無責任
@hitofumi
見る
見てしまった。見てしまった。穴。穴。穴。上に二つ。下に一つ。シミュラクラ現象だったか。人の顔のように見えた。見えてしまった。瞬間、吸い込まれるような、落ちるような、染めるような。黒い、暗い穴。どこまでも底の見えないそれは、僕の思考を握り込んで奥へ奥へと引き摺り込んでいく。咄嗟に振り返って走り去る。遠くへ。遠くへ。ここではない場所を探して。普段は毛嫌いしている喧騒や人の感触を今は心の底から、縋る思いで探してしまう。ない。ない。いや、正確にはある。ある。そこに存在はしている。が、見えない。聞こえない。さわれない。あの穴に引き摺り込まれた僕には、横切る全てが僕を見つめるただの暗い穴に見えた。聞こえるものは全てが不快であり、腹の内から裏返りそうになる。不快。不快。不快。見たくない。見られたくない。あんなもの見なければ。あんなもの。あんなもの。今となっては何を見たのかも思い出せない。引き摺り込まれた思考の中に、握りつぶされた意識の中に置いてきてしまったのだろう。今はただ、ひたすらに見なければよかった後悔と、見てしまった罪悪とで板挟みになっている。走る足に重さが募る。次第に速度は落ちていく。追いつかれる。いやだ。怖い。こわい。次に見てしまえば、今度こそ動けなくなる。右足を掴まれる。僕は必死で振り解く。右足には、まとわりつくような粘着質な不快が残った。あまりの恐怖と気色悪さに涙がでている。それでも、走る。はしる。こわいから。なんでこわい?なにがこわい?わからない。わからない。漠然とした恐怖が背中に迫る。追いつかれてはいけない。振り返ってはいけない。思い出してはいけない。思い出したくない。それでも見てしまった過去は変わらない。後悔は消えない。どれだけの懺悔も通用しない。あの穴は僕に迫っている。足が動かない。腕が動かない。口が動かない。目が閉じれない。真後ろにいたものが、ぬるりと僕の右頬を掠めながら前に出てくる。通り抜ける悪寒に呼応するように鳥肌が立つ。こわい。こわい。こわい。こわい
。見たくない。見ろ。見たくない。見ろ。見ろ。見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ見ろ。渦のようなそれに引き摺られるとき、耳元で確かに「ははは」と声がした。
無責任 @hitofumi
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