人間の教室
魔法学校の敷地は、クラムデリアの中心部からそう離れていないにも関わらず、かなりの面積を誇っている。吸血鬼と人間のトラブルを可能な限り避けるためという名目で、人間の教室はやや離れた場所に位置する。
学生は外部からの出入りは基本的に正門を利用するし、宿舎も吸血鬼と棟が違うだけで隣接している。食堂や演習場も共同なので、接触を避けるのは不可能であることは付け加えておこう。ただ人間の学生は吸血鬼が集まる場所に行く気もないし、メリットもない。食堂もほとんど利用することはなく、基本的に食事を持参している。
「おはようございます……」
校舎に入った瞬間、緊張がぶり返してくる。先程の胆力がどこへ消えたのか、控えめなトーンで教室の扉を開いた。
幾つもの双眸が一斉にこちらを向く。
「来たな編入生」
「うおっ!」
死角に隠れていたらしい男が俺を驚かせにかかってきた。俺は思わず跳躍して距離を取る。剣術訓練の成果なのか、思ったよりも距離が出て壁にぶつかりかけた。
「このバカ、驚かせるためにそこで待ち構えていたのよ」
赤い髪を携えた少女が呆れ顔で寄ってきた。キリッとした目元から、気の強そうな雰囲気を滲み出ている。
「さっき見てたぜ。まさか編入初日に吸血鬼に突っかかるとはな!」
「見てたなら助けてほしいんだが」
俺は大きなため息をつく。
「はは、無理無理! 逆立ちしても敵わねえよ」
「ま、そうだろうな」
「少しは否定しろ! やってみないと分からないとかさ!」
俺が即座に納得する。この男がどんな能力を秘めているのか正直わからないし、そもそも人間は単身では吸血鬼にはまず敵わないというのは、俺ですら理解していることだ。
「やる前から諦めて敵前逃亡はあまりにダサいな」
「地味に刺さる言葉はやめてほしい」
男が胸を押さえて泣くような仕草まで始める。
「めんどくさいやつだな」
「そうなのよ。こいつ、めんどくさい奴なの。あ、申し遅れたわ。私はルージュ。よろしくね」
「俺はブラウ! よろしくな!」
「俺はシノブ・オケガワだ。よろしく頼む」
ルージュとブラウというらしい。編入生に対してやけにフレンドリーだと思ったが、ふと周りを見ると、冷静にこちらを見定める者の方が大多数だった。ミーシャの言っていた通り、俺のことをよく思わない人間も少なからずいるのだろう。あまり目立ちすぎる言動は避けるべきだろうな。
ただこの二人が特別なだけなのだろう。ミーシャが人間の生徒は諜報、即ちスパイ志望が殆どだというから、性格的に快活な人間が少ないのだ。まあ敵組織に取り入るならば親しみやすいのも必要だし、もしかしたらそういう演技が得意なのかもしれない。
「苗字持ちなんて珍しいわね。もしかしてワケあり?」
咄嗟にフルネームを名乗ってしまったが、ルメニア王国に限らず、この大陸では苗字が珍しいという事をすっかり失念していた。苗字を持つのは貴族階級や特別に認められた者である。そのため、安易に苗字を名乗らないこと、とミーシャに言われていた。軽く流してしまっていたが、今後は肝に銘じておこう。
「すまん。その通りだ。別の大陸から来たんだが、ウチの国では苗字は全員持ってる」
「へえ〜、別の大陸か。あまり知らないけど、どういう感じなんだ?」
興味津々、といった様子でブラウが目を光らせている。馬鹿正直に地球の日本というわけにもいかないし、咄嗟に大陸と言った以上離れた島国と訂正するのもおかしい。どうしたものかな、と頭を捻っていると、扉の開く音が教室中に響き渡った。
「はい、席について~」
間伸びした声が響く。俺はラッキーと思い、空いている席についた。どうやら用意してくれていたらしい。先生と思しき女性は教室を見回す。
「お、編入生もちゃんと来てるね。えらい。はい、拍手〜」
まばらに拍手が起きるが、正直歓迎とは程遠い空気である。
「さて、今日から新学年だけど、顔ぶれは殆ど変わらないし自己紹介とかは要らないよね。クラスの分担とかも去年のままで文句はないだろうし、今日はここまでにしようかな。はい、お疲れ〜」
パンパン、と手を叩くと、生徒たちの多くは反論もなく各々荷物をまとめて帰ってしまった。談笑に興じているのはほんの数人で、このクラスの不気味さを肌で感じる。
「早すぎるだろ」
「まあ最初は戸惑うわよね」
「いつもあんな感じなんだよな。マーガレット先生」
「でも気をつけなさいね。あの人、授業になると豹変するから」
「いやいや、そんなこと」
「マーガレット先生は実は引退した元スパイだ」
「あまりのスパルタに毎回一人は漏らすのよね」
わざとらしく握った拳に頬を乗せ、ため息をつく。
「はぁ?」
あの鉄の仮面を貼り付けたような連中が情けなくも糞尿を晒すとは思えない。そんな光景、目にしたらシュールで吹いてしまうかもしれない。
「まあ、それは嘘だけど、それくらい厳しいから覚悟しておきなさいね」
「そうそう。でも厳しいのはスパイが死と隣り合わせだからだぜ。拷問なんか受けた暁には、機密情報を漏らす恐れだってあるしな。国が予算を投じている以上、人間のクラスは吸血鬼より厳しいぞ」
「そうなのか。てっきり皆やる気がないのかと思った」
「その逆ね。彼らの多くが孤児だから、相当な覚悟を持っているわ。人間の国だと自分の子供を捨てると罪に問われるから、この国に投棄しちゃうとかね。珍しくないわよ」
やってることえげつないな。死体が残っていなければ、子供を捨てた証拠は見つけられない訳だ。吸血鬼の国は人間にとって仮想敵国だから、おちおち捜索隊も派遣できない。現代日本と違って、そもそもそんな人員を割く方が珍しいだろう。となれば罪に問えない。失踪として処理されるわけだ。
そして捨てられた子供たちは、孤児となって行き場を失くす。それを保護する孤児院もあるのだろうが、人間を受け入れるのにはリスクも伴う。
「彼らは曲がりなりにも吸血鬼に育てられたから、恩返しをしたいと思っているはずよ。背水の陣でこの学校に来たの。落第なんて以ての外。全員が死にものぐるいでスパイを目指してる。周りは全員敵よ」
「殺伐した空気だったのはそれが原因か」
「私たちなんかスパイになるつもりは毛頭なくて、単に親がクラムデリアで商売を営んでいるからで、彼らほどの熱意があるわけではないけど」
なるほど、クラムデリアでは人間との交易が頻繁に行われていると聞いていたし、ここで交渉やら販売やらを担当するのも人間という訳だ。お互いの種族が信用し合って委託する、というのも難しいだろうしな。
「でも吸血鬼に勉学では負けたくないの。戦いじゃ到底敵わないけどね」
その瞳には並々ならぬ戦意が篭っている。
「俺は槍術を学んでるんだけどよ、あいつら魔法が使えない俺たちを、事あるごとに見下してきやがるんだ。あんまいい気はしないよな。だからお前の朝の行動はズバッとしたぜ」
「ズバッと……?」
それを言うならスカッとではないだろうか。
「口で言い負かしちまうんだからよ。いつボコされるかヒヤヒヤしてたぜ」
「俺も内心ビビりまくってたさ」
「いやいや、中々の胆力だったぜ」
「私も見てたけど、あれなら大口の顧客に対しても通用しそうね。どう、ウチの店で働かない?」
「過酷な商売に引き込まないでくれ。身体が保たない」
「あら、残念」
然程凹んだ様子はなく、左眉を僅かに上げて残念がる。ルージュの店で働くといきなり交渉の現場に放り込まれそうだ。困窮した時にそれでも雇ってくれるなら、その時にはまた再考させてもらいたいものだ。
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