第3話 遭遇

 リュウの家の前に着いたところで、風呂に入れないだろ。と指摘され「うちで入ってけよ。母さん達も久しぶりにナオに会いたいと思うし」というリュウの言葉に甘え、リュウの家でお風呂を借りることになった。

 リュウの家の中から、飼い犬のダイゴが飛び出してきた。玄関横にある犬用の出入口からだ。俺達が子供の頃から飼っているゴールデンレトリバーで、もう人間でいうとおじいちゃんだろう。

「おっダイゴ、久しぶりだな~俺のこと覚えてるか?」

「ダイゴももうおじいちゃんだけど、ナオにすごい懐いてたし覚えてるよ」

 子供の頃、リュウと二人で捨てられて弱っている状態のダイゴを見つけ、リュウの家で飼うことになった。一緒に育ってきた、兄弟みたいなものだ。随分と月日が経ったため、もう以前のような勢いの元気はないが、それでも俺とリュウの周りでワフワフ!と嬉しそうに尻尾を振り回して喜びを表現していた。

 ダイゴが飛び出してきたことで、誰かが来たことに気付いたのか家人——リュウの母親が玄関から顔を覗かせた。

「まあまあまあ!ナオくん?大きくなったねえ~!お母さんから話は聞いてるから、お風呂入ってきなさい!」

 おばさんは快く、突然の訪問にも関わらず風呂に入らせてくれた。「晩御飯も食べてくでしょ?」と誘われたが、コンビニで買ったものを無駄にしてしまうことになるし…と思い、挨拶もほどほどに自宅へ帰ることにした。

「またいつでも来てね。本当に息子が帰ってきたみたいで……嬉しかったわ。会えてよかった!おやすみなさい」

「俺も久しぶりにおばさん達に会えて嬉しかったです。また来ます」

 おばさんもおじさんも、そしてダイゴも、玄関先まできて見送ってくれた。

 近いし、女じゃないんだから送らなくていいって。という俺の主張は無視され、自宅までリュウに送ってもらうことになった。こういうところも昔と変わっていないようだ。流されやすいようでいて、譲れないところは絶対に譲らない——些細なことでも、頑固なところがあるリュウの性格が俺は好きだった。


「本当にウチに泊まんなくていいの?」

「せっかく久しぶりに帰ってきたんだし、懐かしの我が家で寝るよ。暗いけどあとは寝るだけだし」

 家の前まで本当に送ってくれたリュウは、再び泊まらないか聞いてきたが子供の頃から家族ぐるみの付き合いがあるリュウの家とはいえ気が引けた。

 それに、本心から子供時代を過ごした久しぶりの我が家で過ごしたい気持ちがあったからだ。

 そっか。と納得したリュウは、去り際に何か渡してきた。

「なにこれ 御守り?」

「一人で真っ暗な家の中じゃ、オバケ出たら怖いだろ?オレだと思って抱きしめて寝ていいよ」

 悪戯っ子のような表情をしながら言ってきたが、俺は「お前だと思って抱きしめながら寝るのは気持ち悪いだろ」と笑いながら軽く小突いた。それにオバケを怖がっていたのはどちらかというとリュウの方だ。それも子供の時の話になるが。

 俺は昔から自分で見たもの以外は信じないし、同級生の間で怪談が流行っていたときも、よくある怪談を少しアレンジした話とか、祖母から聞いた話を盛って話したりしていたが――自分が話したものも、同級生が話したものも、まったく怖いと感じたことがなかった。リュウは毎回涙を滲ませながら聞いていたが。

 渡された御守りはポケットにしまい、軽く話をしたあと、「また明日来るよ」と言ってリュウは帰っていった。


 俺も家に入り、縁側で月明かりの下——コンビニで買って来た晩飯を食べながら、親へ無事に着いていることと、電気が通っていなくてめちゃくちゃ不便なことをメッセで送った。

 やることもないし、今日はさっさと寝るか……と鞄の中から持ってきた寝巻きを取り出し、着替えようとしたときにさっきリュウから渡された御守りが床に落ちた。

 そして帰り道のリュウの挙動や言動を思い出す。本当に何だったんだろう——

 他愛もない昔話をしたつもりだったのに、突然真剣な顔になって……俺が知らないか忘れているだけで何か他に出来事があったのだろうか。歯磨きをしながら考えたが、まったく思い出せない。

 ——まあ考えてもわからないものはわからないよな。と気持ちを切り替えて、昼間干しておいた布団を居間に敷いて早々に就寝した。移動で疲れていたのか、昼間の掃除で思った以上に体力を使っていたのか、昼寝をしたにも関わらず、いつもよりかなり早い時間なのにすぐに意識が閉じていく。車の音が聞こえず、虫達の囁きのみの夜なんていつぶりだろう。渡された御守りは、一応枕元に置いておいた。


 翌朝、外から差し込む光で目を覚ました。

 普段、休日は昼まで寝るのに比べるとかなり早い時間だ。といっても10時は過ぎているから、寝た時間を考えると睡眠時間は似たようなものか。

午前中とはいえ、夏なのにこの過ごしやすい気温。今住んでいる都会の家では考えられない。

 そよそよと吹いてくる風を心地よく感じながら、まだ半分寝たままの脳を起こそうとボーッと雑草が伸び放題の庭を眺めていた。そういえば、ばあちゃんもよくそこの縁側で日向ぼっこしてたなあ……


 少しするとようやく脳の方も覚醒してきたので座ったまま背伸びをし、キッチンへと向かった。背後でスマホからメッセの通知音が聞こえたが、どうせ親かリュウだろう。

昨日、洗面所までは掃除ができなかったので、水道を使うならキッチンの流しを使うほかない。

 顔を冷たい水で洗い、ようやくはっきりと目が覚めたところで朝食を食べることにした。朝はパン派の俺は、昨日コンビニで買った惣菜パンを食べながら部屋の中をぐるぐると歩いたり立ち止まったりしながら、今日はどうするかな~……と考えていた。

 そういえばさっきメッセが来ていたことを思い出し、スマホを見るとやはりリュウからだった。

『今からいくよ』

 こいつももう起きているみたいだ。とりあえず『了解』という意味のスタンプだけ返した。

 二つ目のパンを口に運んだ時、布団を片すのを忘れていたことを思い出したのでパンを咥えたまま布団の元へ戻った。ベッドじゃないとこういうとき面倒なんだよな。

 寝相は良い方と自負しているのもあり、布団はほとんど乱れていないのでそのまま折り畳んで部屋の隅へ運ぼうとする。

 その時、寝る前に枕元に置いておいた御守りがないことに気付いた。寝ているうちに手で弾いて飛ばしてしまったのだろうか?

 周囲を探すとすぐに見つかったが、御守りは半分に千切れていた。

 御守り……というか布って、こんなに簡単に千切れるものなのか? 布が寿命だったとか? という疑問が頭の中に浮かんだが、昨日の夜渡されたときも寝る前に枕元に置いたときも綺麗な状態で、そこまで古い物という印象は無かった御守りが真っ二つになっているのは現実だ。力任せに無理矢理上下で引っ張ったとしても、こんな風に千切れたりするものなのだろうか……

 パンを口に咥えたまま、両手で千切れた御守りを持って——リュウになんて言おう、大切なものだったら謝っても取り返しつかないよなあ……と考えていると、キッチンの方角からキャハッキャハッという笑い声が聞こえてきた。昨日、風呂場の方から聞こえてきたあの声らしき音と同じだ。

 しかし今のは外から聞こえてきた気がする。キッチンの窓は閉めて寝たので、少し音が遠く感じたが、家のすぐ外から音がしている。

 家の裏は畑になっていたはずだから、もしかしたら食べ物を漁りにきた動物なのかもしれない。どこかから入り込んで、この家を住処にしている可能性もある。

 真偽を確かめようと、俺はキッチンの窓を開けることにした。


——言葉が出てこない。


——なんだろうあれは。


——家から3m程の場所に黒いモヤのような影のようなモノが佇んでいた。

 あんな動物を見たことも聞いたこともない。

 それは人のような形にも見えるが、人にも動物にも当てはまらない、俺の今までの知識や常識から大きく外れた存在であることだけはわかった。

 あまりにも大きすぎる。熊の類いならば、大きいものは立てばそれくらいあるかもしれないが、2mを余裕で越えているソレは、二本足———黒いモヤが途中で枝分かれして、下の方が半分に分かれている———で地に足をつけてこちらを見ていた。

 顔があるのかもわからないが、何故か俺は見られていると感じたし、俺もそいつから目が離せなかった。


キャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッキャッ


 謎の黒いモノは笑い声みたいな鳴き声を発した。やはりあの音は、アイツが正体で間違いないようだ。

 そして、昨日の帰り道に田んぼで見かけた黒い煙みたいなのもアイツだったんだと根拠は無いが俺の中で自然と結びついていた。ということは、昨日風呂場の方から聞こえた声もアイツということになる。家の中にいたのか?

 え、俺 もしかしてついてこられてる? それとも別の個体がいる?

 でも昨日見たアレは、暗かったとはいえ、足らしきものは生えていなかったと思う。

 混乱する俺と冷静に考える俺が脳内で考えを巡らせている中、俺は食べかけのパンを食べることを再開していた。

 もちろん、目はアレから離せないままだ。

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