第2話 はじまりと再会

『約束、だよ』


 ピロンッ


 軽快な音と共に、手の中で振動がした。

 その合図で目を開けると、青かった空はすっかり紅く染まり薄暗くなりつつある。

 昼食を食べた後、寝落ちしてしまったらしい。

 昼間とは違う、日が沈みかけている田舎の空気を肺に満たしながら起き上がった。

 懐かしい夢を見た。小学生の頃だろうが、いつの出来事かはわからない。約束とはなんだったのだろうか。


 ぼんやりと夢の内容を考えながら、庭に干していた布団を運び込み、コンビニが閉まる前に晩飯を買いに行くべく財布とスマホを持って家を出る準備をしよう——そういえば、誰かからメッセ来てたな、と時間を確認するついでにスマホをチラっと見ると『いまからいく』とだけ来ていた。

 大学の友達だろうな、そういえば田舎に帰省するってなにも言わずに来たんだった。

 誰もいない家へ無駄に行けばいい、と思いながら、誰からのメッセかも確認しないで、とりあえず出かけようと鞄の中を漁り始めた矢先だった。


キャハッキャハッキャハッキャハッ


ぺた ぺた ぺた ぺた


 突然、どこからか音がした。

 笑い声のようなものと足音のようなもの。

 近くなのは間違いないが、子供なのか大人なのかわからない。

 女の声に聞こえた。

 足音らしき音は、床を濡れた裸足で歩いているような音だった。

 この家には今、自分しかいない。むしろ誰も住んでいない——埃が積もっている家である。

 山の近くだ。野生の動物が入り込んでいてもおかしくない。

 しかし、聞き間違いや寝ぼけていたとしても気にはなる。

 音がした方向は家の奥、風呂場の方向からだ。そこは掃除する際にも近づいていないし、玄関からは真逆の方向になる。

 家を出るついでだし、少し様子だけでも見てから行こう——そう決めて、出かける準備をし終えた俺は居間から廊下へ出て……風呂場へ通じる廊下の先を見据えた。

 その時、真後ろの玄関の外に人の気配がした。

 すると同時に聞き馴染みのある声が聞こえてくる。


「あれっ鳴らない?あっ……今電気通ってないのか」


 カチカチとインターホンを押す音に混じりながら独り言を言っている。


「ナオ~いる~?」


 大きめな声で呼びかけてくると同時に玄関の戸が開いた。


「おっ!やっぱナオいるじゃん!返事くらいしろよな~!」


 背が伸びて…俺よりも少し高いくらいだろうか。大人っぽくなったものの、記憶と何も変わらない、懐かしい顔がこちらを見て笑っていた。

 さらさらの黒髪に、中性的な顔立ち。中学に入ってから、顔のおかげもあり随分とモテ始めたのを覚えている。

 さっきまで何をしようと思っていたかも忘れ、五年振りに会う旧友の突然の来訪に俺もつられて笑顔になっていた。

「会うのは久しぶりだな、リュウ」

 故郷の友人の中で今でも連絡を取り合っている唯一の友人——赤子の頃からの幼馴染で、親友の龍巳……本当はタツミと読むが、子供の頃「リュウって読んだ方がカッコよくね!?」という単純な理由から今でもこの呼び方をしている。


「引っ越してから会ってなかったもんな~……てか家の片づけ手伝おうと思って来たけど、どっか出かける感じ?」


 スマホを確認すると、『いまからいく』という先ほどのメッセはリュウからのものだった。


「もう掃除はとっくに終わってるっつの。今からコンビニに晩飯とか買いに行くとこ」

「そっか~何時に着くとか言っておいてくれたら良かったのに……まあいいや。オレもコンビニついてくよ」


 何時に着くかくらい連絡しておけば掃除を手伝わせられたのか。したような気がしていたが、もとより連絡無精な俺は送ったつもりで送っていないことがよくあったから今回もそのパターンだったようだ。


 親友との五年振りの再会は予想以上に嬉しくて、喋りたいことが尽きなかった。メッセはたまにしていたため、お互いのだいたいの近況は知っていたが、実際に会って話すと楽しくて仕方がない。

 まるで昨日も会っていたような気分で、他愛もない話を延々とし続けていた。家が近所だから、といって自転車に乗ってこなかったリュウだが、普段なら遠く感じるコンビニまでの道のりも一瞬に感じた。


 とりあえずコンビニで今日の晩飯と明日の朝食——それと飲み物を買った俺は、昔から何も変わらない店主のおじさんに話しかけられる。


「もしかして直哉か?!久しぶりだな~何年振りだ?千枝さんの葬式にも来てなかっただろ」

「おじさん久しぶり。葬式は大学受験と被ってて……病院には何度か見舞いに行ってたんだけど——今年は親の代わりに掃除と墓参りにきたんだ」


 短い世間話をして、冷蔵庫がないと買い溜めすらできないんだな——と文明の利器へ早くも想いを馳せながら待たせているリュウの元へ向かった。


 帰り道は行きに使った道ではなく少し遠回りして帰ることにした。お互い口には出さなかったものの、話し足りなかったからだ。


 空はすっかり暗くなっており星々が輝き始めていたが、月明かりのおかげで外灯がほとんどない道でも、田んぼに滑り落ちることもなく行きと同じように他愛もない話をしながらリュウと並んで歩いていた。

 話の流れは昔話になっていき、中学の時に両手離して自転車漕げる!って調子乗って田んぼに落ちて全身泥だらけになったよな、とか何歳の頃ここでお前転んで泣いたよな、とか自分では忘れていたようなお互いの話をしていた。


 小学校は村の中にあったが、中学からは山を越えた隣町まで自転車で毎日通っていた。しかし、生まれ育った村の中での思い出の方が圧倒的に多かった。どこを見ても、様々な出来事が思い出される。


 小さい村の中で一番の存在感をもつ、山の中の神社へ繋がる鳥居の近くを通りがかったとき、ふと小学生の頃の出来事を思い出した。村の大人達が絶対に入ってはいけないと口を酸っぱくするほど言っていた、神社がある山の中にあるとされる場所へふたりで行こうって話になったのだ。あれは何歳の頃だっただろうか。


「なあ。小学生の頃にさ、大人達が絶対行くな~って言ってたあそこの裏山にふたりで行ったじゃん。結局途中で疲れて目的地には行けなかったけど、休憩してたら迷子になっちゃったやつ。なんとか家に着いたけど門限はとっくに過ぎてて……裏山に入ったこともバレててお互いめちゃくちゃ怒られたよな~」


 話しながら、山の麓にふたりして自転車停めてたのが見られてたから詰めが甘かったんだよな~何歳の頃だったかな~暑かった気がするから、夏なのは間違いないんだけど…と笑いながら懐かしい記憶を話し、当時のリュウが号泣しながら親達にごめんなさいごめんなさいもうしませんと言っていた光景を思い出していた。


「——覚えてるの?」

「え?いや、今ふと思い出しただけだよ。何歳のときだったかは思い出せないんだけどさ~」


 気のせいだろうか。リュウの表情が急に強張った気がする。強張ったというか真剣な顔だ。自分の泣き虫時代を思い出されて恥ずかしがっている……という感じではない感じがする。


「——小五の時だよ。今と同じ夏で、日にちもだいたい同じだったはず。ナオはもう忘れてるかと思ってた」


 リュウは変わらず真剣な表情のままだった。


「ちょうど今年があの年から十年。ねえナオ、他に思い出したこととか、覚えてること——無い?」

「えっ……急になんだよ——ふと思い出しただけだって言っただろ。お前が号泣しながらごめんなさいしてる顔くらいしか思い出せねえよ」


 場を和ませようと茶化すことにした。

 ——効果覿面だ。リュウは少し呆気にとられたあと、あの時は子供だったし!親に怒られて泣いて謝るしかなかったじゃないか!と言い訳をし始めた。

 そのあとは元のリュウに戻って、また他愛もない話をしながら歩み続けた。


 笑いながら月明かりのみに照らされた道を歩いていると、視界の端に黒い煙のようなものが見えた気がした。左右どちらも田んぼや畑だらけだ。そちらに目線を向けると10m程離れたところの空中に蠢く何かが見えた。

 誰かが昼間、燃やしたものが完全に消えていない煙だろうか。この季節に田んぼで物を燃やすことはないはずだが……


「ナオ?どうかした?」

「……いや、なんでもない」

 ——まあ、そういうこともあるよな。とあまり気にかけず数歩先で待っているリュウの元へ向かった。


 俺はこのとき想像もしていなかった。自分が既にナニカに関わってしまっていることに。

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