シノブの決意

「我々は人間だ。どれほど国に尽くす決意を持とうと、所詮は人間である以上、王都に向かえば死が待っているだろう。ゆえに、お前たちに王都へと落ち延びることは薦めない。もし捕らえられても、吸血鬼による捕虜だと告げれば、悪くは扱われないだろう」

「先生、僕たちはルメニア王国民です。自分が捕虜だと嘘をつくことはできません」


 バーレッドは神妙な表情で告げる。

 いくら不遇の扱いを受けてきたと言っても、彼らは彼らなりの信念に基づき、この国で生きていく道を選んだ。その気持ちに一切の曇りはなく、その瞳を見たマーガレット先生は額に掌を当てながらため息をつく。


「ま、お前らはそう言うと思っていた。だから選択肢を用意してやる」

「選択肢、ですか?」

「こう見えて人間の国で相当な人脈を作ってきた身だ。スパイだと露見することなく現役を退いたからな。だからお前らを人間の国で幾つかの職を紹介することはできる。無論、無理にとは言わない。自分で選んだ道を行くのを止めることはできないからな」


 マーガレット先生はまだ30代後半くらいだが、バリバリ現役と言っても遜色のない程の実力の持ち主だ。退役してしばらく経つ今ですらそうなのだから、現役時代はどれほど凄腕のスパイだったのかはもはや想像の範疇を飛び越えるものだ。それゆえに、人間の国で情報収集を行う過程で、地道に稼いだ人脈というものを構築してきたのだろう。


「クラムデリアは騎士団が大敗を喫したとはいえ、堅固な城壁を三つ築いている。今すぐに落ちるということはないだろう。今すぐに決断しろとは言わなが、猶予は多くない。人間の国で真っ当に暮らすことを希望するものは早めに来い。以上だ」


 マーガレット先生は、それだけ言って教室を去っていった。教室はにわかにざわめき立つ。今定時された選択肢は、彼らにとってかなり魅力的なものだろう。

 俺はセルミナとミーシャちゃんがいる限り、最後まで留まり続ける。自分だけ尻尾を巻いて逃げるという選択肢は俺にはなかった。


「ブラウ、お前はどうするつもりなんだ?」

「こうなってしまった以上、この国で商売を続けるのはなかなか厳しいだろうさ。親父も今朝、東方連邦軍が侵攻してきた時点で国に帰ろうかとも言っていた。残念だけど、どこかの国でまた商売を始めるさ」

「そうか……。ルージュはどうなんだ?」

「うちも似たような感じね。シノブはどうするの?」

「今はなんとも、って感じだな。マーガレット先生の提案も魅力的だとは思うけど、個人的には気が進まないな」

「前話してたこと覚えてる? うちの商会で働かない?っていう話。こんな状況になっちゃったし、もしシノブさえよかったらどう?」

「ルージュ、ありがとう。でも俺は国が滅ぶまで、離れるつもりはないんだ。ミーシャちゃんだって同じ気持ちだと思う」

「だよね。シノブが殿下と一緒にいるのを選ぶとは思ってた。でも気が変わったらいつでも言ってね。場合によっては殿下もウチで受け入れるわ。窮屈な思いはさせちゃうと思うけど」


 それは吸血鬼と人間、どちらの国であろうと変わらないだろう。ミーシャちゃんが落ち延びる先として一番現実的なのは、他の魔族国家への亡命だろう。他の国でもハーフに対する風当たりはそれなりにあるが、吸血鬼と異なり見た目で判断するのは難しいのだという。

 その場合俺は着いていくことはできないが、致し方ない話だろう。


「助かるよ。でも俺は最後まで抵抗してみることにする。たとえ蛮勇だと言われても、ミーシャちゃんとセルミナには笑顔でいて欲しいんだ」


 偽りなき本心である。吸血鬼に勝ったことで、膨れ上がった慢心を育て上げたわけではない。過剰な自信を獲得したわけでもない。自分の中に存在した可能性の発露という結果と、脅威を前にして思考を放棄しないことの大切さを得たのだ。

 一人で東方連邦軍を打倒できる策を編み出せるなどとは一切感じていなかった。


「ふふ、流石ね。でも武闘大会でのシノブを見た後だと、なんだか信用してみたい気持ちすらあるわね。お互い生き延びたら、また会いましょう」


 ルージュの父が経営する「ルージェス商会」を探せということだろう。その約束は生きている限り果たしたいものだ。


「ああ、約束だ」


 この約束は死亡フラグに含まれないだろうか、などと苦笑しながらも、俺は余裕の笑みで応える。


「俺も同じくだ。短かったけど、お前とは親友になれたと思ってる。死ぬなよ」


 ブラウとも拳を突き合わせた。

 ミーシャちゃんが学校に通い始め、他の生徒とも良好な人間関係を構築しつつあった矢先のこの出来事に、俺はどうしようもなく怒りを覚えていた。

 当然、この戦況を傍観しているだけでは、クラムデリアが陥落するのを防ぐのは無理だ。

 俺がここに存在するのは、こういう気球の事態に陥った時のためではないだろうか。

 今、セルミナは全てを背負って国防に全力を注いでいる。折れかけた心の支柱を絶え間なく修繕し、東方連邦軍に撤退を突きつけるためにあらゆる手段を模索しているはずだ。

 俺はその一助になれるはずだ。それでなければ、セルミナの助けを得て生き延びたこの人生に価値はない。

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