ペラ子というドラマチックな生き様の芸人。

 きっとこの先何十年経っても忘れることはないだろう。

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