人間と吸血鬼の対立

「そうだ。王都では助けてくれて本当にありがとう。君が居なければ命は無かった。おまけに私財を投じてまで治癒師を呼んでくれたとか」


 紫暢は深々と頭を下げる。右も左も分からない世界で、セルミナがいなければあのまま殺されて市中を引き摺り回されていたかもしれないし、そうでなくとも治療など受けられるはずもないのだから、放置されていてはそう長く保たずに野垂れ死んでいたことだろう。


「礼を言われる筋合いは無いわ。当然の事をしたまでだから」


 淡々と、本当に何のことでもないように告げた。俺はそれに対して苦笑いを浮かべる。


「当然の事、ね。この国では人間が差別されて虐げられてるって聞いた」

「ええ。悲しいけれど事実ね。特に貴方がいた場所は、王都でも特に反人間派の吸血鬼が多く住んでいたの」


 そんな場所に人間が一人で立ち入ったら危険なのは明白だ。紫暢は単純に運が悪かったということだろう。例えばアメリカのギャング街に丸腰の日本人が入っていけば、似たような目に遭うだろう。そうでなくとも、セルミナにこうして拾われなければ、どこかで詰んでいただろうな、と紫暢はまだ現実感がないからかゲームのような感覚で考えてしまっていた。


「なのに俺を庇ったのはなんでだ?」


 人間への差別的思考が根強いならば、人間を公衆の面前で庇う行為は民心を遠ざける要因になりうる。人間は敵対勢力であり、排除すべき存在で考えは統一されているのだ。それが一民間人となればそう問題では無いが、王位継承権を持っている辺境伯の地位にある吸血鬼がしてしまうのはあまりにも周囲を顧みない行為だろう、と紫暢は助けて貰った恩を感じつつも疑問を呈さずにはいられなかった。


「そうね。深い理由はないわ。強いて言うならば、私がそうしたかったから、かしら」


 そう言ってセルミナはコロコロと笑う。そうしたかったから、で片づけられるようなものでは無いだろうと思わず突っ込みたくなった。


「人間を庇う危険性を知っていて、か?」

「吸血鬼も全員が全員人間に対して恨みを抱いているというわけでは決してなくてね。王都でも人間が安全に歩ける場所はあるの。特にクラムデリアでは人間もある程度住んでいるわ」

「へ?」


 紫暢は要領を得ない発言に眉根を寄せる。


「クラムデリアは人間の国の侵攻に備えた西の砦。人間が住む最東端にある二つの国に接しているの。北側のメーテルブルクと、南側のオスト・フェルキナね」

「それが何の理由に」


 紫暢はその意図を全く掴めなかった。それを他所に、セルミナは話を続ける。


「人間と吸血鬼は確かに長い対立の歴史を持っているわ。最近起きた戦争は90年ほど前かしら。大陸全土を巻き込んだ世界戦争になったわ」

「それはミーシャちゃんに聞いたよ」

「でもその一方で、ここクラムデリアにおいては貿易が長年盛んに行われていたの。メーテルブルクとは訳あって今は一切のつながりを絶っているけど、オスト・フェルキナは吸血鬼に対して融和的な姿勢を取っているわ。私もできることなら人間とは争いたくないし、できることなら仲良くしたいわ」

「つまり、国境を守る辺境伯でありながら、実は国で一番の親人間派だと?」

「笑っちゃうわよね?」


 セルミナは笑顔を取り繕うが、しんみりとした空気が流れる。

 紫暢は複雑な事情があることは察したが、だからといって納得に足る理由であるとは思えなかった。しかし目の前の少女がその理由だけで行動に移してしまうことは容易に想像できた。だからこそ、セルミナが自身の立場を顧みずに本来は憎むべき存在である人間を積極的に助けた、という事実は紫暢の心に重くのしかかる。自分が目の前に同じ光景が広がっていて、セルミナと同じ立場にあるとして、助けの手を差し伸べるだろうか。答えは否だった。

 日本という箱庭で惰眠をむさぼりながら、発展途上国の貧しい人々のために募金を行うのとは訳が違うのだ。結局、人間とはいざ自分に危険が及ぶと、保身に走る。

 それだけで、目尻から無数の涙が流れ出てきた。異世界という得体の知れない環境に突然放り込まれて、初手から降り注ぐ悪意の雹に晒されて、正常な精神を保てという方が無理だった。事実、紫暢は心を一度へし折られた。その暗闇で唯一手を差し伸べてくれたセルミナに、紫暢は心の底から深謝した。


「泣いているの? もしかしてどこか痛い?」


 セルミナは心配そうな顔で覗き込む。泣いている姿を見られたくない、という男的な心理も働いて、紫暢は雑に涙を拭って笑顔を見せる。


「いや、痛いとか悲しいとかじゃ無いんだ。ただ嬉しくて」

「嬉しい?」


 セルミナは首を傾げる。


「うまく言えないや」

「何それ」


 セルミナは苦笑して紫暢の横に静かに腰を落とす。そして魔法で放っていた光を仕舞い、星を見上げながら口を開いた。


「空が綺麗ね」

「うん」



「帰る当てはあるの?」

「ないんだよなぁ、それが」


 ここが地球の反対側だったとしても、日本の大使館を頼るとか、帰る方法はあっただろう。しかし日本という国が知られていない以上、ここは地球でないと認識した方が紫暢にとって精神衛生上安泰だ。言葉が通じるだけ、紫暢はありがたいと思った。むしろ言葉が通じない国に突然放り込まれるよりずいぶんマシである。


「ニホンって国から来たってミーシャから聞いたわ。でもそんな国は私も知らないの。ごめんなさい」


 心底申し訳ないという表情で、セルミナは肩を落とす。日本という国がこの世界に存在しない以上、おかしなことを喋る怪しい人間だと糾弾されても文句は言えない。にもかかわらずセルミナが親身な姿勢を崩すことは一切なかった。


「いやいや、謝る事ないって」

「気が済むまでここに滞在してくれていいわ。ここは人間がいても然程目立つことはないし、我が国の吸血鬼が貴方にした酷いことのお詫びだと思って欲しい。勿論、人間の国の方が良いなら護衛をつけて希望の場所まで送らせるわ」

「いや、ありがたく居候させてもらうよ。正直、この先どうしようか迷っていたんだ」

「そう、ならよかったわ。この屋敷はあまり吸血鬼が出入りすることがないから、安心して過ごしてね」

あまり吸血鬼が出入りすることがない、という部分に紫暢は若干の引っ掛かりを覚えたが、突っ込むようなことはせず、むしろありがたいとまで感じた。

「助かる」


 紫暢は安堵して虚空を見上げる。そしてこれからどうしようかと先の未来を想像して、その不透明さに気落ちした。

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