第8話 何も覚えていなくて……

 船の中で出された朝食も昼食も、私にとってはどれも新鮮な驚きに満ち溢れていた。

 お料理を運んで来てくれたのはフェルだったから、私が毎回どの料理にも感動して食べた感想を話す度に、彼女も嬉しそうに笑ってくれる。


 ……やっぱり彼女は悪い人ではなかったのかな、とは思うのだけれど。

 それでも彼女の主人だというのは、これから私が向かうクリスザード帝国の皇帝陛下だ。陛下がどうして私をパレンツァン家から引き離そうとしたのか、そんな事をして何の得があるのか分からない。

 今日の午後にはもう帝都に着くそうだし、陛下に会ったら自分がどうなってしまうのか、何も想像出来なかった。

 軍船だから観光船よりもずっと速いらしく、本来ならば三日はかかる距離だという。そんなに早く心の準備が出来るのかしら……とは思うものの、こうして元気に食事が出来ているのだもの。案外、私って図太い性格だったのかもしれないわ。




 *




 雲一つない薄青の空。屋根に積もった真っ白な雪。

 そう。昨日フェルが話してくれた予定通り、私達を乗せた帝国軍船はクリスザード帝国領の港に到着したのである。


「さ、流石は《冬幻郷》と呼ばれるだけの場所、という事なのでしょうか……。フェルが貸して下さった服とコートが無ければ、凍えてしまってもおかしくないですね……!」


 帝国領は一年中、どこも寒い場所ばかりなのだという。

 船が着く前に、フェルに着替えを用意されていた。冬用の服や毛皮のコート、もこもこの帽子と耳当てにマフラーと、防寒具一式をしっかりと身に付けている。

 それでも海から吹き付けてくる風は、何も覆われていない私の顔を突き刺すように冷たいのだ。もしも一日中ここで立ち続けていたら、すぐに風邪を引いてしまいそう……!


 ふと、同じく防寒着を着込んだフェルの方を見て、思わず自分との違いに落ち込んでしまった。

 彼女は元から身長が高く、スタイルが良くて手脚もすらりと長い。私と同じぐらい何枚も服を重ね着しているはずなのに、シルエットがスマートなのだ。

 腰まで伸ばされた彼女の長い黒髪が風に靡くと、とても画になっていた。港で風に吹かれるフェルの美しい姿を絵画にしたら、きっととても価値の高い絵になるに違いない……!

 そう思わせてしまうほどに、フェルはこの雪国が似合っていた。

 ……まあ、それはそうよね。彼女は帝国人なんだもの。寒さに慣れているから、私みたいにガチガチに震えてなんかいないものね。


「ここから少し歩いた先に、空港があります。そこから飛空艇に乗り込み、帝都の空港まで向かいますよ」

「今度は空港ですか!? 話には聞いた事がありますけれど、空港って空を飛ぶ船がある所なのだとか……。ほ、本当に空を飛んでしまうんですか……?」

「ええ、飛びますよ? 現時点では帝国領内でしか飛行許可は出ていませんが、風の神の加護を持つ魔術師が同行する事で、飛行の安定性を確保しているのです」


 船が、空を飛ぶ……。

 海の船に乗ったのだって初めてだったのに、次は空の船に乗る事になるだなんて!

 飛空艇……どこかの国が、そんな船を完成させたのだという噂。お姉様が王都でそんな話を耳にしたのだと、お父様に話していらした。私はそれを横で聞いていただけだったけれど、まさか自分がその噂の船に乗る機会がやって来るとは思いもしなかった。

 ……でも、空を飛ぶって大丈夫なのかしら?


「その……落っこちてしまったりは、しませんか……?」


 私が恐るおそる尋ねると、フェルは小さく吹き出して笑った。


「フフッ……大丈夫ですよ」

「わ、笑わなくても良いじゃないですかぁ……!」

「ああ……申し訳ありません。怯えてわたくしを見上げるロミア様が、小動物のように可愛らしかったものですから」

「むぅ……これは褒められているのか揶揄われているのか、どう受け止めるべきなのでしょう……!」


 気を取り直して、とフェルは話を再開する。


「飛空艇は、現段階ではこれから乗る一機しかありません。軍に配備されるまでにはまだ時間が必要ですが、こちらは陛下や側近など、限られた者が使う専用機になっています」

「……身分の高い者が乗る船だから、落ちる心配は無いという事なのですね?」

「ご明察です。それならば、ロミア様にも安心して頂けますよね?」


 そう言われて、私は頷いた。

 皇帝陛下のような方まで使われる乗り物なら、彼女の言う安全性に間違いは無いのだろう。むしろ、ここまで安全だと言われたのに乗船を拒否してしまえば、私が帝国の技術力を信用していないと思われてしまうもの。

 ……本当はまだちょっぴり怖いけれど、その後に待ち構えている陛下との謁見の方が怖い。それが顔に出てしまわないと良いのだけれど……。




 *




 飛空艇が地上から離れた後、私はフェルに勧められて、窓の外から見える景色を眺めた。

 そした、窓の外一面に広がる白の世界に感動した──ところまでは覚えているのだけれど、その後の記憶が無いのだ。

 気が付いたら私は、見知らぬ部屋の天井を眺めていた。


「ここは……?」


 ゆっくりと身体を起こすと、どうやら私はベッドに寝かされていたというのが分かった。

 周囲には私の寝ていたベッドだけではなく、他にもいくつものベッドが置かれている。寝室……というには、何だか違う気がする。


「ああ、気が付かれましたか」


 声のした方に顔を向ければ、そこには白衣を着て髪を結ったフェルが居た。


「フェル……私、いったいどうしてしまったのでしょうか? 飛空艇の窓から外の景色を見た後から、何も覚えていなくて……」


 ベッドの側までやって来たフェルは、片方の口角だけを上げて小さく笑った。

 何だか、今朝までのフェルの笑い方と違うような……? これまでの彼女なら、こんな風にキザっぽい笑い方はしなかったと思う。


「……ぼくはフェルじゃありませんよ」

「えっ……? でも貴女、服装や髪型は違うけれど、どう見てもフェルと同じ顔をしていると思うのですが……?」


 目覚めたばかりの頭が大混乱しているところに、目の前の人物は更にとんでもない発言を投下した。


「フェルは、ぼくの双子なものでね。ぼくが双子の弟の方、ゼルナンド。どうぞ気軽に、ゼル先生と呼んでもらえば良いですよ。ふふっ、驚きました?」


 そう言ってフェルとそっくりの顔で、悪戯っぽい意地悪そうな笑みをこちらに向けて来るのだった。

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