学園への入学

「聞きましたわよ。貴方、クラムデリアに留まるらしいですわね」


 ミーシャが呆れたように肩を竦めている。


「耳が速いな。まあ、いく当てもないからな」

「酔狂なことですわね。こんな国に留まるなんて」


 ミーシャの表情に影が差す。そんなに俺が留まったのが残念なのか、と紫暢は少し傷ついた。もしくは自分の身を案じてなのであれば逆に嬉しいな、などと生産性のない思考に浸る。

 だが、紫暢にはひとつ気になることがあった。ミーシャは口調こそ紫暢に対して厳しいものの、そこに敵意は一切ない。最初から一貫して人間への嫌悪感などは一切感じていなかった。セルミナも同様だ。この国に生まれて、何もなしに人間に全く固定観念を持たず生きていくなど不可能だ。そう考えると、セルミナもミーシャも人間と何か深い関わりがある、もしくはあったのではないだろうか。紫暢はそのように推測していた。


「そんなに酔狂かな」

「だって人間というだけで不利益を被る国ですわよ。正気の沙汰とは思えませんわ」


 紫暢も確かに正常な判断ではないな、と自覚しながら苦笑する。でもセルミナに提案してもらえたこともあり、紫暢はここで出会った縁をそう簡単に断ち切る気にもなれなかった。


「それでもさ、助けて貰った恩は返したいんだ」

「貴方に何ができると言うのです? お姉様とは種族も身分も違いますわ。貴方は魔法を使えないでしょう?」


 ミーシャの言う通り、この国では身分よりも種族の壁が大きく反り立っている。紫暢は恩を返すと豪語しながら、それに貢献できる手段を持ち合わせていない。


「使えないけど、それでも何かやれることがあると思うんだ」


 真っ直ぐな目で、紫暢は前を見据えていた。


「はぁ、無計画ですわね。本気ですの?」

「この目が嘘に見える?」

「見えませんわね。少し気持ち悪いくらい真っ直ぐですわ」


 ミーシャは両手を脇腹に添えながら、呆れたように息を吐く。同時に困惑していた。吸血鬼によって死の淵を見たにも関わらず、吸血鬼に恩を返そうとしているのだ。ミーシャにとっては理解の及ばない感情であった。


「でしょう?」

「どうして得意げになるんですの。でもその気概だけは認めて差し上げますわ。貴方、歳はおいくつで?」

「17だけど」


 突然歳を聞かれ、紫暢は意図を図りかねる。


「ならばちょうどいいですわね。もしここで生きていく覚悟があるならば、魔法学校に通いなさい。魔法学校はクラムデリアの縮図ですわ」

「魔法学校? 魔法が使えないのに人間が入れるのか?」

「入れますわ」


 間髪入れず、ミーシャは答えた。紫暢は意外に寛容な部分があるのだな、などと呑気に思う。親切ごかしに勧めているようには見えない。


「へえ、意外だな」

「入れますが……」

「が?」


 ミーシャは語尾を濁し、表情に翳りを帯びる。左足の後ろに右足のつま先を立て、逡巡を浮かび上がらせるかのように純銀のアンクレットを二度揺らした。


「入ること自体、おすすめは致しませんわ」

「おすすめはしないのに勧めるんだな」

「だって、本気なのでしょう?」


 青色の透き通るような瞳が紫暢の微かな萎縮を矯正する。


「言わずとも想像はつくと思いますが、人間の魔法学校における立場は良くありませんわ。でもここで生き抜く決意があるならば、この程度は乗り越えなければいけないとわたくしは思いますの」

「俺みたいに酔狂な人間がいるんだな」


 他人事のように息を吐く。人間なのにわざわざこの国に留まって、しかも風当たりが強い学園という小世界に身を投じる意味を、紫暢は疑問を感じる。紫暢自身には他に行き場所が無いということもあるが、セルミナへの恩返しという意志もあって、かなり前向きになっていた。


「お気楽ですわね。違いますわ。魔法学校にいる人間は、ほぼ全員が人間の国へ諜報員として送り込まれる者たちですわ」

「……スパイ、ね」

「人間ですら貴方に好意的な印象は持たないかもしれませんわね」

「魔法学校には貴族の子女が多く在籍していて、豪商の跡継ぎなどもいるらしいですわ。平民は裕福なごく少数ですわね」


 主に上流階級が通う教育機関であり、ただでさえ平民というだけで見下される傾向にある。ただ、その分魔法学校の学費は高く、特別な才能を有した特待生でもない限り、一般庶民には通えない場所だった。


「……俺、そんな金ないけど」


 いきなり異世界に放り込まれた紫暢は、金を持ち合わせていないどころか、この国に流通している通貨すら見たことがなかった。文字通り無一文である。魔法学校に入学するための資金を捻出しろと言われても無理な話だった。


「期待しておりませんわ。そうですね、出世払いという形で私が出資しても構いません」

「それは俺に出世する芽があると、少しは思ってくれているということか?」

「勘違いしないでくださいまし。貴方を四六時中監視することは不可能ですから、致し方ない処置ですわ」

「ですよね」


 どうしてこの子は自分にこれほど良くしてくれるのだろうか、と思った。この国で不利益を受けた迷惑料としてはあまりにも手厚いものだ。その理由に、紫暢は心当たりが一切なかった。

 ミーシャが立場上潤沢な資金を与えられているとしても、それを得体の知れない男、しかも人間のために使うのは、むしろリスクの孕む行為ですらある。


「ですが一つ条件があります。決めたからには決して投げ出さないこと」

「……それだけか?」

「難しいことを注文してもこなせないのではなくて?」

「はは、その通りだ」


 紫暢は頬を掻く。身構えていただけに、拍子抜けの印象を強く感じた。


「強いて言うならば……。そうですね、痛い目を見たくないのなら、たとえ中傷や暴力を受けても安易に手を上げないことですわ。吸血鬼の扱う魔法は人間にとって致命傷になることもありますの」


 人間に対する悪感情が具現化して襲いかかる未来を、紫暢は容易に想像できた。


「肝に銘じておきます」

「信用なりませんわね。貴方、少し頭に血が上りやすそうに見えますし」

「失敬な。俺は案外冷静だぞ」

「ならいいのですけどね」


 ミーシャは空にどんよりと浮かぶ脂肪の塊のような雲を見て、小さく息を吐く。


「なあ、どうしてそこまでしてくれるんだ?」

「どうしてでしょうか」


 ミーシャは遠い目で窓の外を眺めながらも、意地らしい笑顔を見せる。微かに帯びた作り物特有の違和感を、紫暢はあえて無視することにした。


「そうだ、試験とかはないのか?」

「あるにはありますわ。でもクラムデリアの魔法学校では、特別に人間枠が設けられておりますの。決して志望者は多くありませんが、その門を叩く者は総じて相当な覚悟を持っていますわ」


 もし人間枠が設けられていなければ、確かに人間が門を叩く手段はないので、妥当な制度だと言えよう。人間枠での入学において、学費は非常に安く設定されている。安くしないと、人が集まらないからだ。国にとってもスパイの育成は重要視されており、魔法学校には人間枠を運用するための補助金が投じられている。


「辺境伯家の口聞きによる編入となれば、まず落とされることはないでしょうが、最低限の教養は身につけておく必要がありますわね。明日からみっちり教育しますわ。覚悟なさいな?」

「は、はい」


 ミーシャは有無を言わせぬ笑顔をたたえ、紫暢は口許をジッと見つめて凌いだ。

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