武闘大会④
紫暢がデグニスを睨みつけると、途端に額に脂汗を滲ませた。
「なん……だ、これは……」
デグニスは身体が締め付けられるような感覚に襲われる。それ以上に、得体の知れない黒い物体が、自分の心の中を支配するような不快感。デグニスは恐怖から平静を保てなくなり、ついに尻餅をつく。
尻をついたまま、ゆっくりと近づいてくる紫暢を前にして後退る。
「ひっ、やめろ! こっちに来るな! たのむ、やめてくれ!」
デグニスの目には、紫暢がただひたすらに強大な妖異に映っていた。突然の形勢交代に、観客は困惑を隠せない。ミーシャやシェリルもそれは同様で、あまりに現実味のない展開に目を疑った。そして同時に、懇願するデグニスがとてつもなく無様に映る。その瞳には恐怖の二文字が刻まれていた。
紫暢は胸ぐらを掴み、デグニスに迫真の言葉を告げる。
「お前がこき下ろし、いい様に扱ってきた奴らは、そうやって懇願されて解放したのか? 違うだろ。だから俺は思うままにやらせてもらう。最初は俺が受けてきた痛みの分だッ!!」
右頬に手加減を施した一撃を加える。涙が中に弾け飛び、呻き声を上げた。目一杯殴らなかったのは、ここで意識を刈り取ってしまえば自己満足で終わってしまうと紫暢が思ったから。
「これはシェリルの分だッ!」
あの時デグニスがシェリルに対して難癖をつけた時に与えた恐怖の分。今度は左頬へ。デグニスは変わらずガタガタと歯を震わせたままである。
「そしてこれは、人間と吸血鬼の混血だからと、それだけでその命すらも否定されたミーシャちゃんの分だ!」
紫暢はデグニスを無理やり立たせ、腹に向かって強烈な回し蹴りを叩き込んだ。デグニスはその一撃で意識を手放し、力無く地べたを転がり回る。紫暢は肩で息をしながら、それ以上の追撃はせずにただ佇んでいた。砂塵が舞う中で、紫暢は勝利を確信する。
悠久の沈黙ののち、審判が白目を剥くデグニスを確認して恐る恐る勝者を告げる。
相手が相手だけに大歓声とはなり得ず、一部から拍手が生まれただけだったが、それは勝者と敗者の関係が確定したことを、会場全体に突きつけた。
取り巻きの貴族と思わしき吸血鬼が慌てて駆け寄って行くのを、冷めた目つきで眺める。視線に気付いたのか、一人がこちらを鋭い目つきで睨めつけた。しかしその瞳には一抹の恐怖心が孕んでいる。結局何か吠えようとして、拳を握りしめて口を噤んだ。
担がれたデグニスの姿が消えると、紫暢は張り詰めていた緊張の糸が切れ、身体の力が一気に抜けるのを感じる。
しかし既に活動限界を超えていた身体に支えられるほどの力は残っておらず、紫暢は背中から倒れ込む恰好となる。
「ちょっ、重いですわ!」
試合が終わって真っ先に駆けつけたミーシャが背後から支える。
「あれっ……、ミーシャちゃん……?」
「そうですわ」
「ごめん、もう限界だわ」
「それは見なくても分かりますわ。こんなにボロボロになって……。あれほど無理は禁物だと言いましたのに」
「はは……。ごめん」
「聞きたいことが山ほどありますの。後で覚悟しておきなさいな?」
「これは手厳しいなぁ……」
「まあでも、今日のところは褒めて差し上げますわ」
ミーシャは紫暢に対して慈愛の視線を注ぐ。紫暢はフッと微笑み、安堵して意識を手放した。
「もうっ。あとで説教ですわよ」
紫暢の頬を人差し指で突きながら、ミーシャは大きくため息をつく。そして、意識を失った紫暢の頬を優しくなでた。
◆
これにて中盤の山場「武闘大会編」が終わりました。ただ今のところあまり読まれていないので、もし面白いと思っていただけた方がおりましたら、評価の方頂けると大変励みになります......!
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