シェリルの心配

 武闘大会への出場が正式に決定してから、俺はマーガレット先生に協力を仰いでひたすら鍛錬に励むことにした。2時間ほどの鍛錬が終わり、沈みつつある夕陽が妖艶に輝く逢魔時。寮へと戻ろうとしていると、偶然シェリルと遭遇した。


「あっ、先輩! あれ、お疲れですか?」

「まあちょっとマーガレット先生にしごかれてさ」


 震える膝を気合で伸ばし、背筋を張り、緩んだ表情も努めて固めたつもりだったが、一瞬で疲労を看破されてしまった。正直ヘトヘトで、立っているだけでも若干しんどい。普段の授業の倍くらいキツかった。でもその分技術は染みついたと思う。しっかりと成長を噛み締めることができていた。

 シェリルは放課後の雑用を自主的にこなした後、この時間まで宿題をしていたらしい。長い間メイドとして勤めてきたゆえの持久力というか、献身性には頭が下がる。


「あの……先輩? 武闘大会でドラーゲル侯爵様と戦うって聞きました」

「ああ、うん。耳が早いね」

「1年のクラス中でも話題でした。武闘大会に出場する人間の生徒がいるって」

「へえ、有名人になった気分だ」


 確かに、出場を表明してから好奇の目を向けられる回数が明らかに増えた。好奇というより、『吸血鬼に単騎で立ち向かう身の程知らず』として見られているようで、正直居心地は悪かった。


「……もしかして、あの時わたしを庇ったせいで戦う羽目になったんですか?」


 いつになく険しい表情で尋ねてくる。根本まで辿ればそうなのかもしれないが、今の俺は自分で決めた確固たる意思で立ち向かおうとしているのだ。気に病むシェリルは見たくなかった。


「別にそういうわけじゃないんだ。ただ武闘大会に出場することになって、その相手があの侯爵になったというだけだ」

「そうは思えません。組み合わせもそうですが、本来は棄権するはずの人間のクラスが突然出場を表明したというのはどう考えても不自然です」


 あまりにもできすぎている、というのは当然浮かび上がる疑問だった。それでもシェリルに影の帯びた表情をさせたくなくて、気丈に笑う。


「ただ参加してみたかったっていう理由じゃ弱いか?」

「そうじゃなくて、えっと。もしそうでも、周りも先生も止めるはずだと思うんです。それを押し切って出場する理由が、先輩にはあるんじゃないかって」


 マーガレット先生はともかく、確かに周囲は『悪いことは言わないからやめておけ』という空気一色だったのはひしひしと感じた。ミーシャちゃんも同様どころか、はっきりと辞退しろと言われたし、呆れて手に持ったクッキーを砕き飛ばすほどだった。


「……さすがに誤魔化せそうにないか」


 俺は天を仰ぐ。デグニスとの確執を知っている人間に対して、どうにか切り抜けようというのは難しかった。


「あっ、生意気言ってごめんなさい! 別にわたしのために戦って欲しいとか、そんなことではないんです! もしわたしのためなら気にせず辞退してくださいというのと、そうじゃなくても出場するのなら、無理をして欲しくないなぁっていうだけで!」


 シャリルは本当に優しい子だな、としみじみ思う。


「いや、ありがとう。でもシェリルが気負う必要はないよ。俺は自己満足のために戦うんだから」

「自己満足、ですか?」


 シェリルは小首を傾げる。


「あのさ、俺は別に自分が標的にされたから仕方なく出場するとかじゃないんだ。勿論理不尽を突きつけられて、腹が立ったのは事実だ。でも本当の気持ちを言うと、多分出たくなんかないんだよ」


 怖くないわけがないし、勝てる自信があるかと聞かれると、目を背けたくなる。だからといって、ミーシャが謂れもない中傷に晒されて、黙って目を背けるなんてできない。


「なのにどうして……」

「俺、この国に来てからすごく助けてもらった人がいてさ。その人は混血だからって馬鹿にされているんだ」

「人間と吸血鬼の、ですね」


 ハーフのこの国における扱いは、シェリルも存じていたらしい。納得したように目を瞬かせた後、下唇を薄く噛んだ。俺は小さく頷く。


「それってもしかして、ミーシャ・ルメニア王女殿下……ですか?」

「まさか言い当てられるとは思わなかった」

「クラムデリア辺境伯様と知己だと仰られていたので……。ミーシャ殿下は迫害ゆえにクラムデリアに居を構えていると聞いていたので、もしかしたらと」


 先程までドジっ子属性のメイドさん、というイメージだったのに、シェリルは話の理解速度や、断片的な情報から解を導き出すのが非常に上手くこなす。俺は素直に声を漏らした。


「デグニスはその存在を否定して、見下して、粛清しないのが間違いとまで言ったんだ。許せるはずがない。このままデグニスの言われるがまま、何もできずに拳を握っているだけじゃ、自分が許せない気がして。結局のところ自分を守るためなんだ」


 恩を仇で返す、というのは語弊があるかもしれないけど、感情的にはそれが一番しっくりくる。恩知らずにも逃げ出すことだけはしたくなかった。


「そうだったんですね……。ごめんなさい。わたしが巻き込んでしまったばかりに」

「それは違うよ。多分、この学校に編入した時点で、こうなることは避けられなかった」

「先輩はわたしにとっての恩人なんです」

「えっ……?」


 シェリルは突然胸に手を当てて、瞑目した。


「わたしは先輩と出会ってから、周囲にも馴染めるようになったんです。週末に伯爵邸に帰った時も、怒られることが減りました。同じメイド仲間の方には、笑顔が増えたねって言ってもらえました。最近、わたしとっても楽しいんです」

「俺は何もしてないよ」


 俺はなにもしてない。ただシェリルが前を向けるように、背中を押してあげただけだ。


「先輩にとってはそうかもしれません。でもわたしは本当に感謝しているんです。先輩と出会わなければ、今も卑屈なまま学校生活を送っていたと思います。そんな先輩が傷つくのは見たくないんです」

「だから少し落ち着かない様子だったんだ」

「正直、武闘大会に出るって聞いて肝が冷える思いでした。ミーシャ殿下のために戦うと言われてしまっては、止めるに止められませんし。わたしにはなにもできませんが、サンドバックでもなんでもお任せください!」


 シェリルはやる気をアピールする様に、むんっ、と得意げに腕に拳を作った。


「サンドバックて」


 この世界にもそんな代物があるのだろうか。


「あっ、でもやるときは少し手加減してくださると嬉しいです」

「やらないって」


 俺は苦笑する。一瞬ドM的願望を告げられたのかと錯覚した。少しでも役に立ちたいという優しさが膨れ上がったゆえの発言なのだろう。


「頑張ってください。わたし、応援してますから」

「ありがとう。頑張るよ」

 心からの応援の声は確かに胸臆にずっしりとのしかかる。俺は心の底から負けたくないと思った。

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