ルメニアの王女

「というか、さっきから言っているお姉様って誰のことなんだ?」


 俺はその人物が見当もつかず、首を傾げて尋ねる。


「もちろん、クラムデリア辺境伯家当主のセルミナお姉様のことよ」

「聞いたことないな」


 そもそもルメニアという国すらも初めて聞いたのだから、その一地方を治める貴族の名など知る由もない。


「命の恩人にとんだ失礼ですわね。貴方、覚えてないのかしら?」

「命の恩人……、ってあ!」


 そこまで言って、脳裏に浮かぶ。俺は気絶する前、誰かに助けられた記憶があった。徐々に鮮明になっていく声色。自分を庇うような女声に安堵して、意識を手放したのだ。体の節々が絶えず悲鳴をあげるが、こうして命を保持していられるのはミーシャちゃんが言うセルミナ様のおかげなのだろう。まだ自分の置かれた状況を正しく理解していないので、ミーシャちゃんから見ると俺はいわゆる浮世離れした人間であった。


「ようやく思い出したのですね。まったく、恩知らずにも程がありますわ」

 ミーシャちゃんは特大のため息を漏らす。

「しょうがないだろ。あの時はボコされて余裕がなかったし」

「お姉様が私財を投じて治癒師を招聘し、瀕死の貴方を回復にお導きになりましたわ。貴方、治癒師を呼ぶのにどれほどの費用が掛かるか知らないでしょう?」

「……知りません」

「まあ言わない方が身の為かもしれないですわね」


 なにそれ怖い。日本みたいに社会保障制度が整っていないだろうし、この国では医療はあまりにも貴重なものなのかもしれない。法外な金額をこのあと請求される可能性だってある、そして払えないと分かると無理な要求を突き付けるのだ。でもそうじゃないことを願いたい。日本で泊まったら一泊100万はしそうな豪奢な部屋でもてなされているのだから、無体な扱いはされないはず。まあこの待遇も後から莫大な料金を回収する布石でないと否定はできないが。


「感謝してるよ。助けがなかったら多分野垂れ死んでた。そのお姉様に礼が言いたいな」

「ふん、お姉様にそう簡単に拝謁できると思わないことですわ」


 辺境伯家の当主ともあれば、謁見するために相応の格というものが求められるだろうし、時間を作るのも難しいのだろう。


「妹とこうして話せているのに?」

「わたくしは妹ではありませんわ」

「え?」


 言っていることと矛盾しているじゃないか、と思った。姉と慕っているのを見て仲の良い姉妹なのだろうと夢想したが、どうやらそうではないらしい。


「わたくしはルメニア王国の第3王女、ミーシャ・ルメニアですわ」


 ミーシャちゃんは薄い胸を鼻高そうに張って、手のひらを添える。


「えっ、王女様!?」


 何か武道の心得があって、姉弟子として慕っているとかが想像し得る次点だったが、予想の斜め上だった。体格こそ幼さを多く残しているものの、一切の乱雑さを纏わない所作や華やかな模様が施された服装、肌の透き通るような綺麗さから気品を感じる。その言葉に偽りはないのだろう。


「ふふん、崇めても構いませんのよ」

「でも仮にも王女様が辺境伯家の屋敷に? それにセルミナ様?を姉と呼ぶのも違和感が」

「わたくしは妾の子ですの。王位継承権も持ちませんし、自由な身というわけですわ。お姉様は今の国王である父上の姪ですから、わたくしと違って王位継承権を持ってますの」


 俺は納得して頷く。日本の皇室だと男子だけが皇位継承順位を持っているが、この国にそういった制約はないそうだ。性別に関係なく、早く生まれた者に高い皇位継承順位が与えられる。


「それにお姉様は114歳ですの。姉と慕ってもなんらおかしくないのではなくて?」

「114歳!? それはもうおば」

「言わせませんわ」


 そこまで言ったところで、勢いよく口を塞がれた。人間ならばもう殆どの人間が死に召されている年齢じゃないか、と代わりに心の中で突っ込んだ。


「あなた方人間は100年生きるほうが稀ですから、そう思うのも無理はないですわ。ですが、吸血鬼は300年が寿命で、200歳までは容姿も殆ど変わりませんの」

「じゃあミーシャちゃんもかなりお年を召しておられるので?」

「言い方がムカつきますが、まあ良いでしょう。でもわたくしはおそらく貴方とそう変わりませんわ」

「だからそんなに小さいのか」


 逆鱗に触れたのか、ミーシャちゃんの拳が腹を直撃する。避ける術はなく、正面から最大ダメージを喰らった。


「殴られたいのかしら?」

「殴ってから言わないでくれ!」

「吸血鬼は15歳で今後200年の容姿が決まると言われていますわ……」

「ごめん、ごめんって。自分で言って気を落とさないでくれ」


 あからさまに傷ついた様子で、居た堪れなくなる。『そんなことない、これからだよ』とか否定するのもわざとらしく、少々気まずくなった紫暢は、話題を転換することにした。


「というか、王女様がこんな得体もしれない男に共もなしに面会していいのか?」

「ご心配なく。外におりますわ」


 その声と同時に部屋のドアが控えめに開閉した。今までの会話、全部聞かれてたのか。というか妹のように接してたけど、タメ口で馴れ馴れしい言動が不敬罪と捉えられて裁かれたりしないかな。


「だとしても、王女様が俺のことを監視だなんて畏れ多いのでおやめになった方がいいのでは?」

「全く思ってないですわね?」

「イエソンナコトナイデス」


 俺が視線を彷徨わせていると、ミーシャちゃんは深くため息をついた。


「色々わたしにも事情がありますの。詮索はしないでくださいまし。それよりも身の振り方を考えた方が良いのではなくって?」


 王女でありながら辺境伯の領地に身を寄せていることから、相当の事情があることは想像に難くない。自分もかなりの訳ありなので、口は噤んだ。


「身の振り方?」

「人間がこの国に長くいることは好ましくないからですわ。貴方も身を以て体感したでしょう。この国では人間への迫害と差別が根強い。貴方がお姉様に保護された王都は、特にその傾向が強くありますわ」


 何を当然のことを、と呆れたように笑う。人間への悪感情は相当なものだろう。それは身体に残っている傷が物語っている。納得して閉口するしかなかった。


「ですから、貴方もいずれこの国を出て人間の国に向かう方が良いと忠告しておりますの」

「とはいっても、自分の国がどこにあるかわからないからなぁ」


 故郷である日本という国がない世界で、どこに向かえば良いと言うのだろうか。この国を追い出されたら、俺は難民になってしまう。この身一つで稼ぐ手段を探し、身を立てていかなければならない。


「そんなことわたくしに聞かないでくださいまし。でもまあ、わたくしとしては、貴方がここに長居するのを好ましくは思いませんから、早いところ出て行っていただきたいものですが」


 セルミナ様のことを余程大事に思っているらしい。警戒心がひしひしと伝わってくる。それでも人間への差別が根強いと言いながら、俺のことを助けてくれたセルミナ様、そして口調は鋭いながらも、俺を見下さず接してくれるミーシャちゃんの二人との出会いは、寂寥感に苛まれていた俺にとっては心のオアシスだった。

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