可愛い君のため

「浮かない顔をしていますわね」

「まあね」


 週末、クラムデリア城に帰ると、ミーシャちゃんは変わらず出迎えてくれた。気遣わしげな声が心地よく耳を鳴らす。


「って、なんか作ってたの?」


 視線を落として色々なことを考え込む形だったので、ミーシャちゃんの服装を見て一瞬息が詰まる感覚があった。普段の淡緑を基調としたドレスに黒のエプロンを身につけている。


「ええ、焼き菓子を作っておりましたわ」


 なぜわざわざ焼き菓子を、と思い至ったところで、口が勝手に動いた。


「もしかして俺が帰ってくるのを楽しみにしてたとか?」

「そ、そんなことないですわ!」

「照れちゃって可愛いなぁ」


 やっぱりミーシャちゃんとの会話は和む。思わず頭に手が伸びた。自分とは何もかも違う絹糸のような艶を放つ髪は、触り心地が段違いだ。


「もー、撫でないでくださいまし!」


 もー、だって。なんだこの可愛い生き物は。ミーシャちゃんは紅く染まった頬をパタパタと仰ぎつつ、視線を背ける。


「でもまあ、貴方が帰ってくると思って準備していたのは認めますわ。余計な話をしてないで、早く座りなさいな」

「ああ、ありがとう」


 椅子を引いてくれたので、素直に腰を据える。窓の外に目を向けると、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。

 一度部屋を出て行ったミーシャちゃんは、さらに盛り付けた焼き菓子と紅茶を盆に乗せてすぐに戻ってきた。


「それで、悩み事はなんですの?」


 単刀直入に尋ねてくるが、どう説明していいのか頭の中でまとまらない。そして思いついたことをポンと言い放った。


「なあ、ミーシャちゃんは俺が魔法を使えるかもって言ったら驚く?」

「驚く、というよりは、頭がおかしくなったのかと心配しますわね」


 何を言うのかと思えば、と深くため息をつく。この世界で魔法を使える人間は歴史上にも一人としていないのだ。そのような反応をするのも当然と言えよう。

 なかなか言葉での表現は難しい。魔法というより、魂の内側から捻り出すような不気味な代物だ。そして目に映ることはない。魔法以上の的確な言い表し方が見つからなかった。


「今度武闘大会っていうのがあるんだけど」

「ええ、知っておりますわ。魔術大会でもいいのに、魔法の使えない人間も参加するため、武闘大会なんて物騒な名前がついていますわね。それがどうかしたのかしら?」


 武闘大会と言えば、確かに武によって決着をつけるもので、野蛮なイメージは拭えない。魔法学校ならば魔法学校らしく、別に魔術大会でも誰も文句は言わないだろうに、変なところで律儀というかなんというか。


「出ようと思ってるんだ」

「何を考えておりますの!?」


 今度はドン引きするのではなく、逆に距離を詰めてきた。手に持っていたクッキーを握り潰してしまうほどの驚きだったらしい。欠片が幾つも頬を掠めた。


「そんなに驚くこと?」

「本気で気が狂ったのかと思いましたわ」

「どうして?」

「クラムデリア魔法学校の武闘大会は、吸血鬼のための大会ですのよ。国賓が招かれる時だけは、学校が体裁を保つために人間も出場させて、ワザと善戦に見せかけて最終的には吸血鬼が勝ち、人間を穏便に退場させますの。裏を返せば、それほど人間には不利な大会なのですわ。悪いことは言いませんわ。辞退しなさいな」


 つまり、元々人間の出る幕は無いということだ。ミーシャちゃんの口ぶりだと、今年は国賓が招かれないらしい。


「いやぁ、ちょっと色々あってなぁ。できそうにないや」


 俺は歯切れ悪く視線を彷徨わせるしかなかった。これほどの拒否反応を示されるとは思っていなかったのだ。


「はあ、一応理由を聞いておきましょうか」

「吸血鬼に喧嘩を売られた」


 俺が自信満々にそう告げると、ミーシャちゃんは頭を抱えた。


「そんなことだろうと思いましたわ。あれほど関わるのは極力避けなさいと申し上げたのに。絡まれても全速力で逃げればわざわざ追ってくることはないとあれほど」

「だってしょうがないだろう。人間の女子生徒が貴族の吸血鬼に難癖つけられてたんだ」


 ミーシャちゃんを馬鹿にされたから、とは口が裂けても言わない。根本の原因はシェリルが絡まれていたのを助けたことだし、そもそも武闘大会に出なくてはいけなくなったのは、あいつらが執拗に絡んできたからだ。


「デグニス・ドラーゲルのことを尋ねてきたのはそういう理由だったのですね」

「いや、まあ」


 あの侯爵家は王都でも評判が悪いですからね、とため息をつく。やっぱり思想の偏りで腫れ物扱いされているのか。それに気付かないのは滑稽と言う他ない。


「武闘大会の期間だけ、欠席してもよろしいのではないかしら?」

「それだけはダメだ」


 理不尽な現実が目の前で起こっていて、それを認知しながら敵前逃亡するというのは絶対にしたくない。たとえ当たって砕けたとしても、悔いは残らないだろう。


「その目をするときの貴方は危なっかしく見えますわ」

「目が据わってる?」

「そうですわね」

「はは、面目ない」

「いいですの? 絶対に無理はしないこと。別に負けたって誰も気にはしませんわ」


 そうは言うが、デグニスとかいう貴族は俺に恥をかかせるために土俵へと引き込むつもりなのだ。勝利と敗北という単純な二択の結果が待っているはずがない。その過程は目を覆いたくなるほどの展開になるかもしれないのだ。

 これはただの自己満足だ。止められようとも突き通す。ミーシャちゃんにわざわざこの話をしたのは、許可を貰うためではない。俺が戦うという事実を知って欲しかっただけ。


「死なない程度に頑張ることにする」

「心配ですわ……」


 煩慮に喘ぐように、頭を拳でグリグリと押す。俺は苦笑いで誤魔化した。ミーシャちゃんが入れた紅茶は、とうに冷め切っていた。

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