第9話 心配しないで下さい
「フェルから聞いたけど、どうやらきみは窓の外を見た途端に倒れてしまったそうだよ? ここに運び込まれた後に一応診せてもらったから、今はもう大丈夫だろうね」
フェルの双子の弟、ゼルナンドと名乗った長い黒髪を束ねた彼──ゼル先生は、戸惑う私を見下ろしていた。
「ゼル先生……。もしかして、貴方はお医者様なのですか?」
「まあ医者っていうか、正確には治癒術師だね」
という事は、ここは病院……? だからベッドがこんなに沢山あるのかしら。
ゼル先生は続けて言う。
「ぼくは帝国所属の宮廷治癒術師なんですよ。きみ、極度に高い所が苦手だったりする?」
「た、高い所……? ……あっ!」
彼にそう言われて、思い出した。
飛空艇で窓の外の景色を見ていた時、私はふと「こんな所から落ちたら、ただでは済まないんじゃ……?」という想像が頭をよぎってしまったのだ。そうして私は、急に気が遠くなって……気を失ってしまったのだろう。
「心当たり、あったみたいですね?」
「……は、はい。お恥ずかしい限りですが……」
「きみは随分と箱入りのお嬢様だったようだし、高所に行く機会が無かったから、自分が高所恐怖症だとは気が付けなかったんでしょうね。……まあ、気絶するほど苦手な人は珍しいケースだけどさ」
「ご、ご迷惑をお掛けしました……!」
「迷惑なんかじゃないさ! 久々に良いものが見られたし……ね?」
「良いもの、ですか?」
「ええ! フェルが血相を変えて、きみを抱えてここに飛び込んで来たもんでね。あいつのあんな真っ青な顔、そうそう拝めるもんじゃないからさ〜!」
ゼル先生は本当に楽しそうに笑っているけれど、双子同士でも雰囲気は全然違っている。
……それにしても、フェルはそんなに必死に私を運び込んで下さったのね。やっぱり彼女、悪い人には思えないわ。
ゼル先生の方は……今の所、ちょっとノーコメントだけれど。
「……先生、あんまりフェルを揶揄わないであげて下さい。彼女は私の事を心配して下さった、お優しい方ですから」
「ごめんごめん、ちょっと言いすぎちゃったよ。……とりあえず、クリスザード帝国へようこそ、ロミア様。体調に問題無いようなら、この後で陛下への謁見をお願い出来るかな?」
……そうだった。私、これから皇帝陛下に会う予定だったのよね。
私が気絶なんてしていなければ、今頃とっくに謁見をしていたはずだもの。
「はい、問題ありません」
「それじゃあ、ここで少し待ってて下さいね。きみが目覚めたって連絡しないといけないですから」
すぐに戻りますよ、と言い残してゼル先生は部屋を出て行く。
彼が戻って来るまで、私は窓の外に見える景色に目を向けていた。
アリスティア領ではあまり雪が積もらないけれど、外には真っ白な雪景色が広がっている。私……本当に異国の地に来ているのね。
*
病室を出て行ったゼルナンドは、コツコツと靴音を鳴らしながら廊下を歩いていく。
一面の雪に囲まれた、クリスザード帝国の帝都ローディア。その中でも一際荘厳で歴史のあるヴォルゴ宮殿は、地上二階、地下三階建ての規模を誇る。
ゼルナンドは双子の片割れであるフェルの待つ部屋へ向かいながら、ぽつりと呟いた。
「……彼女は箱入りのお嬢様っていうか、
彼の吐露した本心は、自身の靴音に掻き消されていった。
*
それからすぐにゼル先生が戻って来た。それに、彼の双子のフェルも一緒だった。
「ロミア様、お加減は本当に問題ありませんか!?」
「大丈夫だって言ってんだろ、フェル。このぼくの診察が信用出来ないってのか?」
「あなたには聞いていません! ロミア様にお聞きしているのです!!」
わぁ……フェルって、こんな風に怒鳴る事もあるのね。
彼女のこの取り乱した様子を見る限り、ゼル先生が言っていたのは事実だったんだわ。
「心配しないで下さい、フェル! 私はもう平気ですよ。ほら、こんなに元気ですからっ!」
言いながら、私はベッドから立ち上がって笑顔を向けた。
「ああっ、ご無理はなさらずに! ……ですが、あなた様がそう仰るのであれば。ロミア様、もしもほんの少しでも体調が悪くなるようでしたら、すぐにわたくしをお呼び下さいね? 例の手鏡、肌身離さずお待ちですか?」
「ええ、ちゃんと携帯していますよ。昨日、フェルと約束しましたからね」
そう答えた私の言葉を受けて、フェルは
……やっぱり、フェルの笑い方は花が綻ぶように綺麗だわ。
彼女の双子の弟、ゼル先生の方は何というか……。こうして姉弟で並んでいると、同じ顔をした天使と悪魔を見ているようなのよね。
ゼル先生が悪い人だと言いたい訳ではないのよ? あくまでも、雰囲気の話だから。ね?
「ほらほらフェル、こんな所でいつまでも立ち話してるつもりかい? 陛下をお待たせしてるんだから、そろそろ行った方が良いんじゃないの?」
「……それもそうですね。ゼルに指摘されたのは一生の不覚ですが、陛下の御前へ参りましょう」
「……あの、もしかしてフェルとゼル先生は仲がお悪いのでしょうか?」
私が二人に尋ねると、
「フェルと仲は良いと思うけど?」
「ゼルと仲は良くありませんよ」
と、全く同じタイミングで断言してきた。
二人の仲が実際どうなのかはさておき、フェルとゼル先生は息の合った双子だという事だけは、間違いなさそうだ。
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