第6話 私をどこに連れて行くつもりですか?
かなりの長時間フェルと話し込んでしまったけれど、私達を乗せた馬車は、未だパレンツァン邸に到着する様子が無かった。
三ヶ月前のデリス様の誕生パーティーがあった時と比べると、少し遅れが出てしまっているのだろうか。
「……ねえ、フェル。パレンツァン邸には、あとどれぐらいで着くのか分かりますか?」
「もうじき到着するはずですよ」
それから少しすると、彼女の言葉通りに馬車が停車する。
フェルに促されて馬車を降りて──聞き覚えのない鳥の鳴き声と、嗅ぎ慣れない香りの風が、私の金色の髪を揺らした。
そして、目の前に広がるのは……。
「ここは……もしかして、海ですか……?」
「はい。この港から船に乗り、今夜は船内でお泊り頂きます」
それじゃあ、あのクゥークゥーと鳴いている白い鳥は……カモメ?
なら、この独特の香りのする風は、潮風というものなのかしら……?
確かにフェルの言葉通り、港には何隻か船が停泊していた。
あの中のどれかに乗って行くのだろうけれど……妙だわ。パレンツァン領は海を越えなくても良いはずだもの。いったい彼女は、私をどこへ連れて行こうとしているというの……?
「……パレンツァン領へは、海を渡らずに行けるはずだわ。わ、わたし、一度家に帰らせて──」
しかし、私が馬車に戻ろうとした途端、私達が乗って来た馬車が走り出してしまった。
「ま、待って! 私も家に戻りたいの! お願いです、いったん馬車を停めて下さい!!」
走って馬車を呼び止めようとしたけれど、ヒールの高い靴を履いているせいで、そんなに早く走れなかった。それでも御者の耳には私の声が届いているはずなのに、全くスピードを緩めてくれない。
あっという間に馬車は港から姿を消し、私を取り残していってしまった……。
「そんな……私、これからどうしたら……」
……今思えば、あの時馬車が急停車したのは、フェルが私を攫う為に馬車を襲ったからなのかもしれない。
御者は、お父様からの依頼を果たす為に私を守ろうと怒鳴って、彼女に金を握らされて丸め込まれた……とか。最初はパレンツァン公が寄越した侍女なのだと思っていたけれど、フェルは一度も自らの所属を明かしていなかった!
そう思い至った途端、背後に佇む彼女がとても恐ろしく感じた。
このまま彼女の口車に乗せられて船に連れ込まれたら、デリス様の妻になるよりも悲惨な運命が待ち受けている危険性がある。
けれども私には、この状況を打破する切り札が無い。ダリアお姉様のように腕に自信がある訳でもないし、魔術の勉強もしていないから、魔術で切り抜ける術も無いのだ。
すると、フェルが語り掛けてきた。
「……わたくしが怖いですか、ロミア様」
……当たり前だわ。自分の名前以外は何も明かしてくれない相手から、行き先も分からない船に乗れと言われているのだもの。
「こちらにお顔を向けて下さい、ロミア様。悪いようには致しませんから……ね?」
台詞が悪役のそれとしか思えない。しかし、下手に逆らっても状況が悪化するかもしれない……。
私を怖がらせないようにと、優しい甘い声で喋るフェル。意を決して振り返ると、彼女は想像していたよりも穏やかな表情を浮かべていた。
「……私を、どこに連れて行くつもりですか?」
お姉様みたいに堂々と言おうとしたつもりだったのに、情け無く声が震えてしまう。膝だってガクガクだ。
私は望まれて生まれなかった悪魔の子だけれど、こんな自分でも、アリスティア伯爵家の一員であるという誇りはある。騎士の名門の子としてのプライド……その一欠片ぐらいは持ち合わせていると、そう思いたかった。
「……申し訳ございませんが、行き先についてはまだお伝え出来ません。ここは人目もありますし……ね」
フェルの言う通り、港には人の行き来があった。
魚市場は朝のうちに閉まってしまったようだけれど、日中だから子供達が楽しそうにはしゃぐ声や、釣り人の姿も見える。誰かに行き先を聞かれるのは、彼女にとって不都合なのだろう。
フェルは続けて言う。
「ですが、ロミア様が船内へご同行して下さるのでしたら、これから向かう場所を必ずお伝えすると約束しましょう。……わたくしと、わたくしの主は、あなた様の味方です」
フェルの主……。彼女をパレンツァン邸行きの馬車を港に向かわせるよう仕向けて、私の味方だと名乗る謎の人物。
彼女の言葉を、信じてしまって良いのだろうか?
……私が長年かけて手探りで作ってきた化粧品を、カミラの仕事の出来を誉めてくれた、彼女の心を。
永遠にも錯覚するような沈黙の時間が続いた後、私はすっかり重くなった口を開いた。
「……貴女の言葉が真実だというのなら、私と【命の誓い】を交わして下さい。それが出来ないのなら、私は絶対に貴女を信用しない。今すぐ大声を出して、貴女と人攫いだと言って騒ぎます……! ですから──」
「良いでしょう、構いません。それであなたの信用を得られるであれば、この命などいくらでも懸けられますとも」
「えっ……?」
ま、まさか本当に【命の誓い】に応じてくるだなんて……!
すぐに尻尾を巻いて逃げ出すものだとばかり思っていたから、とてもびっくりしてしまった。
「それではロミア様、私からはあなた様に行き先をお伝えする事と、決してあなた様を裏切らないと約束致します。そしてあなた様には……絶対にわたくしを信じるとだけ、誓って頂きたいのです」
「貴女を……信じる……」
「さあ、ロミア様。わたくしの手を取って、誓いの言葉を──」
そう言って差し出されたフェルの手は、私よりも大きくて長い指をしていた。
この手を取ったら、私はもう後戻り出来なくなる。
ここではないどこかへ行けば、私はパレンツァン家の……デリス様の妻にならずに済むかもしれない。しかしその結果、アリスティア家への援助の話は無くなるし、お姉様の出世の道も遠のいてしまうだろう。
……ここで彼女に逆らったらどうなるのだろう。
彼女は私の味方だと言っているけれど、彼女の主が何を望んでいるのかも分からない。【命の誓い】を立てていても、自分の命を投げ出して、何らかの目的を果たそうとしているだけなのかも……。
……それならどの道、私が選べる選択肢なんて一つしかないじゃない!
生きていれば、何度だってやり直せる。
お父様からの期待は裏切ってしまうかもしれないけれど……そんなのは生まれてから今まで、ずっとそうだったじゃない、
それなら敵の意表を突いて取り入って、パレンツァン家から得るはずだった利益を吸い上げてやるぐらいの気持ちでいなくちゃ駄目だわ!
そうすればきっと、お父様だって許して下さるはずよ。
私がこんな子だったせいでずっと苦しませてきたお母様だって、生活が楽になれば、精神的にも楽になるかもしれない。
騎士になったお姉様のような方法で家に貢献する事は出来なくても、こういう手段でピンチを切り抜ける事だって出来るのよって、いつか胸を張って自慢出来る日が来るかもしれない。
……私は、子供の頃に初めてのお友達になってくれた子がくれた、狼の絵本を思い出した。
あの絵本の子供狼は、独りぼっちのはぐれ者だっただけれど、勇敢に友達を救ってみせた。
私もあの狼のように、どんな境遇でも諦めない心を忘れたくないのだ。
絵本をくれたあの子も、きっとそう思っていたのだと思う。あの絵本が私の心の支えになっていたように、あの子だって宝物だと言っていた絵本を、とても大切にしていたから。
何度も繰り返し読んだあの絵本は、侍女のカミラに託してある。
本当はあの絵本も持って行きたかったのだけれど、「そんな子供っぽい物を持ち出させる訳にはいかん!」とお父様に大反対されたからだ。
それでも、本の内容は丸暗記している。だから、ちょっと寂しいけれど……私は大丈夫。
『ぼくは、ひとりぼっちのオオカミだけど。
ともだちがいるから、さみしくないんだ。
たとえ、かんたんにはあえなくたって。
ぼくらが、オオカミとニンゲンだからって。
こころがつうじあっているなら、ぼくはもう、ほんとうのひとりぼっちなんかじゃないんだよ』
脳裏に蘇るのは、もうすっかり朧げになってしまった、あの時の男の子。
そしてもう一人は、 三ヶ月前の雪のちらつく夜……私を外套で温めて下さった紳士、ジュリ様だった。
どんな時だって、独りぼっちの狼と人間の子供のように、心と心で繋がっていれば……自然と身体の奥底から、力が湧いてくるのだ。
あの子とジュリ様の優しさを思い出しながら、私は改めてフェルの手に自分の手を重ね合わせた。
「……始めましょう。私達の【命の誓い】を」
散々震えていた声も脚も、もうしっかりと止まっていた。
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