合同授業の持久走

「オラァ! 貴様ら弛んでるぞ! もっと死ぬ気で走れ!」


 二人が言ったことは本当だった。あれだけ念を押されていたので、冗談として片付けたつもりは一切なかったのだが、それでも驚くには十分な変貌ぶりである。人はギャップに惹かれると言うが、ついマジマジと観察するように見てしまったので、別の意味で正しいのかもしれない。

 マーガレット先生は、なぜ教師なのに生徒を後ろから追いかけ回しているのだろうか。マーガレット先生の発破でペースがやや増した気もする。息一つ切らさずにいるのを見ると、もはや恐怖すら感じる。このスパルタ指導には忍耐力を鍛える意図もありそうだ。

 それにしても、『魔法学校』という名前でありながら、初手で体力を増強するトレーニングを課されている。正直しんどいし、今すぐにでも放り出したいが、日本でも日課のランニングだけは欠かさなかったので、中盤の集団にどうにかついていけていた。

 今日は人間の生徒は三学年が合同に授業をする日らしい。敷地の外周約20キロを走破する過酷なものである。人数自体は全体でも100人程度で、この学校の規模からするとかなり少なく感じた。ミーシャちゃんが『クラムデリアの縮図』と言っていた理由が分かる気がする。

 学年が上がるごとに体力的な差が顕著に表れるのは当然であるため、1年、2年、3年と15分ずつのハンデが設けられている。かつ女子生徒はさらに10分がハンデとして与えられる。男女混合で行う意味が果たしてあるのかは疑問だが、同じ時間に授業が設定されている以上、仕方ないのだろう。モチベーション向上のためか、トップ3には景品が与えられるというが、どんなものが貰えるのだろうか。例えば景品として食堂1年間無料券とかが存在しても、喜ぶ人間は少ないだろう。食堂は吸血鬼のテリトリーだからな。

 そうして中盤の集団にペースを合わせていると、前方に一年の最後尾が見えた。最後尾、といっても女子生徒一人ではあるが。

 明らかにペースが遅い。下手したら俺が歩く速度くらいかもしれない。二年の先頭集団はその女子生徒に目もくれず、無情にも追い抜いていく。

 その姿が近づくにつれて、見覚えのある後ろ姿であることに気づいた。それが全く知らない人間であっても、心配の視線を向けるくらいのことはしたと思うが、話しかけずにはいられなかった。


「大丈夫か? 随分とキツそうだけど」

「えっ、あっ、はい! だ、大丈夫です!」

「全然大丈夫には見えないけど」


 女子生徒は息を切らしながら気丈に振る舞うが、身体には伴っていない。限界であることは明瞭だった。


「無理そうなら休んだほうがいいよ。実を言うと俺も限界でさ。一旦小休止を挟もうと思ってたんだ。息が整うまでゆっくり歩こう」


 ただの方便だが、明らかにしんどそうで、放っておいたら倒れ込んでしまいそうな様子を見てなお、ここで声をかけるだけかけて先に行くなんていうのは自分を許せなくなるのは確実だった。


「すみません……。あの、先輩って昨日助けてくださった方、ですよね?」


 ペースを落とし、普段の歩く速度に切り替える。短く整えた綺麗な青い髪と、幼さが帯びた顔立ち、夜空に浮かぶ星々のように澄んだ瞳が目に映る。


「ああ、うん。覚えててくれたんだ。まあでも、内心殺されないかビクビクしてたけどね」


 もうあの場は乗り切れたので、正直な言葉を告げる。


「ごめんなさい! 私のせいで危険な目に遭わせてしまって」


 軽い気持ちで言ったのだが、顔面を蒼白にして何度も深く頭を下げ始める。その上下運動ができるくらいならまだ走れそうでは? と思うくらいに高速だった。


「明らかにあの吸血鬼が言ってる事はおかしかったし君も被害者だよ。災難だったね」

「いえ……。ほんとはすぐに謝らないと、って思ったんですけど、どうしても上級生のクラスに行く勇気が出なくて」

「気にしないでくれ。俺も別にお礼が欲しかったわけじゃなくて、理不尽な言いがかりを許せなかっただけだから」


 単純に道理の通らない事を恥ずかしげもなく公然と宣うあの吸血鬼を前にして、口を挟まずにはいられなかった自己満足なのだ。その言葉に安心してか、シェリルはホッとした様子で視線を上げ、俺の双眸をジッと見据える、


「わたし、シェリルっていいます。呼び捨てで呼んでください。先輩のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「シノブだ。よろしくね」

「はい! よろしくお願いします!」

 それにしても、純粋そうな性格や柔和な雰囲気といい、身体能力といい、スパイには程遠いものがある。


「シェリルはどうしてこの学校に? ほら、この学校って人間にとっては、言ってしまえばスパイ養成機関みたいなものでしょ? ちょっと似合わないなぁ、なんて」


 言って、後悔する。この学校に通う人間の多くは孤児だったり訳ありが多いとも聞いた。そんな裏事情がある可能性もあるのに、気軽に尋ねてしまうのは、あまりにも無遠慮だと思った。


「あ、もちろん言いたくなければ言わなくていいんだ。ごめん、突っ込みすぎた」

「いえ、いいんです。疑問に思うのも当然ですよね。わたしはスパイになりたいわけじゃないですし、そもそも向いているとは思っていません。ならなぜこの学校に来たかと言いますと、わたしがお仕えしているべルナール子爵様がお命じになられたからなのです」


 ベルナール子爵とは、クラムデリア近郊に領地を持つ下級貴族である。ミーシャからこの国の上級貴族と、クラムデリア周辺の諸侯については叩き込まれているので、どんな立ち位置にいるかも教わっている。ベルナール家はそれなりに裕福な家柄だそうで、クラムデリア辺境伯家に対する忠誠心も特に高いと聞いている。


「メイドとして仕えているってこと? でも尚更何のためにこの学校に?」

「わたしが使えなさすぎるから、です。仕事でもミスが多くて、よく子爵様には叱られました。そのせいでこの学校を卒業できるまで帰ってくるな、と告げられました」

 あはは、と力無く笑う。でも命じられた、ということは少なくとも見限られたわけではないのだろう。おそらくは武者修行のようなもの。クラムデリアの近辺では人間の孤児が吸血鬼の十分の一以下の価格で売られており、金のない貴族はそれを買って屋敷で働かせることも少なくないらしい。

 ベルナール子爵家の当主は女性と聞いているが、かなり厳格な性格で知られている。


「子爵様はわたしを奴隷になりかけたところを引き取ってくださったのです。その御恩を返せず、あまつさえ迷惑ばかりかけてしまったのですから、見捨てられて当然です」


 あからさまに気落ちした様子で肩を落とす。ただ人物を聞いた限り、使えないからと冷遇するようにも思えない。


「見捨てられた訳ではないと思うよ」

「えっ……?」

「この学校は確かにスパイ志望の人が多いけどさ、そうじゃない人もいるし、その場合は実技ができない分を勉強や違うことで補うことだってできる。俺だってそうだよ。別にスパイになりたいわけじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「俺がこの国に来たのはさ、成り行きに過ぎないんだ。でもセルミナに助けられたんだ」

「セルミナ……って、クラムデリア辺境伯家の!? お知り合いなのですか!?」


 シェリルは心底驚いた様子で思わず後退る。


「まあ一度しか面と向かって話せてはいないけどね。ルメニアはかつて人間と戦い、多くの犠牲者を出してきた。そして今、再び戦争が起きるかもしれないと噂されている。そうなると、最前線に立つのはセルミナだ。でも俺にはそれを守るための力が何一つない。ルメニアに来て、自分の無力さを知ったんだ。だからこそ、セルミナを守ると胸を張って言えるくらいの人間になるため、この学校にきたんだ」

「ただ命じられるままに何の目標もなくこの学校に入ったわたしとは大違いですね」


 自嘲に涙腺を歪めるシェリルを見て、自分語りに耽ってしまったことによる羞恥心を実感する。


「言いたいのはそういうことじゃなくて、ベルナール子爵はシェリルのことを思ってこの学校に送り出したんじゃないかなって思うんだ。見捨てたなら首を切ればいいはず。それをしなかったってことは、シェリルを少なからず好ましく思っているからだと思うよ。期待を込めて、君の背中を押したんだ」

「先輩……」


 見捨てられたと勘違いして思考停止するのではなく、自分を磨くために時間を費やすべきだと思う。何を偉そうに、と客観的に見て感じた。


「メイドなら先生の手伝いを積極的にしたり、クラスの雑用を進んでやるとか、校舎の掃除とか、みんながやらないことをやりつづければ、周りから良く映るんじゃないか、なんて思うけど」


 内申点を稼ぐため、と表現すれば聞こえは悪いが、シェリルはメイドとしての武者修行の真っ最中なのだ。


「……分かりました! 先輩、ありがとうございます。わたしにも目標ができた気がします。何から何まで、ありがとうございます」

「俺は何もしてないよ」

「そんなこと……って、あ!」

「なに?」

「外周走、もう手遅れですよね……」

「あっ……」


 20キロの外周走であることを忘れて、人生相談に没頭してしまった。もう最後方の生徒すら前方には窺えない。俺は手遅れだと諦めて、シェリルと同じペースで走ることにした。


「ご迷惑をおかけします……」

「気にしないでくれ」


 最後まで走り終えた後、俺だけマーガレット先生から死ぬほど説教を喰らったのは、言うまでもない。

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