第5話 爽快

「ルシアお嬢様、公爵様から訓練場を走る様に命じられてますが、お身体はもう大丈夫ですか?」

屋敷から少し離れた場所にある訓練場に着くと、副団長のガウェンが声をかけて来る。

私は大丈夫ですと答えながら訓練場を見回した。

モルディ公爵家は、何年も王宮の騎士団に騎士達を送り出している名門家だ。その為にも敷地内に広く訓練場を設けている。

それとは別にモルディ騎士団もあり、王命で遠征や戦場に行く場合がある。

その騎士団をまとめるのが父であるイクリス・モルディ公爵だ。

ガウェン・マックールは23歳という若さで父に腕を見込まれ副団長になった。

父に忠誠を誓い、国の為に若くから活躍している。

ガウェンは確かユリアの護衛騎士になったはず・・・この男とも仲良くしておくべきかしら?

軽くストレッチをしながら、横目でガウェンを見る。

ガウェンは無表情のままルシアを見ていたが、それが心配なのか何かはわからない。

本当に寡黙で無表情で、何を考えているのかわからないわ・・・とりあえず、今は未経験の「走る」という行為に集中しよう。

三歳から訓練を受けているルシアの体なら大丈夫だとわかっているけど、なんせ、私は走った事がない。

初めての事に心臓がバクバクする。

大きく深呼吸してゆっくりと足を踏み出す。トットットと緩いリズムを立てながら走り出すとフワフワとした感覚が襲いかかる。

次第にタッタッタと力強いテンポに変わる頃には、不安は消え去り、ワクワクが止まらなくなっていた。

凄い!これが「走る」なのね!体がフワフワして気持ちいい!

それに、汗をかいてるのに、全然辛くない!

前の私の体で汗をかくのは、決まって苦痛に耐える冷や汗だった。

その冷や汗が体と服にまとわりつく度に、自分の体を巻き付けて死へと導いてる感がして怖かった。

でも、今は違う。こんなに汗をかいて、服が肌にまとわりつくけど全然怖くないし、逆に爽快過ぎる!

息も少しずつ上がってくるのに、苦しいところか気持ちいい!

もしかして、これが噂に聞くランナーズハイってやつかしら?

あぁ・・・ルシア、あなたのおかげよ。私、今、最高に幸せ!生きてる実感がするの!

もう何周したのかわからないほど足を忙しく動かしているのに、もっと、もっとと心が騒ぐ。笑みが止まらない。

「ルシアお嬢様!」

突然大声で名前を呼ばれ、足を止めて振り向くと、ガウェンが凄い勢いで走り寄ってくるのが見えた。

何事だろうと、袖口で汗を拭いながらガウェンを見つめる。

「ガウェン副隊長、どうしたんですか?」

「どうしたって・・・一体、何周走るつもりですか!?」

側にきたガウェンの表情は、いつもの無表情ではなく明らかに怒りの表情だった。

そんなガウェンに、キョトンとした表情で首を傾げると、大きなため息を吐かれる。

「20周です!いくら公爵様の言いつけでも、病み上がりなのにやりすぎです」

「え?そんなに走ってた?」

「えぇ。それなのにニコニコと笑って走るなんて・・・まだ、身体の具合が良く無いのでは無いですか?」

ガウェンの言葉に苦笑いが溢れる。

確かに・・・笑いながらそんなに走ったら、頭おかしいと思われるわ・・・。

「・・・・ルシアお嬢様、お嬢様はこの騎士団の中でも充分過ぎるほど頑張っていらっしゃいます。公爵様もきっとわかってらっしゃるはずです」

元の無表情で放つガウェン言葉に、無意識に俯いてしまう。

少ない描写の中で、公爵がルシアを誉めた事は一度もない。

きっとそれは、この先いくら努力しても変わらないという事だ。

だから、私は公爵達の為に努力はしない。期待などもしない。

この先の人生は、私とルシアの為だけに生きると決めているからだ。

いつまでも顔を上げない私の頭に、何かがのしかかる。

顔を上げると、その何かはガウェンの手だと気付く。

何も言わず置かれた手の重みと暖かさに、涙が溢れた。

悲しいとか悔しいとか思わなかった私の感情と裏腹に、この自然に流れる涙はルシアの感情だった。

私が憑依したことで、ルシアはどうなったのか気になっていたけど、心の中に生きているんだと実感する。私は胸に手を当て、目を閉じる。

ルシア、良かったね。貴方をちゃんと見てくれて、心配してくれる人がいたよ。

1人じゃなかったよ。

心の中にいるルシアにそう声をかけてやると、胸の中が暖かに満ちた感情で溢れかえった。

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