第16話 それは嘘ですわ、お父様

 ディリス教の発祥の地であるここシルリス王国には、教団の中枢部である中央教会──聖ディリス大修道院がある。


 そこはとても美しい場所なのだという話は知っていたけれど、いざそれを目の前にすると、自然と心身が引き締まるようだった。白雪に彩られた帝国のヴォルゴ宮殿とはまた異なる、清廉な空気を纏う大修道院は、その名の通りに巨大な建物だ。


 陛下が仰るには、この大修道院には、私が公爵家に向かう際に御者をしていた、あの時の男性が保護されているらしい。

 御者は無理矢理に馬車を止めたフェルに説得され──それがどのような手段だったのかは教えてもらえなかった──、私がお父様から受けていた仕打ちを裏付ける調査書を、教団に届けてくれていたそうだ。

 彼のした事がお父様やパレンツァン公に知られてしまえば、どんな目に遭うか分からない……。だからこそ、事態が解決するまで彼を大修道院で保護してもらえるよう、陛下が頼んでいたのだという。


 ……港で馬車が走り去ってしまった時はどうしようかと思ったけれど、あの後で大修道院に向かっていたのなら納得だった。

 機会があれば、彼には是非お礼を言いたい。御者の彼が泣きながら馬車に乗せられる私に違和感を抱いてくれたからこそ、私は今こうして無事でいられるのだから……!




 私達を乗せた馬車は大修道院の門を通り、到着を待っていた大勢の神官に出迎えられた。


 私が光の加護持ちだというのは、まだ秘密にしている。ざっと四十人は居るこの出迎えの方々は、主にジュリウス陛下の為に集まったのだろう。

 もしも聖女様と同じ加護を持つ私の加護が公になったら、大修道院に居る全員が押し寄せて来たりするのかしら……。聖女ディリス様はとても素晴らしいお方だったというから、きっと大変な事になる予感がするわ。

 すると、集まった神官の一人が代表して、私と陛下をお父様とお母様の待つ部屋へ案内して下さった。


 私は部屋に入る直前、少し不安になってジュリウス陛下の顔を見上げた。彼は私の視線に気付くと、微笑を浮かべて頷く。


「……俺が隣に居る。は一人じゃないさ、


 彼のその語り口調は、まだ私が小さかった頃……ジュリウス陛下にあの絵本を貰った、幼い日の彼と同じだった。

 ……どうして今日までずっと忘れていたのかしら! そうよ……彼の髪と眼の色も、向けられるだけで不思議と安心する笑顔も、あの頃と変わらないのに!

 朧げだった遠い日の記憶が、目の前の彼に重なっていく。

 私の顔にも、彼に釣られて自然と笑みが溢れて来るのが分かった。


「……ええ、貴方が居て下さるんですもの。きっと、上手くいきますよね」


 だって私は、独りぼっちじゃないのだから……!




 *




「……来たか、ロミア」


 扉を開けて一番に声を発したのは、苦虫を噛み潰したような顔をしているお父様だった。


 室内にはお父様とお母様、そして位の高そうな五十代ほどの神官らしき男性が待ち構えていた。お父様達は私と陛下が現れたのを見て、すぐに席を立ち上がる。

 ……約半月振りに再会したお母様は、見るからに不健康そうだった。あまり食事が喉を通っていないのか、頬がこけており、以前よりも痩せて見える。

 すると、神官の男性が陛下に頭を下げた。


「お待ち致しておりました、ジュリウス皇帝。私は大司教を務めております、ヤンツと申します」

「先日枢機卿になられたという、ゼリス大司教の後任か?」

「はい。以後どうぞお見知り置きを……。そして、そちらの女性がアリスティア伯のご令嬢の……」

「挨拶などは後にしてくれ! それよりも──」


 突然、お父様が大司教の話に割り込んで大声をあげる。

 お父様は私の顔をギロリと睨み付けた後、今度はジュリウス陛下に向かって怒鳴り始めた。


「皇帝陛下! 私はそこのロミアの父、ダリオス・ジュード・アリスティア伯爵! ジュリウス皇帝から『虐待されていた娘を保護したから、別れの挨拶の為に大修道院へ来い』との連絡を頂きましたがねぇ……こんなのは保護でも何でもないッ! 立派な誘拐じゃないのかね!? これを国際問題にして、王国侵略を始める算段でもあるのか!?」


 ジュリウス陛下を……誘拐犯呼ばわりするの……?

 自分の娘を他人の子として扱って、パレンツァン家への交渉材料にしたいからと、私を子供を産ませる道具としか見ていなかったお父様が……血の繋がった実の家族よりも私の身を案じて下さった陛下を、そんな風に悪く言うの……!?


 思わず言葉を失った私と、お父様の発言に顔色を更に悪くさせるお母様。

 それでもお父様の暴言は止まらず、陛下もそれを黙って受け止め続ける。


「まだお若い貴方は知らんかもしれんがねぇ! 我がアリスティア家は、代々シルリス国王に尽くしてきた騎士の家柄なのだよ! 私が国王陛下宛てに一筆したためれば、皇帝陛下の非常識で無礼な行いなど、すぐに国王の耳に入るのだッ!!」


 非常識で無礼だなんて、そんなの全部お父様に跳ね返って来るじゃない……!


「陛下が帝国への食糧の輸出を差し止めればなぁ、不毛の大地であるクリスザード帝国の民など、一月もあれば皆飢え死にだぞ!? それだけの事を貴殿はしでかしたという自覚はあるのかね、ええ!?」


 そう言って、ジュリウス陛下に詰め寄るお父様の姿を目の当たりにして……。




 私の中の最後の壁が、ガラガラと音を立てて崩れる音が聞こえた。




「…………さまは……お父様は、何も分かってないわ……」




 *




 そろそろアリスティア伯に一言言わせてもらおうかと口を開きかけた頃、隣で黙っていたロミアの様子がおかしい事に気が付いた。

 この場で最も苛立った様子であるのは伯爵かのように思えたが、それは違う。

 ロミアの美しく輝く長い金糸の髪が、心の底から湧き上がる怒りによって魔力の渦を描くように揺れ動いていた。眼前の父を強く睨み付けるルビーのような赤い瞳は、次第に魔力を帯びた赤い光を宿していく。


「…………さまは……お父様は、何も分かってないわ……」

「ロミア……?」


 彼女に声を掛けるも、反応が無い。

 それでもなお俺に怒鳴り続ける伯爵に向けて、とうとうロミアが叫んだ。


「お父様がっ! ジュリウス陛下の何を批判出来る立場だと思っているのっっ!?」

「なっ……!? い、いきなり何を言い出すのだロミア!!」

「ジュリウス陛下は、私を救い出して下さったのよ! あのままパレンツァン家に嫁いでいたら、私の心はいつか壊れてしまっていたに違いないわっ!!」


 初めてロミアに真っ向から反抗されたであろう伯爵は、大声をあげる彼女を見て目を丸くしている。

 その隣に立つ夫人の目からは、一筋の雫が零れ落ちていた。


「お父様は、昔からよく仰っていたわ……。貴族の役目とは、家の存続と繁栄なのだと。その為に、娘である私やお姉様は、家の為になる結婚をしろと。……ええ、それは間違いではないのでしょう。伯爵家が無くなれば、大切な領民にも影響が出てしまうのですからね……」


 それでも、とロミアは言葉を続ける。


「それでもお父様は、私がアリスティア家の受け継ぐ《炎の加護》を持たない子だと知ってから、私とお姉様とで、全く扱いを変えていた……! それを世間では虐待、軟禁と呼ぶのだと教わりました!」

「そ、それは違うぞロミア! お前は確かに《炎の加護》を持たない子供だが、お前を家から離さないように育てたのは、お前が病弱な子だったからで……」

「……それは嘘ですわ、お父様。陛下が調べて下さいました。……アリスティア領周辺の医者の手に、私の病状の記録は無い。……お父様がずっと私に言い聞かせ続けていた、家に縛り付ける為の偽りだったのだと……!」

「うぐっ……!」


 娘の口から長年隠し続けていた真実を告げられた伯爵は、まさか事実を言い当てられるとは想像もしていなかったらしい。

 一瞬こちらの方を睨んだものの、俺が意味ありげに笑うと、伯爵は面白いぐらいに冷や汗をかき始めた。


「お父様は私が実の娘ではないと疑って、私を家から出したくなかった。それでも心配だったお父様は、私を遠縁の子だと公表する事で、お母様が他人の男の子を産んでいたと発覚しても支障が無いようにしたのでしょう……? 何故ならお父様は【家の存続と繁栄】を第一に考えていらっしゃるから……血脈を裏切った家だと噂されたくなかった。そうでしょう、お父様……!」


 しかし、今度は再び伯爵が主張をし始める。


「貴族に生まれた者ならば、家を優先して何が悪いというのだ!? それにお前がパレンツァン家に嫁げば、家の援助もダリアの出世も約束されているのだぞ! 悪魔の子であるお前が、唯一我が家の役に立てる機会だというのが分からんのか!?」

「実の子を……血の繋がった本当の娘を悪魔の子だと呼ぶお父様は、伯爵家さえ存続すればそれで良いのですか!? 貴方の隣で、今にも倒れてしまいそうなお母様の事を一切信じない……そんな血も涙も無い騎士になる事が、アリスティア家の騎士道なのですかっ!?」

「お前が……私とマリゴルドの、実の娘だと……?」


 彼女の絶叫にも似た叫びを聞いた伯爵が、ゆっくりと夫人の方へ顔を向けた。

 伯爵夫人は縋るような目で彼を見上げ、震える唇を恐るおそる開く。


「……あなたは、ずっと信じては下さらなかったけれど……。わたしは……わたしはあなたの妻になったあの日から、あなた以外のひととちぎりを交わした事など、一度もございません……」


 か細い声で、必死に言葉を絞り出す伯爵夫人。

 彼女はテーブルを挟んで向かいに立つロミアに視線を向けると、彼女と同じ金色をした自身の髪に手を伸ばし……ではないか!

 その光景を目撃した俺達は……伯爵も含め、皆が絶句した。

 ある程度の年齢を重ねた女性が、カツラをつけて髪にボリュームを出す事は知っている。だが夫人のそれは、大胆に露わになった地肌を隠す為のものだったのだ。


「わたしたちの子……ロミアがあなたに悪魔の子として扱われるようになってから、わたしはあなたからの愛を失いましたわ……。政略結婚ではあったけれど、わたしは本当にあなたに恋をしていましたから……。けれど、ロミアがダリアと同じだけの愛を受けられない日々が続くにつれて……わたしの心は、少しずつおかしくなってしまいました」

「お母様っ……」

「ロミア……母様は、あなたに少しも母親らしい事をしてあげられなかったわ。本当はもっとあなたを守ってあげるべきだったというのに……わたしは、これ以上父様に嫌われてしまうのが恐ろしかったのよ……。卑怯な人間なのよ、母様は……」


 だから、あなたはそのまま帝国で暮らしていっても良いのよ……と、彼女は告げる。


「父様はね……パレンツァン公と【命の誓い】をしたのよ。あなたをデリスさんの妻に差し出さなければ……父様は近々、命を落とす事でしょう」

「お父様が【命の誓い】を……!?」

「おいっ、マリゴルド……!!」

「あなたが生まれて十九年……。そんなに長い間、あなたに酷い事をしてきたわたしたちが憎いでしょうね……。だから良いのよ、家に戻らなくても……ロミアが幸せになれるなら、それだけでわたしは救われるわ……!」

「何を言うのだ、マリゴルド!? お前は、私が死んでも構わんと申すのか!!」


 伯爵は夫人の肩を掴んで、両手で激しく彼女の身体を揺さぶった。

 それだけの反動で咳き込み始める夫人を見て、ロミアは居ても立っても居られなくなったのか、慌てて母親の元へ駆け寄って行く。


「お母様っ!」


 ロミアは伯爵を押し退けて、夫人の身体を支えてやる。


「こほっ、こほっ……! ごめんなさい……ごめんなさいね、ロミア……! 今更遅すぎると……虫の良い話だと、罵ってくれて良いのよ……? わたしは……母親失格なんだもの……」

「いいえ……いいえ! お母様は、こうしてちゃんと私に謝って下さいました! それにその髪……私の事をずっと気に病んでいらしたから、そのようなお姿になってしまわれたのでしょう!? その事に気付けなかった私だって……きっとお母様の娘失格なんですっ!!」

「ああ、ロミア……! あなたはどうして、そんなにも……」


 夫人はそっとロミアの頬を撫で、眩しいものを見るような目で彼女を見詰める。


「陛下が……ジュリウス陛下が子供の頃、偶然にもアリスティアの屋敷の近くにいらしていたのです。その時に彼とお友達になって……彼の下さった絵本と、その日の思い出がずっと私の心の支えになってきたのです。私が今もこうして元気でいられるのも、陛下のお陰に他ありません……!」

「ああ……あなたがよく読んでいたあの絵本は、皇帝陛下が……」




 ──それなら、あなたを安心して……。




 囁くような小さな声でそう呟いたかと思うと、夫人は急に意識を失ってしまった。


「お母様!?」


 その場で倒れそうになる夫人の身体をロミア一人で支えきれず、バランスが崩れそうになったところで、すかさず俺が反対側から支え直す。

 ……見たところ、どうやら安心して気を失ってしまっているらしい。


「気持ちが昂って、疲労が一気に出てしまったのだろう。……大司教、夫人を休ませて差し上げたい。悪いが手を貸してもらえるだろうか?」

「え、ええ! すぐに夫人を治療院に送り届けましょう。さあ陛下、夫人をこちらへ……」


 大司教の手を借りながら、俺は夫人の腕を自分の肩に回しながら、ロミアの方に顔だけ向けて口を開いた。


「……これで、お前の両親への挨拶も終わりで良いな? ロミアもついて来てくれ。彼女の意識が戻るまで、夫人の側に居てやってくれ」

「……は、はい!」


 部屋を出て行く俺達に続いて、ロミアもその後を追う。


 そうして室内には、顔面蒼白で床に両膝をつけて呆然とするアリスティア伯だけが残されるのだった。

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