第17話 私は帝国に戻ります

 意識を失ったお母様は、ジュリウス陛下とヤンツ大司教の手をお借りして、大修道院内にある治療院に運び込まれた。


 お母様が倒れたのは、長年にわたる心労と、まともに食事を摂れていなかったのが原因ではないか……と、治癒術師の先生が仰っていた。

 私はジュリウス陛下に言われた通り、お母様が眠るベッドの側で目が覚めるのを待ち続けた。

 一方陛下はというと、お父様の件で教団側と話し合いがあるそうだ。


 それから私は、お母様と二人きりになった病室で考え込んでいた。


 お母様は昔からお父様の事を愛していたけれど、私が生まれたのをきっかけに、全ての歯車が狂い始めてしまっていたのだ。

 私には何も本音を話して下さらなかったお母様だけれど、今日初めてお母様の気持ちを知る事が出来た。

 マリゴルドお母様は、女性の命ともいえる髪があんなにも抜け落ちてしまうほどに、私の身を案じて下さっていた。……十九年も。

 本当は姉妹で同じように愛情を注ぎたかっただろうに、お父様の事を思うと何も出来なかったのだと……そう仰っていた。


 私の両親は、ダリアお姉様に向けるような愛情を注いで育ててはくれなかった。

 ただ、お母様がお父様と決定的に異なるのは──今でも私を実の娘だと告げてくれた事だ。


 たったそれだけの事だけれど、私はその真意を打ち明けられて確信した。

 私が親として慕えるのは、マリゴルドお母様だけなのだと……!


「お母様……」


 ベッドに眠るお母様の顔色は、どこからどうみても健康的とは言えないものだ。

 それは私も似たようなものなのかもしれないけれど、お母様にとってこの半月に渡る日々は、私が想像する以上に辛いものだったのだと思う。

 だって、花嫁として送り出した娘が行方不明になってしまったのだ。お母様だけは私が正真正銘、お父様とお母様それぞれの血を受け継ぐ子だと知っていた。腹を痛めて産んだ大切な娘が、突如として生死不明になるだなんて……精神的に弱っていたお母様にとって、どれだけ壮絶なものだったのだろう。

 ジュリウス陛下から私の無事が報されるまで、生きた心地がしなかったはずだ。


 だからこそ私は……せめてお母様だけでも、穏やかな日々を取り戻してほしかった。

 パレンツァン公爵と【命の誓い】を交わしてしまったお父様の事は、もうどうにもならないけれど……。私の幸せを祈ってくれていたお母様の為にも、私はデリス様の妻になる訳にはいかないのだ。



 すると、ずっと閉じられていたお母様の目蓋が震えるのが分かった。


「ん……」


 ゆっくりと開けられたお母様の赤い瞳は、私達姉妹が受け継いだものと同じ色をしている。その金色の髪も……お母様の髪から作られたであろうカツラも、お母様と同じだった。


「ロミア……そこに居るのは、ロミアなの……?」

「はい……ロミアですわ、お母様……!」


 無事に意識を取り戻したお母様の右手を、私は両手で優しく包み込む。

 ……こうしてお母様の手を握ったのは、かれこれ何年振りだったかしら。最後に手を繋いで頂いたのな、もうずっと小さい頃だったように思う。

 いつの間にか私の手は、お母様と変わらない大きさになっていたのね……。




 *




 それから間も無くして、教団との話し合いを終えたジュリウス陛下も交えて、三人で今後の事を話し合った。


 お母様にだけは、私が本当は《光の加護》を持って生まれた子供だった事をお伝えする事になった。

 いきなりそんな事実を明かされたお母様は驚いていたけれど、お父様以外に身体を許さなかったお母様としては、長年の謎が解き明かされてホッとした様子だった。


 どうやら《光の加護》というのは、熱心なディリス信徒か歴史家ぐらいしか知らないほど、珍しい加護であるらしい。特別な力を持って生まれるせいで命を狙われる時代もあったそうで、加護を隠して生きた者も居たのだという。

 ならば私も、出来ればこのまま加護を隠しておくべきだと陛下は仰った。


「ロミアへの長年にわたる虐待と軟禁については、父であるダリオス氏の罪として処罰が与えられる事になるだろう。母のマリゴルド夫人に関しては、伯爵に対し口答えが出来ない状況に置かれており、精神的負担が大きかった、第二の被害者とする方針になりそうだ」


 そう……お母様もある意味では、この件の被害者でもあったのだ。


 元々、貴族社会というのは男性優位なものだ。

 けれどもジュリウス陛下のお話では、現在のシルリス国王であるベルトロ王は、国内の改革を推し進める方針なのだそうだ。


「ベルトロ王は俺と歳が近くてな。政治についても考え方が似ていて……。特に彼は、王国の血に縛られた風習をどうにかしたいと考えていたんだ」

「血に縛られた風習というと……『同じ加護を持つ者同士でしか結婚しない』王侯貴族の暗黙の了解の事……ですね」


 私の言葉に、陛下が頷く。


「ダリオス氏のように、貴族の血を重んじる事が悪だとは言わない。……けれどもそれも度が過ぎれば、ロミアとパレンツァン家のような非人道的な政略結婚を引き起こす原因にもなる。特にあのデリス……彼の亡くなった妻の死に関しては、フェルの調べによれば不審な点もあるものでな」


 デリス様の奥様は、確か子供を残さずに亡くなられたそうだけれど……。彼女も私のように世継ぎを残す道具にされていたのなら、その死の原因だって何が隠されているのか分からない。


「ベルトロ王には、その件も踏まえてアリスティア家……ダリオス氏への重い処罰を検討してもらうつもりだ。……それから、マリゴルド夫人」

「……はい」

「伯爵家の家督は貴女か、長女であるダリア嬢のどちからに継いで頂く事になるだろう。騎士でもあるダリア嬢に関しては、ダリオス氏の件による不利益が影響しないよう配慮してもらう。そこは安心してもらって構わない」

「陛下の寛大なご配慮、大変感謝致します……」


 陛下のその言葉を聞いて、上体を起こしながら話を聞いていたお母様は、ベッドの上で陛下に深く頭を下げる。


「それと……ロミア」

「は、はい!」

「お前は……これからどうしたい? お前が望むなら、このまま国に戻って夫人と暮らしていくのも良いだろう。娘であるお前が側に居れば、きっと夫人も心強いだろうし……」


 そう提案するジュリウス陛下だけれど、その声は次第に寂しさを滲ませるものに変わっていた。

 私は首を横に振りながら、彼の言葉を否定する。


「いいえ……私は、帝国に戻ります」

「……良いのか?」


 信じられないというように目を見開く陛下に、私は笑顔で頷いた。


「はい。私……昔から趣味で化粧品を自作していたんです。港に向かう馬車の中でフェルにその話をしたら、彼女はとても褒めてくれました。それから宮殿で魔術師団長のゲラート様にお会いして、魔術塔を見せて頂いて……思ったのです。私も彼らのように、何かを作る仕事をしてみたいと」


 魔術塔で様々な研究をしていた魔術師の方々は、誰もが目を輝かせて目の前の実験に取り組んでいた。

 私も彼らと同じように、胸に思い描く何かを形にする事が楽しかった。もしかしたら私が作った化粧品のレシピも、人の役に立てる事が出来るかもしれない。

 そうすればきっと、私はアリスティア家の名に縛られない──お父様とは無関係な、第二の人生を歩む事が出来るのではないかと思ったのだ。


「私は帝国で、魔法薬や魔術の勉強がしたいのです。もちろん、陛下がお許し下さるのならですけれど……どうでしょうか?」

「……俺はその意見を尊重したい。しかし、それを実現するにはいくつか条件がある」


 陛下は少し言いにくそうな表情を浮かべてから、改めて言葉を続ける。


「……今の帝国と王国の状況では、お前を正式に魔術塔へ招く事は出来ない。何故ならお前は、シルリス人であるからだ」

「それでは、私が帝国に連れて行かれたのは何故なのでしょう……?」

「あれは人命保護の意味合いが強かったからな。現に教団は、今回の件を正式に虐待軟禁事件として認めている。……その決定打になったのは、長年のロミアへの酷い扱いを詳細に記録していた、伯爵家の侍女の日記のお陰だった」

「カミラの日記が……!?」


 彼の話によれば、カミラはアリスティア家に雇われてから現在に至るまで、お父様の私に対する異常な扱いに疑問を抱いていたのだという。

 彼女が詳細な日付と虐待の内容を日々書き記していた為、それが証拠品として認められたのだという。

 そんな状況に私を置いていた伯爵家や、お父様が決めた結婚相手の公爵家に身柄を引き渡すわけにはいかなかった。だからこそ、それを察知した陛下がギリギリのタイミングで私を保護したからこそ、私が帝国に滞在する事を許されたのだそうだ。


 すると、静かに話を聞いていたお母様が口を開いた。


「……それでは、わたしの娘が帝国で夢を叶える方法は……何が残されているのですか?」

「……ロミアが正式に魔術師団に入るのであれば、帝国人としての国籍が必要になる。その為には……帝国人と結婚するのが確実だろう」

「け、結婚ですか……!?」


 思わず私が驚いてしまうと、陛下は頷いて言う。


「ああ……最悪、婚約でも構わない。帝国人と婚約関係にあれば、最大で一年間の在留資格が得られる。それならこれまで通り、宮殿で生活が出来るぞ」

「それでも一年間、ですか……」


 声が届く手鏡や、判定石……そして飛空艇。

 王国には無い様々な魔道具が開発されてきた帝国でなら、今までよりももっと質の高い経験が得られるはずだ。

 けれどもその為には、クリスザード帝国の男性と婚約するか、結婚する必要があるのだという。


「……ですが陛下、私に勉強期間を得る為に婚約をして下さるような帝国の殿方など、見付けられるでしょうか?」


 帝国人で知っている方だなんて、片手で数えるほどしか居ないのに……。

 すると、陛下が一つ咳払いをした。


「……お前と夫人が悪く思わなければ、俺がその相手になろう」





「えっ……今、何と……」


「だからっ! 俺が! お前の婚約者になる!!」


「えっ……ええぇぇぇっっ!?」



 初めて見た、いつもは余裕のあるジュリウス陛下の赤面。

 それに負けないぐらい、私の顔も火を吹くように熱く火照っているのを感じた。

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