第7話 どこに向かおうとしているのです?

 私とフェルは、互いに【命の誓い】を交わした。


 私は、フェルを信じる事。


 フェルは、私に船の行き先を教える事と、絶対に私を裏切らない事を誓ったのだ。


 これを破れば、私達のどちらかは命を失う。

 契約を破棄する事も出来るけれど、それは契約を結んだ相手が先に死ぬ事でしか果たされない。


「……それにしても、随分と大きな船なのですね。まるで、本で読んだ軍船のような……」

「ご明察です、ロミア様! 何を隠そう、この船は軍の船ですから……ね!」

「えっ……? ほ、本当に軍船なのですか!?」


 船が出港してしばらくした後、フェルは私にとんでもない事実を明かした。

 もう港から大分離れたから、部外者に聞かれる心配が無いという事なのだろうけれど……。それにしたって、軍船だなんて想定外すぎるわ!


 甲板から広大な海を眺めながら、フェルはその長い黒髪と黒いスカートを靡かせ、楽しそうに口を開く。


「ロミア様のとても良いリアクション、わたくし大変満足です! この軍船には寝室もございますし、今回のように護衛船としても使われる船でしてね。念には念を、と言う事で使わせて頂いているのですよ」

「フェル……貴女、他人を驚かすのがお好きなのですね……?」

「ええ、だって楽しいですからね! 特にロミア様は、驚いた顔もとても可愛らしくって……!」

「かっ、可愛いなんて嘘です!」


 むしろ可愛いのは、そうやって心の底から楽しそうに笑うフェルの方じゃないの……!


「嘘だなんて、とんでもございません。……ロミア様はご実家であまり充分なお食事やお手入れが出来なかったようですが、継続して美容に気を遣えば、わたくしよりも美しく輝く原石なのですよ」


 すっかり熱くなってしまった頬を両手で押さえていると、急にフェルが食事の話題を出してきた。


「……食事と美容に、何か関係があるのですか?」

「ええと……自身で化粧品を開発されているのに、ご存知ないのですか?」

「は、はい……。お婆様の書庫にあったのは、薬草の見分け方や育て方、魔法薬についての本がほとんどで……美容に関しては、お母様とお姉様の見様見真似みようみまねでした。食事も家族の皆とは別のメニューで、余り物を使って自分で用意していたものですから……」


 それを聞いて、フェルは一瞬苦しそうに表情を曇らせ……けれども次の瞬間には、口元に笑みを浮かべてこう言った。


「……分かりました。それでは宮殿に到着次第、ありったけのおもてなしをさせて頂きますね!」

「え……お、おもてなし……ですか? それに宮殿って、結局私達って今どこに向かおうとしているのです?」

「……わたくし達が向かうのは、永遠の雪と氷に囲まれた国。《冬幻郷とうげんきょう》とも呼ばれる、我らが若き皇帝の治める凍土の地、クリスザード帝国でございます」




 *




 船の中での生活は、正直に言って実家よりも快適だった。

 王侯貴族の護衛船として使われているというこの軍船は、上流階級の人々に向けた設備が整っていたのだ。


 フェルに最初に案内してもらったのは、私が泊まる客室だった。

 船内の一室だというのに、実家のお父様の部屋ぐらい大きいのには驚いてしまった。そこでまたフェルに笑われてしまったのだけれど、こんなに大きな部屋を使えるのなんて生まれて初めてなのだから、仕方が無い。

 身嗜みを整える為のドレッサーも置いてあるし(お母様やお姉様の部屋にあったのは知っている)、ベッドだってふかふかで、全然カビ臭くないのだ!

 それに部屋には浴室も備え付けられていて、どういう原理なのか、船の中なのにいつでも温かいお湯に浸かれてしまう! まるで魔術みたい!(実際に魔術を用いた道具が使われているそうだ)


 食堂で出されたお料理も、今朝港で買ってきたばかりだという魚を使ったムニエル? という料理だとか、焼き立ての香ばしいパンや、色鮮やかで新鮮なサラダが出たりと、驚きの連続だった。

 全く知らないお料理というは、見ているだけでも胸が躍るのね。乾燥して硬くなっていないパンは、雲みたいにふかふか! そこにフェルに勧められてバターを付けてみたら、パンが焼き立てだから、目の前でじゅんわりと溶けていくの!

 サラダだって採れたての野菜だけを使っているそうで、萎びていないシャキシャキの野菜の食感も初めてで、噛んでいるだけで軽やかな音楽が流れているみたいで楽しいの……! ドレッシングというソースにはレモンが使われているらしくて、果物はお肌に良いのだとフェルが教えてくれた。


 フェルは食事と美容には関係があると言っていたけれど、確かにこんなに美味しくて豊富なメニューを食べていたら、心も身体も健康になるに決まっているわね!

 食材が新鮮だったり、出来立ての料理だというだけで、普段食べていた食事がどれだけ味気ないものだったか、身を以て実感してしまった。

 アリスティアの屋敷では毎日自分で食事を用意していたけれど、主食を残り物のパンで済ませるんじゃなくて、自分でパンを焼いてみるというのも面白そう。何より、自分の好きな具材や作り方で、それも出来立てを食べられるんですもの!

 この美味しさを知らずに生きてきた十九年間が、どれだけもったいないものだったのかと思わず後悔してしまったほどだわ。

 野菜だって単に苦くて青臭いだけだと思っていたけれど、鮮度や産地でも味が変わるのだとフェルに言われて、これまたびっくりした。機会があれば、美味しい野菜を作ってみるのも楽しいかもしれないわね!




「それではロミア様。明日の朝にわたくしが起こしに参りますので、それまでは他の者が訪ねてきても、部屋の鍵は開けないようになさって下さい。何かご用がありましたら、こちらの魔道具でご連絡下さいませ」


 部屋まで送ってくれたフェルが手渡してきたのは、片手で簡単に収まるサイズの手鏡だった。

 その鏡を覗き込むと、そこに映っていたのは私の顔──ではなく、何とフェルの顔ではないか!


「えっ!? な、何ですかこの鏡! 私の顔ではなくて、フェルの顔が見えるのですが!?」

「何なら顔だけでなく、声も届く逸品ですよ? こちらの鏡は、パスを繋いだ物同士を繋ぎ合わせ、片方の鏡に映っている景色と音を拾える魔道具なのですよ」

「す、凄い……! こんな道具、見た事も聞いた事もありませんっ!」

「それはそうでしょうね。この魔道具は、我が国が誇る宮廷魔術師が作り上げた秘蔵の品ですから」


 彼女の言葉を聞いて、思わず手鏡を持つ手が震えてきてしまった。


「そ、そんなに貴重な物をお借りしてしまって良いのでしょうか……? もし、もしこれを壊してしまったらと想像したら、私……!」

「簡単には壊れないように、強化魔術を付与してありますので、どうかご心配はなさらずに。そちらの手鏡は、なるべく常に携帯しているようにして下さいね。あなた様の身の安全はわたくしが命懸けで保証しますが……何の為と言ったら、念の為です」


 使い方を聞いたら、手鏡にほんの少し魔力を注ぐだけで使えるようになるらしい。片方の鏡が起動すれば、自動的にもう一つの鏡も連動するそうだ。


「明日の昼には、帝国領の港に到着します。それまでに船内で軽食を摂って頂き、その後に帝都まで移動となります。そちらでわたくしの主……皇帝陛下と謁見して頂く事になりますね」

「クリスザード皇帝陛下と、ですか……!?」


 つまり私は、顔も名前も知らない皇帝陛下に身柄を引き渡されるという事……!?

 わ、訳が分からない……。こんな事になるなら、お父様に無理を言ってでも周辺国家の勉強をさせてもらえば良かったかしら……。

 まあ、多分聞き入れてはもらえなかったと思うけれど。お父様は、騎士にもなれない女が知恵を付ける必要は無いと断言していらしたし……。



 そうして私は、ふかふかのベッドに潜り込んだ。

 今日だけでも驚きの出来事の連続だったというのに、明日の事を考えたら全然眠れる気がしなかった。


 ……しなかったけれど、呑気に熟睡してしまったのは、フェルには秘密にしておきたい。

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