武闘大会③

 地に這いつくばる自分の姿は、どれほど無様だろうか。デグニスの錬成した岩は、容赦なく俺を痛めつけた。口の中は衝撃で歯や岩の破片によって裂傷を負い、血だらけになっている。

 身体も無数の青黒い痣だらけに包まれているだろう。痣どころか、何ヶ所か骨も折れていると確信があった。

 皮膚感覚はとうの昔に失われ、残された底力と本能のままに身体を動かす。打たれた箇所は熱を放ち、その熱がまだ自分が倒れていないことを示すものとなっていた。

 デグニスも余裕の無かった表情が徐々に落ち着きを見せ、今度は致命傷を与えないように長く苦しみが続くような戦法を取っている。

 それが今は逆に有り難かった。例え苦しみが長く続こうと関係ない。斃れるわけにはいかないのだ。そうして全身を動かすために、気力を振り絞る。

 そんな時である。


 ……あれ、俺何のために戦っているんだっけ。


 朦朧とする視界の中で、ふと冷静な思考が舞い降りる。いや、冷静というのは少し違うかもしれない。


 そもそも、人間と吸血鬼という勝ち目のない戦いに参加するのを決意したのはなぜだ? 


 ああ、そうだ。デグニスから参加するよう脅されたんだった。


 ならばもうこいつは満足しているはずだ。俺のことを完膚なきまでにたたきのめし、これほど圧倒的な戦力差を周囲にアピールできたのだから、当初の目的は達成されただろう。


 もしかしたら、降参するのを待っているのかもしれない。


 ならば尚更放棄するべきだろう。これ以上一方的な暴力を見るのを観客も望んでいないはずだ。


 そういえば戦いの前、この戦いは自分のためだと話していた記憶がある。


 何かを背負って戦うのでなければ、ここで降参したって誰も責めないだろう。


 俺だってこんな苦しい思いをしてまで、目の前の男を打倒したいわけではないのだ。


 もういいだろう? 俺はよく足掻いたよ。これ以上戦ったって、何も意味はない。ただ恥を晒すだけなのだ。そうだ。もう諦めよう。


 そんな風に意識を手放そうとしたその時。

「貴方はよくやりましたわ! もうおやめなさい!」

 聞き慣れた心地よい声が耳を広がる。今の今まで、その存在を記憶から消し去っていた。途端に意識が覚醒していくのがわかる。この俺がよくやったって? 

 こんな無様な姿を晒して、どこがよくやったんだ。今の俺は、身の程知らずにも吸血鬼に挑んで返り討ちにされただけの弱い人間だ。


 ああ、そうか。


 単純な話じゃないか。


 自分のためなんてカッコつけていたのが、そもそもの間違いだったんだ。


 自分で自分を鼓舞しても、それは虚勢にしかならず、真の力を発揮するための燃料にはなり得ない。


 きっと俺は、大切な人の、ミーシャちゃんのためなら戦える。


 右も左も分からない俺に、この世界のことや常識、戦い方を叩き込んでくれた少女に。理不尽な現実の中で生きていても、決して弱みを見せなかった少女に。

 ミーシャちゃんが生きてきた16年の中で、どれほど不遇な時間を過ごしてきたのか、俺には想像できない。「混血は差別される」というのがこの国の常識となっている以上、その空気を変えるための力や地位を持ち合わせていない俺にはテコの入れようがない。

 でも、ミーシャちゃんが謂われない中傷を受けた時、否定することができる。挫けそうになった時、側で慰めることができる。

 目の前の男は、ミーシャちゃんを根本から否定する言葉を言い放ったのだ。このまま勝つことを諦めて、逃げてしまう方が余程ダサい。

 自分の置かれている状況を無視して俺に声を投げかけてきた少女のために、俺はこの試合で無様な勝利をもぎ取るのだ。

 敗北がほぼ確定している状況で、そんなふうに思える自分に笑う。どうすれば勝てるのか検討もつかないのに、だ。

 だが、そんな余力がどこから湧き出たのか、身体に羽がついたかのように軽くなり、攻撃が手を取るように見えるようになった。


 思い出せ。あの時鎮めた怒りを。この男がどれほど酷い言葉を投げかけてきたのかを。


 負けてたまるか。


 沸々と沸き上がる怒りを源に、あくまで冷静な思考を保ったまま、一心不乱に全身の細胞を昇華させる。

 ミーシャちゃんのために戦うと決め、怒りを思い出した瞬間、大きな力が身体の芯から沸き上がってきた。それが自信の源となって力強く大地を踏み締める地盤となっている。根拠はないが、今の自分ならば勝てるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る