深夜の邂逅
夜の帳が降りるまで、紫暢は充てられた部屋のベッドで大人しくしていた。ミーシャから口酸っぱく忠告されたからだった。治癒師はあらゆる外傷を容易に修復し、心の傷までをもある程度癒すことで、多くの国民から羨望を受けてきた。しかしその効力には代償があり、治癒魔法を受けた者の身体には大きな負担が掛かるのだという。そのため年を召した老人や身体の弱い者、幼児に対する魔法の使用は慎重を要する。
特に大怪我の場合はその重さの分負担が増すことになる。紫暢の怪我はよく命を拾ったものだと治癒士が感嘆するほどに重く、身体のいたる場所が骨折して腫れあがっているだけでなく、内臓にも相当の負担がのしかかっていた。事実、紫暢は2日丸々寝込んでいた。
数日間この部屋で過ごしたが、監視すると口では言いながら、あまりにもザルな警備体制だと思う。部屋の外にすら警備兵はいないし、監視すると告げた張本人のミーシャですら朝方の会話を後に顔を合わせていない。
つまり監視というのは名目上で、ある程度の裁量が認められているということになる。紫暢はここ数日間寝てばかりいたためか、落ち着かなくなって部屋の外へと足を向けた。廊下はしんと静まり返っている。不気味さの一片を感じつつ、澄み切った視野を頼りに進んだ。
窓を開け、だだっ広いテラスに足を向ける。広い庭園の奥に、城下町が広がるのを視認した。夜景と呼べる光景ではなく、ただ真っ暗な闇が広がり、頭上の星々と三日月に欠けた二つの衛星が放つ光が、視界に映る物を形作っていた。
「俺、本当に異世界に来たのか」
理解はしていたが、身体が現実を受け止め切れていなかったらしい。途端に膝から力が抜けて、その場に座り込んでしまう。大した思い入れもない世界だが、帰る故郷がないという事実は想像以上に重くのしかかっていた。手すりに手をかけて立ちあがろうとするものの、怪我のせいか左手に鋭い痛みが走った。
「だ、大丈夫!?」
その時、背後から声が掛かる。憂わしげな色と、どうしてこんなところに、という困惑が帯びていた。
「あ、いや」
紫暢は情けない声が出たと思った。でもそんなことを気に留めることもなく、少女は肩に紫暢の腕を通し、介抱して椅子に座らせる。どこからか淡い光を出し、宙に浮かべて二人を照射する。そして初めて紫暢は少女の顔を視認した。
微かに薄紫が混じった白金色の光沢ある髪に何かの面影を感じる顔立ちに目を細める。そして脳裏に浸透するような優しい声は、初めて会った気がしなかった。何より優雅な立ち居振舞いに、青い瞳を携えた容姿にあっ、と小さく声を漏らす。
紫暢は目の前の少女がミーシャが言っていた『セルミナ・クラムデリア』であると直感的に気付いた。その容姿はミーシャと比べてもいずれ菖蒲か杜若という感じで、輪郭が恐ろしく整っている。やや高めの鼻梁に形の整った唇、秀麗な二重の目は巧緻に計算され尽くしたような位置構成で配置されていた。それには貫禄すら漏れ出ており、蠱惑的な空気をまとっている。紫暢は本能からか視線を逸らすことしかできなかった。
「体調でも悪い? それならすぐに治癒師を呼んで」
「大丈夫、大丈夫なので、一旦離れて貰えると」
セルミナは紫暢の事を憂慮し、無意識のうちに距離を詰めすぎていた。
「あっ、ごめんね」
紫暢の擦れた声によりようやく気づき、パッと距離を開く。紫暢は両者の間に確かに存在した微かな温もりを失い、それに落胆した自分を戒めた。
「えっと、クラムデリア辺境伯様?」
「ミナでいいわ」
「じゃあ、ミナ様」
「様も要らない」
「じゃあ、ミナ」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です。ご心配かけて申し訳ありません」
「そんなに畏まらなくていいのに。ミーシャと話していた時みたいな口調でいいのよ」
「えっ」
ミーシャとのやりとりや様子がほぼ筒抜けだったことに紫暢は頭を抱える。セルミナも自分と然程年が変わらないように見えるとはいえ、貴人を呼び捨てにするのはかなりの抵抗があったが、本人が望んでいる以上変に抵抗感を見せるのはやめた。
「ふふ、ミーシャと仲良くなってくれて良かったわ。あの子は孤立していたから」
「あれだけ元気で良い子なのに?」
馴れ馴れしくなりすぎず、言葉に若干の敬意が残るくらいの絶妙なさじ加減で言葉を紡ぐ。
「そうね。私も好ましく思っているわ。問題なのはミーシャじゃないの」
「ならどうして」
「そのあたりの事情はミーシャが直接貴方に話す気になったら、かな。理由を聞いて貴方がミーシャを疎まないとは限らないわけだし」
勿体ぶって内緒にするのは気分が良くないな、などと紫暢は思ったが、明るい性格の裏に相当な事情を隠し持っていると知って閉口する。気軽に知ろうとしていいほど、簡単な話ではないのだろう。
「それよりも、ようやく会えたわね」
「俺を探してたのか?」
「探していた訳じゃないわ。私は公務で一日中走り回っているの。自由に動けるのは夜の1時間だけ。でも趣味があるわけでもないし、こうして夜の屋敷を徘徊するのが日課なの」
「徘徊って」
紫暢は軽く握った拳を口元に当ててクスリと笑う。お淑やかに笑うセルミナを前に、紫暢も自分が高貴な振る舞いをしているように錯覚した。
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