第2話『ヒーローなんていらない!』
たった今、この後ろから私を呼ぶ優しい声に、どれだけ憧れただろうか。けれど結局の所、彼は彼女を呼んでいるのだ。私ではない。
だから、そんな事に気づいた瞬間に、彼への熱はスッと冷めていった。
『ユーシャ』そう呼ばれるキャラクターとして、私は彼が好きだったのだ。名前はまぁ、雑だけれど。
「ヨウ、やっぱり此処にいたんだな」
それでもやっぱりその声に耳と脳が揺さぶられる。ゲームでは設定した名前の部分は読んでくれなかっただけに、効く。
CV担当を思い出さないようにしながら、私はなるべく笑顔で記憶にあるなんとなしの受け答えをする。
「なんだコレ……、魔物の仕業か?!」
「ん、んー……。私も来た時にはこうなっていたから……、もしかしたら森の奥に住むっていう魔物が……」
――嘘を吐いた。
「普段はこんなところまで出て来ないはずなのに……、村へ急ごう!」
「う、うん……っ」
嘘の言葉に借り物の自分、耳に届く大好きだった声も、罪悪感でかき消されていく。
――私は、キミを愛していた彼女を乗っ取った偽物なのにな。
自意識は私にある。ということはヒロインがこの世界で過ごしてきた数年を私は奪ったという事になるのだ。
いっそ本当にゲームの世界なら割り切れたかもしれない、だけれど限りなく『ワールズスワロー』に酷似した異世界だと言われたならば、大好きだったからこそ胸が痛む。
きっと彼は、私がヒロインを上手く演じられたならば私を好きになる。そうして、私という精神に乗っ取られた彼女はそもそも彼を好きだった。あくまで酷似した世界だとしても、それは変わらないはずだ。
だけれど、この姿形も声も違わない彼のヒロインの中身は、私だ。
それが私にはどうしても許せない気がして、そうして私はヒロインの器なんかでは無いという当たり前な確信もあって、森から村へ戻る道中の会話は殆ど頭に入らなかった。
そうして、そろそろ最初のキツいイベントが来る。
知っている限りでは、これからもうすぐ魔物による虐殺が村で起こる。ユーシャの生家がバレる、ありきたりな展開だ。そうして、その時森にいた私達だけが生き残る、はずだった。
だけれどもう既に様子がおかしい、私達だけが生き残らなければ始まらない。少なくともユーシャは生き残らなければいけないはずなのだ。
村人の虐殺、それがユーシャが戦いへ赴く為の最初の動機へと繋がり、ヒロイン役の私は膝から崩れ落ちて、泣き崩れた所をユーシャに強く抱きしめられ、それが愛の灯火になる。
「なぁ……、あの火って……! ……先に行く! ヨウは此処で待ってろ!」
――だから、私達はその虐殺に関わってはいけない。
それなのに、ユーシャは村に放たれた炎に気づき、一足先に村へと駆けていく。
何故気づいたか、それは急いでしまったからだ。もう既に物語は破綻しはじめていて、自身の行動がどれだけこの世界に影響を与えるかという事に気づき始めていた。
「私が、嘘を吐いたからだ」
目覚めの泉に関する嘘、宝剣を放り投げたとは言え見つけられたら困ると『奥の魔物が~』なんて事を言ったせいで、ユーシャは急いで村に帰ろうと足並みを早めた。そのせいで、不運にも間に合ってしまう。
そうしてきっと、あの虐殺に今の彼は耐えられない。そもそもがユーシャを殺しに来た魔物の軍勢、逃げの一手しか無いシーン。
彼の背中を見ながら、私はぼんやりと自分の力について考えていた。
「ねぇカサ、いるんでしょ」
「いるけどさぁ、その略し方はどうかと思うんだ」
こんなの詐欺みたいな物だ。だからいっそサギと呼んでしまおうと思ったけれど、そうなると鳥が変わって面倒だ。だからいっそこの世界には無いであろう傘、カサと呼ぶ事にした。
――どうせこの虐殺の後には、雨も振る。
「ずーっと頭の上にいるんだから、いいでしょ。雨除けくらいにはなってよ」
そう言うとカサは私の肩に止まる。
「一応神様なんだけどなぁ、でもまぁいっか。それで、このカサめに何の御用が?」
「端的に言うんだけれどさ、あの村って救える?」
その言葉にカサは何も言わず、しばらく沈黙していた。
本来のユーシャの動機を消す事になり、私のチート能力をバラす事にもなる。
「この世界もまた現実なんでしょ。なら人が死んで行くのを黙ってみてるのはちょっと……ね。しかもユーシャはあの様、死んじゃうよ」
「死んでもいいんだよ。ゲームに於ける主人公はユーシャくんだけれど、この世界に於ける主人公はキミなんだから」
「でも、だとしても、そんなのはさ。良くない」
淡々としすぎて、少しこの鳥が嫌いになりそうだ。ただ、言わんとしている事が分かるだけに悔しい。ユーシャを包む鞘にはなれない、この彼らの現実では、私が剣なのだ。そうであるならば、こんな強引で適当な頼まれ方をされたとしても、救わないなんて、嫌だ。
「言いたい事は分かるんだけどさー。過干渉は面倒になるよ? つまり今この瞬間がキミのチュートリアルなんだ。それがキミの選択だって言うんなら好きにすりゃあいいけれども、善行が必ずしもキミの為になるわけじゃないって事だけは覚えておいてね」
珍しくまともな事を言う。つまり、私が思った通り、この改変は私にとっておそらく良くない結果をもたらすのだろう。しかも話を聞く限りでは目覚めの泉の破壊も、私が嘘を吐くだろうことも想定の内なのだ。
「性格悪いね」
「何百回も転生者とやりあってりゃこうもなるさ」
カサは私の悪口を鼻で笑うように聞き流す。
「じゃあま、面倒な転生者は、魔王を殺す前に人を救うからね」
恐れられるのかもしれないし、ユーシャの戦いの動機が消えるかもしれない。
それでも、私は私にしか出来ない方法で、この世界の結末を見ようと決めた。
燃え盛る村の中で必死に鉄の剣を振るうユーシャの姿は、勇ましかったけれど、彼が敵の猛攻に耐えられなくなるのはあっというまだった。膝を付いた所を見計らって私は水属性の中級召喚魔法を放つ。
「えーっと、滴る所に寄り添えば、
「あ、詠唱いらんよ」
カサが私の肩の上で笑いを堪えていた。本当に、風情もクソもあるものか、全部覚えていなかった私も悪いのだけれど。
「ああもう! 権限せよレインマン!」
水を媒体にして権限する物言わぬ透明な魔人『レインマン』
もう、イベントの発生条件を考えたなら、雨が降っている時点で村人は皆死んでいる。
つまりは、ユーシャが時間稼ぎと抵抗をしたからと言っても、この村に生き伸びられる人間はいなかったという事だ。なら、生き返らせる奇跡が必要になる。
「後は、勝手にやって」
この強い雨で家々に付けられた火は勝手に消える。
そうして『レインマン』もまたその名の通り雨によって能力が上がっていく。
私はこのシーンが、悲しくも好きだった。
だけれど、変えてしまうのならば、雨を集めて、雨を集めて。
「青空を駆けるのは、カササギだけか」
私が生み出した水人形『レインマン』はゲーム内であれば中盤以降に戦う魔物達を殴り飛ばしていく。その姿にユーシャは困惑しているのが見えた。
今の彼は召喚魔法すら知らないだろう。だから『レインマン』なんて彼は知る由もない、だから魔物の同士討ちに見えるかもしれない。
「そろそろかな。詠唱はいらないんだっけね」
『レインマン』が消えるのを見た。アイツは感知型の魔人だ。戦闘目標がいなくなったなら魔力の温存の為にそっと消えてくれる。個人的には大好きな召喚魔法の一つだった。
そして私は、自分のゲームプレイでは一度も使う事の出来なかった、敵側の魔法の名を思い出す。
「……デスライズ」
これは死という概念を嘘として、命を取り戻す禁呪魔法の一つだ。
ユーシャや私といった主要人物は基本的な蘇生が通るだろう、試すつもりはないけれど、きっとそういう風に出来ている。
だがそこらへんの村人を一々生き返らせるなんて事がまかり通っては意味がない。
「でもさ、結局私の責任になるわけじゃんか」
「きっかけを作ったのは僕だけど?」
「チュートリアルなんでしょ? だったら私はこうするよ。正解日どうかは、今の私が決める」
私を中心に黒い渦が広がっていく。
それはまるで、私がこの村を襲ったかのように錯覚するような風景に見えた。闇に包まれ、命を落とした村人達が息を吹き返していく。闇によって傷が癒えて行く異様な風景。
本来ならば魔王に準じる者が使う魔法なのだから、この風景も仕方がない。
四天王がこの魔法で復活した時には、随分と苦労させられた記憶がある。
雨は上がり、カサは青空を気持ちよさそうに駆けていた。村人の意識が戻り始めているのが見える。
「キミが、やったのか?」
そして、この茶番の目撃者が一人。ユーシャも死んでいたならば目撃者はいなかったのだけれど、痛いのは可哀想だ。間に合うならば死を体験して欲しくなかった。
「うん、私がやった」
ただ、こうなる事も薄々予想はついていたのだ。
私はここから先の展開をもう知らない。けれど、それがきっと一番楽なのだと思う。
「あの、魔物は?」
おそらくは『レインマン』の事を言っているのだろう。
説明しても理解が追いつかないと思ったけれど、とりあえず原理は説明した。けれどユーシャは難しい顔をしたままだ。この世界の事情に精通していた事だって、理解してもらえるはずがない。
「言いたい事は、分かったよ。幸い、君の姿は僕しか見ていない」
こんな事があっても優しいのだなと思った。流石主人公の器だ。
こんな優しい彼だからこそ、私はキャラクターとして好ましく思っていたのだ
「今の内に、出ていってくれ。頼む」
――だけれど、そうだろうと思ってはいたんだ。
意識を取り戻し始める村人達、ユーシャが黙っていれば全て事が済むわけが無い。結局は悪手になるように出来ていたのだ。
「この惨状と、説明出来ないような状況は僕が背負う。嘘でも何でも吐くさ。そして、いつかキミに追いつくから」
その言葉には、少し驚いた。剣を振るう姿は弱々しくも勇ましく、可能性を感じた。勇ましい者、勇者となりえる存在だ。
――だけれど結局の所、この世界の主人公は、私みたいだ。
ならば彼は主人公でも何でもなく、ただとても優しい、勇者の可能性を持つ一人の青年でしかない。ならば彼には痛みに塗れた旅では無く、普通の幸せを享受して欲しいと、そう思った。
――これはゲームなんかじゃない。彼らの現実なんだ。
そう気づいて、私は精一杯の笑顔で手を振る。
「ううん、ヒーローなんていらない!」
そういって瞬間移動の魔法を使った。
行った場所にしか使えないから、行き先はたった二つだけ。
私は元目覚めの泉まで飛び、森の奥深くへと、放り投げっぱなしの忘れ物を取りに戻った。
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