ミーシャちゃんの真実と武闘大会
「おい、そこの貴様。止まれ」
「ああ、いつかの」
ようやく授業にも慣れ始めた頃、突然前方から5人の吸血鬼に呼び止められた。その顔に俺は見覚えがある。デグニスという貴族とその取り巻きだ。取り巻きは一様に嘲謔を向け、余裕に満ちている。
週末にクラムデリア城に帰った時、ミーシャちゃんにデグニスという名前を尋ねたところ、王都でも有力なドラーゲル候爵の息子で、徹底的な人間排除主義を掲げているのだという。この魔法学校に入学したのは、所属する人間をいびるため、なんて噂もされていた。
今歩いている場所も、人間クラスの校舎と学生寮がある場所に程近い場所だ。その噂はある程度信憑性の担保された情報なのだろう。
正直相容れない存在だろうと思う。表向きはミーシャちゃんに教わった目上の者に対する丁寧な所作を心掛けつつも、内心では軽蔑の心情を留めていた。
「貴様のこと、調べさせてもらった」
「ほー、随分と私にご執心のご様子で」
こんな取るに足らないような人間について調べ上げるとは、相当な暇人である。もはやストーカーと言っても差し支えないだろう。
「人間というだけでも気に入らないが、相当怪しい男のようだな。貴様はルメニアに入国した記録も無ければ、孤児院に所属した形跡もない。にも関わらずクラムデリア城を出入りすることが許され、辺境伯からも便宜を図られていると見える。怪しいを通り越して辺境伯が人間が開発した危険分子を秘密裏に抱き込んでいるように感じてもおかしくはなかろう」
「そう仰られましても、私は南東の森で生まれ育った身です。なにぶん世間知らずでして」
吸血鬼に難癖をつけられたら、このように答えろとミーシャちゃんから釘を刺されていたが、これほど早くその機会が巡ってくるとは思わなかった。
「ああ、人間が住んでいるという森か。あの森は焼き払うべきだと俺は思うのがな」
デグニスは肩をすくめる。南部の森は、樹木が乱立し気候も安定せず一度入ったら抜けられなくなる恐れや、危険な動物も多く出現することから、吸血鬼も安易に近づかない場所であった。
人間が住んでいるとされているが、その存在が気に食わない吸血鬼もこのようにいると聞いていた。実際に危害を受けたわけでもないので、その排除を表立って提言する吸血鬼はそう多くないらしいが。
しかし焼き払う、などと物騒な言葉を発するものだ。筋金入りの人間嫌いの噂は違わぬようである。
「とはいえそれが城に出入りしている理由にはならぬな」
「それは……」
まごう事なき正論。どうにか誤魔化せないかと思ったが、これほどの執着心を前にして見逃すわけがない。
「聞いたぞ。ミーシャなどという穢れた血を引く混血児と随分と親しくしているようではないか。あれは陛下の末子が禁忌を犯してまで人間と作った忌子よ。陛下が『たとえ混血児であっても王家の血を引く者をみだりに殺生すれば、いずれ地獄に辿り着くことになる』などと、恩情で王家の者としたに過ぎぬ。その末子すらも処罰は王位継承権の剥奪と追放のみというから、陛下もお甘いことよ」
こいつは何を言っているんだ、と最初は理解が及ばなかった。ルメニアの王族は基本的に人間と婚礼を挙げることはないが、それは前例がなかっただけだろう。人間と結婚することに対して不満を抱くのは、歴史的経緯からも一万歩譲って納得はするが、その間に誕生した子供に罪はないのだ。人間と吸血鬼のハーフは社会的にその存在を認められないとでも言うのだろうか。
ミーシャちゃんからハーフの子供の扱いがどうなっているか聞いたことは無かったが、当然だ。ミーシャちゃん自身がその境遇に置かれているのだから。吸血鬼と人間の子が忌子とされるのは真実なのだろう。だからミーシャちゃんは外出するのを頑なに拒んだのだ。吸血鬼から目の敵にされて危害を加えられるのが怖かった。
「ミーシャちゃんが混血である、という証拠でもあるのですか?」
ハーフなのが悪いと言うわけでは決してない。だがそれが事実でないのに言いがかりをつけられているのなら、あまりにも酷いと糾弾したかった。
「ふん、何を言うかと思えば。吸血鬼と混血児など一目瞭然であろう。」
俺にとって吸血鬼とハーフの区別はつかないが、吸血鬼はつくのだろうか。日本人は他の人種とのハーフだとしてもハーフだという確証を得ることは難しいように思うが、彼らの目からは差が歴然らしい。
今思い返すと、ミーシャちゃんの行動は不可解な点が多かった。一つ一つを紐解いていくと合点がいく。
まず王族でありながら、ずっとクラムデリアに滞在していたこと。これは王都で居場所がないからだ。人間の存在が許容されており、かつ当主であるセルミナも人間に対しての偏見や嫌悪を一切抱いていなかったことから、逃げるようにしてクラムデリアに来た。クラムデリアは多少は居心地良く過ごせる場所である一方で、混血への忌避感というものは依然として存在しているのだ。
また、冬の間は俺につきっきりで、多くの時間を共に過ごしているのも謎だった。王族ならば多少なりとも公務などを任されるはずで、何処の馬の骨とも分からない男、それも人間と共にいるなど本来あり得ないことだ。
そしてミーシャちゃんは魔法学校に通っていないこと。16歳になると、吸血鬼の多くは魔法学校に通う。王族で魔法学校に通わぬはずがないのだ。通えない理由があるとすれば、身体が弱いとか、学校に通う必要のないほどに能力に優れているとか、それくらいしか思い至らない。
ミーシャちゃんはそのどちらでもなかった。病弱なのを表向き隠しているだけなのかもしれないが、少なくとも俺に対してその片鱗は欠片も見せることはなかった。
ミーシャちゃんがハーフである、という事実を否定する材料は見つからない。ほぼ確定的と言って良いのだろう。相談してくれればよかったのに、と自分が信頼されていないようで一瞬気が沈んだが、ハーフのこの国での扱いを聞く限り、そうそう他人に言えるようなことではない。
あの夜、セルミナはミーシャについて『孤立している』であったり、『問題はミーシャではない』などと、不穏な表現をしていたが、こうした背景があったと言うことだ。ミーシャ自身に問題があるわけでもないのに、ハーフというだけで強烈な差別を受けるこの国の現状に、嫌気が差した。そういえば、日本でも昔、双子というだけで忌子とされて嫌われ、片方を養子に出したり捨てたり、ひどい時には殺していたこともあったと聞く。そんな忌子という概念があることに巨大な忌避感を感じてしまう。
できれば本人の口から聞きたかったが、あくまで知らないふりをして、自分から話す気になるまで話題に挙げるのは控えようと思った。
しかし、そうか。こいつのような貴族がいるから、ミーシャちゃんは肩身の狭い思いをしながら、外出すら出来ずにクラムデリア城の屋敷に籠ってしまっているのだ。
そう思うと、沸々と湧き上がる怒りがあった。
ミーシャちゃんは俺が受けた理不尽を、いや、それ以上のものを、その半生を通して受け続けている。
そしてそれを嘆くことなく気丈に振る舞い、自分を磨くための努力も怠らない。
強くて健気で、口では文句を言いつつも、結局は丁寧に教えてくれる。箱庭に閉じ込められているのに、誰よりも物知りなのだ。きっと人よりも本を読み、鍛錬を積んできた。
寮に入る前の会話で、瞳が引き留めるような色を帯びていたから、あのように揶揄ってしまったけど。本当は誰よりも城の外に出て、学校生活も、休日の外出も、謳歌したいはずなのだ。それをおくびに出さず振る舞っている。
そんなミーシャちゃんを存在の根源から否定するこの男が、どうしても許せなかった。
「せめて魔法さえ使えれば国を守るための盾くらいにはなれたであろうに。混血児はそれすらもできん。まったく、存在することすらも忌々しい」
「少々黙っていただけますか?」
「……人間風情がなんだ、その口の聞き方は」
デグニスはあからさまに機嫌を損ねた様子で、自慢の八重歯を軋ませる。
本当は殴りかかりたかった。激情すらも出すことなく堪えたのは自分でも褒めてやりたい。でもそれはあまりにも幼稚で、後先考えない行動である。
目の前の吸血鬼はただの吸血鬼ではなく、この国の中枢を担う侯爵の跡継ぎだ。それをセルミナの恩情でどうにか通わせてもらっている俺のような人間が手を出せば、一発で処刑台行きだろう。命が助かればラッキーだ。
それに問題は俺だけに留まらない。むしろ俺以外が問題だ。まず俺がクラムデリア城を出入りしていたことが露見している以上、セルミナとの関連性が疑われる。ミーシャちゃんが頑なにセルミナとの接触を認めなかったのは、そうした理由なのだろう。
ただ、今の俺は否定するための材料を持たない。国自体が反人間主義である以上、恩のあるセルミナに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
それにミーシャちゃんと約束したのだ。たとえ中傷や暴力を受けても、安易に手を上げないと。過酷な運命の中にいる当のミーシャちゃんが言うのだ。俺が短慮にも暴れ回ったりしたら、俺だけの問題では済まなくなる。
そもそも暴れたところで叶うはずもないのだ。吸血鬼の身体能力や魔法という特殊能力を考えれば、万が一にも勝ち目はないし、相手は五人である。勝てる道理はなかった。
「お気を害したならば謝罪致します。しかし私は貴方達のように混血であろうと気にしておりませんでしたので、価値観の違いに少々驚きましてな」
「ふん、人間は愚かなものだな。だが貴様が取るに足らない男だということが分かった」
俺のことを詮索した結果がそれか、と思ったが、こいつらは最初俺を”謎の存在“として警戒していた。その疑念が晴れたから心置きなく潰せると見たのだろう。その口元には何かを企む邪悪な歪みが窺える。
「私を如何するおつもりで?」
「そうだな、ただここで叩きのめすのも一興だが、それでは自己満足に過ぎん。貴様には大勢の前で恥をかいてもらおうか」
なんとしても人間に対して圧倒的な優位性を示したいらしい。
「大勢の前で、とは? 私を磔台にでも登らせるおつもりですか?」
「悪くはないが、それでは満足できん。貴様には今度の武闘大会に出てもらう」
一瞬舞踏大会と勘違いしたが、そのような華やかな場というのはあり得ないだろう。となれば武闘大会で戦えと言いたいのだろう。
「武闘大会、ですか?」
「ふん、知らんようだな。まあ人間は希望者がおらず、棄権することもあるくらいだ。人間とは腰抜けどもの集まりのようだからな」
口を開くたびに人間に対する怨みつらみが出てくるな。
「それに出ればいいんですね?」
「ああ。頼むから棄権などと退屈なことはしてくれるなよ」
ちょうど俺もこの男に一泡吹かせたいと思っていた。簡単に俺を倒せると思ってもらっては困るな。確かに吸血鬼とまともにやり合ったら俺は即病院送りだろう。でもルメニアにやってきてから、一つ気づいたことがある。俺に普通の人間には持ち得ない”何か“が備わっていると。その”何か“に縋り、薄い勝ち筋を手繰り寄せるのだ。
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