003_生還


「はぁ……はぁ……もう、無理……」


 フィオラを背負いながら山を駆け降りる。


 炎の幻影からは既に抜け出しており、継ぎ接ぎ男に追いつかれないよう速度を落とすことなく走り続けていた。


 月明かりは街の街灯のように明るく、二人の足元に小さな影を作るほどだ。


 青年から見れば小さくて軽い少女ではあるものの、激戦を繰り広げた後の体力では容易ではなかった。


「フィオラ……生きてるか……?」


 返事はないが死んでいるわけでもなさそうだ。


 気絶しているのかもしれないし、眠ってしまっただけなのかもしれない。


 何れにしても、フィオラが休める場所を確保する必要があった。


「まずは……村へ行って……毛布を貰おう。それから、どこかで……野宿だ」


 本当ならベッドに寝かせてあげたいという気持ちも当然あるが、それがどれだけ危険な行為なのか理解している。


 寒くて地面が硬い場所で夜を明かすことになったとしても、継ぎ接ぎ男から絶対に見つからない場所が最低条件である。


 これからの行動を脳内で整理していると、いつの間にか山の出口まで来ていた。


「つ、ついた……!」


 後は適当な民家から毛布を拝借するだけだと浮かれていたブレッグに怒声が響く。


「そこの男! 止まれ!」


「……え?」


 村に辿り着いた二人を待ち構えていたのは、甲冑を着込んだ騎士の集団だった。


 二十人ほどはいるだろうか。


 屈強な男たちは剣や槍の切っ先をブレッグに向け、男たちの背後に控えている飛竜は牙を剝き出しにして威嚇している。


「次から次へと……なんなんだよ」


 挟み撃ちにあったブレッグは行き場を失い、ぼそっと呟く。


 周囲をざっと見渡すと村の至る所に騎士の姿が見え、さらには村と山の境界にも点々と騎士が配置されている。


 少なく見積もっても百は超えているだろう。


 ここまで圧倒的な戦力を見せられると諦めもつくというもの。


 騎士の集団と睨み合いを続けていると、先頭に立っていた赤髪の騎士が一歩前へ出る。


 騎士の中でも一回り体格が大きく、短く切り揃えられた赤髪は清潔感を感じさせた。


 そして、眉間に力が入っており、彫りの深い顔立ちは厳しい表情を見せる。


「名を名乗れ! ここで何をしている!」


「一度にいくつも聞かないでくれよ」


 目を伏せて誰にも聞こえないくらい小さな声で反論する。


 これが今のブレッグに出来るささやかな反抗だった。 


「貴様……聞いているのか!!」


「聞こえている……ブレッグだ。それで、こっちがフィオラ」


 両手が塞がれているため顎でフィオラを指すと、赤髪の騎士は槍の切っ先を下した。


「一応、指定されていた人物ではないか。それにしても、フィオラ……どこかで聞き覚えのある名だ」


「ダール隊長、総帥を呼んでまいりますか?」


「あぁ、頼む。俺だけでは判断できん」


 取り巻きの中にいた一人の兵士はさっと剣を鞘に納めると走り出す。


 赤髪の騎士ダールは何かを思い出そうとしているのか、フィオラを見つめている。


 すると、ダールは次第に心配そうな表情をへと変貌していった。


「その、彼女は体調が悪いのか? 顔色も悪そうだ」


「本人が言うには魔力を使いすぎただけらしいけど、どこか休める場所を用意してくれると助かるかな」


「承知した」


 赤髪の騎士ダールは数名の部下に対し手短に指示を出すと、彼らも走り出していく。


 ――いいやつっぽいな。


 少なくともブレッグたちの敵ではないだろう。


 というより、ここまでのやり取りを通じて、ブレッグは騎士の正体を何となく理解していた。


「もう少しこの場で待機してくれ。違うとは思うが、貴殿らが標的ではないことを明らかにしなければならない」


「そっちの事情もわかっているつもりだよ。待っているさ」


「理解が早くて助かる」


 ただの庶民であるブレッグに頭を下げて礼を伝えるダール。


 騎士の教訓がそうさせただけなのかもしれないが、少なくとも立場を気にしない誠実な人物であることは確かだった。


 ブレッグは思考する。


 自分たちの情報を開示することで余計な危険に巻き込まれる可能性を。


 それでも、ダールという男の前では誠実な自分でありたいと思うのだった。


「標的っていうのはシオンのことか?」


「何か知っているのか? いや、知っていることを全て教えてくれ!」


 態度が豹変したダールにブレッグが怯んでいると、威圧感のある低い声の主が騎士たちの間をかき分けて入ってきた。


「ダールよ。何があった」


 強い存在感を放つ白髪の老兵は動じた様子がなかった。


 齢は五十に近い見た目をしているが、ダールよりも背丈が高くて筋肉質な体格は強者そのものを体現しているようだ。


 何よりも力強い瞳からは衰えという言葉を全く感じさせない。


「デルセクタ総帥!」


 ダールはもとから真っ直ぐだった背筋をさらに正し、鉄の棒のように身体を硬直させた。


 胸を張り、口をめいいっぱい開いて叫んでいるのではないかと思えるほど大きな声で報告する。


「山道から民間人と思わしき二名が現れました! 一名は体調が優れないため、休息が取れる場所の確保を部下二名に……命じて…………デルセクタ総帥?」


 報告を中断したダールはデルセクタの全く似つかわしくない姿に戸惑っている。


 先程までいた古強者の姿はなく、代わりに口を半開きにして痴呆の老人のようになっていた。


 よろよろと覚束ない足取りでフィオラへと近づく。


 そして、白い髭を蓄えた口が発した言葉によって、彼らの戸惑いはさらに大きくなるのだった。


「……フィオライン様」


 誰もが動けないでいる中、デルセクタは騎士たちの方を振り返ると、彼は威厳のある老兵の姿へと戻っていた。


「この御方だけは死なせてはならぬ!! 至急レームを呼び、治療に当たらせろ!」


「「「はっ!!!」」」




 **********************************




 蜘蛛の巣のかかった天井。陽の光によって窓際だけカサカサになった床。テーブルに置かれたランプと写真立て。


 生活感の溢れる小さな小屋は、今やすし詰め状態となっており、せめてもの換気としてドアと窓を開け放っていた。


 小屋の入り口を挟むように武装した二名の騎士が見張り、不審な人物が近づいて来ないか目を光らせる。


 小屋を入ると十名ばかしの軽装の騎士が立ち並び、指示を聞き逃さないように聞き耳を立てている。


 そして、小屋の奥へと入っていくと簡素なベッドにフィオラが横たわり、ブレッグ、ダール、デルセクタの三名が彼女を囲んでいた。


「本当に魔力の消耗が原因なのか?」


 デルセクタの渋くて男らしい声と、蒼くて鋭い視線が向けられる。


「はい。本人はそう言ってました」


「そうか。普通の人間なら魔力を使いすぎても、最悪は気絶する程度なのだが……」


「褪色者は違うんですよね」


「……褪色者は自身の魔力や能力に比べて肉体の組成が脆弱だからな。褪色者でも若いうちは問題ないが……残念ながらフィオライン様は若いとは言えない」


「つまり……」


「二度と目を覚まさない可能性も考え得る」


 突きつけられた現実に空気が重くなった。


 フィオラのためなら何でもする覚悟はあるのに、何もできない自分をブレッグはもどかしく思う。


 死んでいるかのように眠っているフィオラの顔を覗き込む。


 ――俺がもっと強ければ、フィオラの魔力を限界まで消耗させなくてすんだかもしれない。


 冒険者という業種から身を引いて以来、魔法の練習を怠っていたことを後悔する。


 もし、怠慢が理由で大切な人を失うことになったら、一生後悔するだけでは済まないだろう。


 呆然と見つめていると、力が抜けた肩にデルセクタのごつくて大きな手のひらが触れた。


「兎に角、レームが到着したら診断してもらう。それまで私たちに出来ることは何もない」


「……はい」


 デルセクタの手は熱量を持っており、触れられている箇所が暖かくなると同時に力を分け与えられているようだった。


「お主はよくやった」


「そうでしょうか」


「あぁ、私が保証する。それから、お主も疲れただろう。椅子にでも座って休むとよい」


 誰よりも早くダールがテーブルに近付き、一脚の椅子を持ち上げるとブレッグの真後ろまで運んだ。


 入り口付近で立っている騎士たちも動こうとするが、彼らが一歩を踏み出す時には運び終わっていた。


「さぁ。遠慮せず」


 ダールから椅子に座るようにとジェスチャーされる。


「……では」


 腰を下ろしたブレッグは一息つく。


 そして、レームという名の人物が到着するのを無言で待ち続ける。


 男ばかり――いや、屈強な男ばかりいる部屋の温度と湿度は異様なほど高く、額から流れ出た汗をブレッグが拭ったとき、入口の方から涼しげな女性の声が聞こえてきた。


「すみませーん! 入りまーす!」


 騎士たちの隙間を縫うように入ってきたのは、大きくて角張った鞄を持った女性だ。


 鞄が誰かの脚に当たったのだろう。小さな悲鳴が漏れるが、お構いなしにつかつかとフィオラに近付く。


「患者はこの人ですか?」


「そうだ。魔力の消耗が原因だそうだが、詳しくはわからん。診てくれ」


「わかりました。ですがその前に、この部屋は暑すぎて患者によくありません」


 『何もしない奴は出ていけ』ということを遠回しに言ったのだろう。


 デルセクタが騎士たちに向かって視線を送ると、彼らは返事をするように頷き速やかに部屋から出て行った。


 人が減ったことで夜風が部屋を吹き抜けるようになり、汗で濡れた肌に当たって冷やりとする。


「これでやっと呼吸ができる」


 ぶつくさ言いながらレームは鞄を開け、いくつかの道具を取り出す。


 人生で一度も医者に診てもらったことがないブレッグには、それらの道具の使い方なんて想像もできない。


 庶民が病に罹ったとき、診察するのはその村の村長が通例だ。


 医者という職業が存在することは知っていたが、何をするのかは知らなかった。


 レームはフィオラの瞼を開けてライトを当てたり、手首に触れて何かを確認したりしている。


 非常に手際が良く、診断結果はすぐに出た。

 

「特に異常はなさそう。身体は健康そのものよ」


「……よかった」


 安堵したブレッグは胸を撫で下ろす。


 そんな中、気を抜かずに張り詰めた雰囲気の人物が一人。


「フィオライン様が褪色者であることを考慮に入れた上での判断か?」


「答えにくいですね。実在する褪色者の数が少ないため、関連する書物も少ないんです。だから、絶対に大丈夫とは言い切れませんね」


「……そうか」


「ですが、褪色者とは言っても人間です。何か異常があったら身体に現れるはずですから、今は見守っていればいいと思います」


 デルセクタの存在感に物怖じすることなく、レームは自分の意見をきっぱりと伝える。


 自信に満ちているレームの態度に、彼女に任せることが最善であるようにブレッグは思った。


「では、今夜は付き添っていてくれ」


「承知しました」


 レームはぺこりと頭を下げて命令を承諾したあと、鞄を開けて何かを探し出す。


「魔力の回復を促進させる薬を調合するから、誰か水を汲んできてもらえる?」


 再びダールの出番だ。レームが言い終わるやいなや即座に小屋を飛び出して行った。


「流石、ダールね。行動が早いのは良いことだわ」


「隊長というのは率先して行動できなければならん。部下に指示を出しているだけの上司には誰も命を預けようとは思わんからな」


「だから若いのに出世できたのね」


「私の鍛え上げ方がよかったというのもある」


「そう?」


 自我を見せたデルセクタにレームは軽く笑う。


 二人が会話をしている間も、レームは手を動かし続けていた。


 乾燥した花や、根っこ、さらには動物の角らしきものなど一つの器に入れて磨り潰している。


 ブレッグがその作業をじっと見つめていると、レームが視線に気付いたようだ。


「珍しい?」


「あー、医者の仕事って見たことがないから」


「そうなんだ。私は医者じゃなくて薬学師だけどね。まぁ、医者のようなこともするんだけど」


「……薬学師?」


「あまり聞かない職業よね。魔物や魔草を使って薬を作るの。ほら、毒は薬にもなるでしょ」


「ふーん……ん?」


 ブレッグはあることを思い出す。


 お昼ごろ、魔物の肉をステーキにしてフィオラに食べさせていたのだ。


 レームの話を要約すると魔物の素材は毒素を含んでいるということである。


 大きな間違いを犯してしまったのではないかと、ブレッグの内心は焦り出す。


「もしかして、魔物の肉を食べたりした?」


 思考を見透かされているかのように言い当てられ、驚きからびくりと身体を震わせる。


「食べました……というか、フィオラにも食べさせました」


 素直に自白した。


 嘘をついて黙っていたばかりに、フィオラが命の危機に晒されてしまっては最悪だ。


 深刻な面持ちのブレッグに対し、レームは怒るでも問い詰めるでもなく、ただ真っ直ぐ見つめていた。


「臓器は食べさせてないんでしょ?」


「それは……はい」


「なら大丈夫。肉を食べただけなら大した影響はないわ。仮に影響があったとしても、身体がぽかぽかする程度。むしろ――」


 レームは手を動かしながら話を続ける。


 すり鉢状の器に入れられた素材たちは粉になっていたが、されに細かく磨り潰され続ける。


「今回は食べていてよかったわ。魔物の肉には魔素が含まれているから、魔力を使う前や使った後に食べると身体にいいの。グッジョブよ」


「……そっか」


 レームの言葉にブレッグは救われる。


 それと同時に、無知というのは恐ろしいものでもあると実感し、これからは軽はずみな行動は慎もうと心の中で誓う。


 そのとき、巨大な水瓶を両手で抱えたダールが小屋に戻ってきた。


「遅くなりました!」


 そんなに大量の水をフィオラが飲むとは思えないが、ダールの誠実さが水瓶に現れたのだろう。


 デルセクタは額を手で押さえて溜息をつくが、レームはにっこりと笑って迎え入れた。


「ありがとう。重そうだからここまで持ってきて」


「もちろん」


 ドスンという重い音と共に水瓶が下ろされる。


 これだけ水があれば暫くは水に困らないだろう。


 レームは鞄から取り出した新しい器を柄杓代わりにして、なみなみに注がれた新鮮な水を汲み取る。


 そして、磨り潰し終わった粉と水を混ぜ合わせ、眠ったまま動かないフィオラの口に少しずつ流し込んだ。


「よし、あとは様子をみましょう。そうだ、あなたも怪我をしているところがあれば診るけど」


 フィオラの治療が終わったレームは振り返り、ブレッグに話しかける。


 この小屋には光源がランプ一つしかなく、怪我をした腕は影になっていてレームから見えにくくなっていた。


 自分の怪我は命に別条がないからブレッグは黙っていたが、痛み止めの薬を貰うだけでもいいから治療して欲しかった。


「それなら……この腕と胸の怪我を診て欲しいんだけど」


 火傷と骨折でぐちゃぐちゃになった腕を見たレームは顔が引き攣る。




 **********************************




「……もっと早く言ってよ。どう考えてもこっちが最優先でしょ」


 レームはブレッグの腕に包帯を巻きながら憤りを吐き出す。


 ブレッグに言っているのか、それともデルセクタとダールに言っているのかはわからない。


 しかし、黙っていたのはブレッグ本人であるため、ここは代表して謝罪する。


「ごめん」


「いいけど。それから、今塗った薬、かなり強力なやつだから油断しないで。身体に異変を感じたらすぐに私に言うのよ」


「……はい」


 意気消沈したブレッグは覇気のない声で答えた。


「とりあえず、これで終わり。胸の傷は肋骨が折れていたから、注意しながら生活するのよ。折れた骨が心臓に刺さったら助けられないからね」


「……わかりました」


 レームの説明は全くもってその通りだった。


 なんだか気まずくなったブレッグは二人の騎士に視線で助けを求める。


 デルセクタと目が合い、察してくれた様子の彼はレームに近付く。


「レームよ。ご苦労だった」


「……いえ。これが仕事なので」


「そうか。だが、良い仕事をしてくれた」


「ありがとうございます」


 レームの機嫌が少し良くなったところで、デルセクタはこの場にいる全員に向かって話しかける。


「さて、夜もだいぶ更けてきた。今夜はここらへんで解散しよう」


「そうですね。少し眠くなってきましたし」


 レームは口元を手で隠しながら大きく欠伸をする。


 ダールは何も喋らないが瞳を閉じてしっかりと頷いた。


 ブレッグはデルセクタから視線を向けられていることに気付き、急いで頷いて同意を示す。


「では、私とレームはフィオライン様を護衛し、ダールはブレッグの護衛だ」


「承知しました」


 眠気など微塵も感じさせないきりっとした声でダールは返事する。


「もしかして、私も寝れない感じですか?」


「今夜は私が見張りをしておくから、レームは寝ていてもよい」


「助かったぁ」


「シオンがいつ襲撃してくるかもわからないのに、寝ようとする神経が理解できん」


「私は騎士じゃないので。それに、寝れるときに寝ておかないと、翌日の仕事に影響しますから」


 デルセクタのぼやきを躱したレームは鞄から出した諸々を片付け始める。


「……あ」


 大切なことを話し忘れていたブレッグは、解散しようとする雰囲気の中、話を切り出す。


「傷が痛む?」


「そうじゃなくて……シオンのことなんですが、フィオラと一緒に倒しました」


「ブレッグ殿が……シオンを……倒した?」


「いやいや! ほとんどフィオラが頑張っていて、自分はあまり役に立っていなかったです」


 ダールの勘違いをブレッグは急いで修正する。


「そうなのか。でも、たった二人でシオンを討伐するとは……凄いな!」


 褒められることに慣れていないブレッグは自分の髪の毛をいじって照れ隠しをする。


 もじもじしているブレッグの背中をダールは叩く。


 本人は軽く押した程度のつもりかもしれないが、疲労困憊のブレッグはバランスを崩して前屈みになった。


「おっと、すまない」


 叩いた張本人に肩を支えられ態勢を取り戻す。


「だが、もっと堂々として欲しい。本当は我が隊を総員して討伐するはずだったんだ」


「やっぱり。そのためにこの村に軍隊がいたんですね」


 ダールは頷き、肯定する。


「自分で言うのも恥ずかしいが、我々は選りすぐりの精鋭で構成された騎士隊なんだ。それこそ、普通の兵士や冒険者では歯が立たないような魔物を討伐したりもする」


「つまり……」


「それほどの強敵を倒したフィオライン様は英雄ということさ。当然、ブレッグ殿も英雄だ」


「英雄だなんて」


 ダールは白くて歯並びの良い歯をみせ、爽やかに笑う。


「尊敬する」


「あー……ははは……ありがとう」


 年上の、それも若くして隊長になるほど周囲の人たちから頼りにされているダールから褒められ、今までの苦労や苦痛が少し報われたような気がした。


「ダールの言う通りだ。感謝する」


 そう話すデルセクタの表情はどこか固く見えた。


 ダールと比較すると余計に。


「まずは、今までの経緯を詳しく聞かせてくれんか?」


「はい」


 浮かれていた気持ちを静め、フィオラとの出会いから淡々と説明を始めた。




 **********************************




「ふむ。納得した」


 腕を組んで話を聞いていたデルセクタは目を閉じて数回頷く。


 自分の話を信じてもらえたことにブレッグは安心する。


「水、飲む?」


「あ、いただきます」


 レームから水の入ったコップを差し出され、一気に飲み干す。


 たった一日分の話だが、あまりに多くの出来事があり、最後の方は喉が枯れていた。


「その継ぎ接ぎの男というのが気になるな。今夜はこのまま警戒を続け、日が昇ったら捜索に出るとしよう」


「ありがとうございます」


「よい。我々は民を守るために行動しているだけだ」


 頭を下げようとしたブレッグはデルセクタによって制止される。


「それでは、今度こそ解散としよう。ダール。ブレッグを送ってくれ」


「はい!」


 椅子から立ち上がろうとするブレッグをダールは支える。


「ありがとう、でも大丈夫」


「そうか」


 ブレッグから離れたダールは小屋の扉に近付き、ブレッグが来るまで扉を開きっぱなしにしてくれた。


 エスコートされている女性のように扱われているブレッグは恥ずかしさから苦笑する。


 ブレッグが小屋から出ようとしたとき、背後からレームの声が聞こえた。


「おやすみー」


「おやすみなさい」


 振り返ってブレッグが挨拶を返すと、デルセクタとも目が合う。


「今夜はゆっくり休んでくれ」


「はい」


 軽く一礼してから小屋を出る。


 当然、扉はダールが閉めた。




 窓を閉めたレームはフィオラに近付き、いまも眠り続けていることを確認する。


「それで、さっきの話を信じるの?」


 ブレッグとダールがいなくなった後も会話は続いていた。


 レームの問いかけに対し、デルセクタは険しい表情を見せる。


「信じる。だが、討ち漏らした可能性はあり得る。やつがそう簡単に死ぬとは思えん」


「でしょうね。ただまぁ、あなたが死ぬ必要はなくなったみたいだし、よかったじゃない」


 デルセクタは閉められた窓から夜空を眺め、溜息を一つ。


「……お主と一緒にいると隠し事もできんのか」


「バレバレよ。シオンの討伐が不可能であることを見通して人選したでしょ。五十名近く死者を出したあと、原色機関に褪色者を多数派遣するよう圧力をかけるシナリオだったのよね」


「そうだ。シオンによって国が蹂躙されているにも拘わらず、機関は人員不足を理由に重い腰を上げようとしないからな」


「えぇ」


 レームは乾いた清潔な布を水で濡らし、フィオラの顔を拭きながら相槌を打つ。


「だが、お主とダールだけは必ず逃がすつもりだった。信じてくれるか?」


「もちろんよ。私たちはあなたの後継者だってことも自覚しているわ」


「助かる……それにしても、このような展開になるとは予想していなかった」


 フィオラの腕を拭いていたレームの手が止まり、窓ガラスに反射したデルセクタへ視線を向ける。


「そんなにシオンという人物は強いの? フィオライン様もシオンも同じ褪色者なんでしょ」


「……フィオライン様は常人とは比肩できないほどの才をお持ちになっておられる。しかし、それでもシオンは別格だ」


 レームは生唾を飲み込む。


「もし、フィオライン様が一人で戦っていたら?」


「口にするのも心苦しいが、何百回戦おうとも勝てることはないだろう」


「……そういうこと。何をすればいいか理解したわ。ブレッグから目を離さなければいいのよね?」


「そうだ。ダールもこのくらい察しが良ければ、すぐに元帥へと昇進させられるのだが」


「あはは。無理よ。幼馴染の私が保証するわ」


 夜空を見上げながら、デルセクタは再び溜息をつく。




 **********************************




「本当に寝なくていいんですか?」


 ベッドに腰かけたブレッグは、床に座り込んで壁にもたれ掛かっているダールに話しかける。


「気にするな。それに、敬語も使わなくていい」


「いや、でも……」


「俺が受けた命令はブレッグ殿の護衛だ。寝ていたら護衛なんてできないだろ?」


 ダールの発言にブレッグは小さな引っ掛かりを覚える。


「その……こっちも普通に喋るからさ、そっちも普通に読んで欲しいかな。殿を付けて呼ばれるのも変な気分なんだけど」


「そうか? 世界を救った英雄に対して礼節を欠いては騎士の名に恥じよう」


「世界を救ったって……大きく出たな。本物の英雄はフィオラだけだよ」


「……わかった。そういうことにしておく。だが、俺がブレッグを尊敬していることに変わりはない」


 自分より恐らく年上の相手に褒め称えられ、ブレッグはぎこちない笑顔を浮かべた。


「明かりは消すか?」


「ええっと」


 部屋の中央に置かれた古びた丸机。


 その上に釣り目の犬の紋様が刻み込まれたランタンがおかれている。


 透明感のある厚いガラスの中から淡い光が部屋を照らす。


「……いや、そのままで」


 光源を見つめているブレッグの心に芽生えていたのは恐怖心だ。


 暗闇と死を連想してしまい、まるで子供のように明かりを消すことを恐れていた。


 そんなブレッグをダールは茶化すでもなく、『わかった』とだけ返す。


 ブレッグは瞳を閉じて寝ようとするが、眠気は全くなかった。


 身体は限界まで酷使され疲れ切っているのに、脳がそれを許さない。


 仕方なしに天井の木目をぼーっと眺める。


「眠れないか?」


「うん」


「それなら一つだけ聞きたいことがあるのだが……」


「一つと言わずいくつでも、喜んで答えるよ」


 むしろ話し相手が欲しかったのはブレッグの方かもしれない。


 絶対安静を言い渡されていたため、身体をベッドに預けたまま首だけをダールへ向ける。


「シオンとはどんな人物だったんだ? 人の命を軽んずる悪逆非道な凶徒か? それとも――」


「いや、妹想いのただのお姉さんだったよ」


「どういう意味だ?」


「言葉の通り。フィオラを助けるためにシオンも奮闘していたんだ」


 ダールの視点では理解できないように、わざと要領得ない説明をした。


 姉妹のプライバシーをブレッグは守りたかったのだ。


 言葉の意味を理解しようとダールはこめかみを人差し指で押さえ思慮を重ねる。


 が、あっさりと諦めブレッグと視線を交えた。


「つまり、シオンにも使命があったということか。強かっただろ。そういう人間は」


「もちろん強かったけど……」


「説明が悪かった。俺が言いたかったのは精神的な強さの話だ」


 ダールは籠手を着けたまま鞘に納まった剣を持ち上げ、じっと見つめていた。


「人は獣と違ってな、どんな怪我を負おうが、どれだけ大きな危険を犯そうが、強靭な精神を持つ者はそれでも前へと進めるんだ。だから、市民を守ろうとする騎士は人一倍強くなれるし、妹のために戦うシオンは誰にも止められなかったのだろ」


 その言葉の意味をブレッグは痛いほどよくわかる。


 何度切り付けられようとも、前へ前へと走り続けていたシオンの姿が瞼の裏に浮かぶ。


「本当に強かったよ。本当に、この程度の怪我で済んだのは奇跡としか言いようがない」


 一拍おいてから返答したダールの言葉に、ブレッグは驚く。


「……奇跡ではない」


 火炎のように赤い瞳には何か熱いものが宿っていた。


「一国が総力を挙げないと止められないほどの強敵に対して、ブレッグは正面から向き合ったんだ。精神的な強さはシオンに負けていない」


 ダールがブレッグのことを英雄と評する理由が理解できた。


「それから、シオンとの戦闘について詳しく聞かせてもらえないか?」


「聞きたいことは一つじゃなかったんだな」


「あれは怪我人に対して遠慮していただけだ。それで、どんな魔法を使っていたんだ? 炎か、水か、はたまた雷か」


 食い気味に聞いてくるダールからは騎士特有の堅苦しさが消えていた。


 幾分か話しやすくなったブレッグは少しだけ得意げに答える。


「使っていた魔法はたった一つ。肉体強化だ」


「肉体強化?」


 ここから先、ブレッグは質問攻めにあう。


 好奇心が尽きない様子のダールは男子のように赤い瞳を輝かせ、質問の答えに毎回大きく驚くのだった。



 

 **********************************




 ブレッグは目を覚ます。


 部屋に差し込んだ陽光が朝を知らせていた。


 白みを帯びた眩しい光が瞳の開ききっていないブレッグの顔を照らす。


「いつの間にか寝ていたのか」


 左目は瞑り、僅かに開いた右目で部屋を見渡した。


 ダールの姿はなく、ランタンの明かりも消されていた。


 寝ていても仕方がないと思ったブレッグは上体を起こす。


「いたたた……」


 怪我に気を使いゆっくりと身体を動かしたつもりだったが、それでも予想以上の痛みに襲われた。


 しかし、痛みを正常に感じ取れるということは、身体の機能が回復しているという意味でもある。


「とりあえず、水だな」


 強烈な渇きを覚えたブレッグはベッドから出ようとする。


 どこへ行けば水を貰えるかわからないが、村に駐在している騎士に話しかけてみれば教えてもらえるかもしれない。


 そのとき、小屋の扉が勢いよく開け放たれた。


 そこにいたのは息を切らした様子のダール。


「起きていたか」


 ただ事ではない雰囲気に、喉の渇きなんか忘れてダールの言葉を待つ。


 一呼吸置き、肺に空気を取り入れたダールは告げる。


「フィオライン様が目を覚ました」


「本当か……容態は?」


「わからないが、見た限りでは問題なさそうだ。今はレームが診断している」


「よかった……」


 ほっとした拍子に肩から力が抜ける。


 絶望的なあの状況から二人とも生還できたのだ。


 逸る気持ちを押さえ、ダールに状況を確認する。


「昨日と同じ小屋にいるんだよな」


 ダールは頷く。


「会いに行くよな?」


「当然」


「わかった。だがその前に……顔を洗ったらどうだ?」


 ブレッグが怪訝な表情を見せると、ダールは濡れた手拭を手渡す。


「顔くらい綺麗にした方がいい。それに、早く行ってもレームの診断を邪魔するだけだ」


 一理あるが、そんな呑気なことをしている気分でもない。


 しかし、通せんぼするように立ちはだかるダールを見て、ブレッグは観念する。


 灰のような色をした薄汚れた布を顔に近付ける。


 清潔な水でしっかりと洗われていたためか、嫌な臭いはしない。


 顔を拭うと手拭はすぐに黒ずんだ。


 朝だから顔が汚れていたというだけではなかったらしい。


「ついでに水浴びもするか?」


「……そうする」


 立ち上がったブレッグは井戸へと案内された。




 **********************************




 黒い髪を濡らし、水を滴らせながらブレッグはダールの後ろをついて行く。


 昨日の夜にフィオラが眠っていた小屋が視界に入ると、扉の前で見張りをしていた二人の騎士がこちらに気付き背筋を正す。


「昨夜から寝ていないんだろ。楽な姿勢でいてくれ」


 ダールは労いの言葉をかけると。一人の騎士が『これが私たちの役割ですから』と言いながら扉を少しだけ開ける。


「ダール隊長が戻られました」


「入れ」


 扉の隙間からデルセクタのしゃがれた声が聞こえる。


 彼もまた昨夜から寝ていないはずだが、声色からは疲労を全く感じさせない。


「失礼します」


 室内へ入っていくダールにブレッグも続く。


 そして――


「おはよう。ブレッグ」


 ベッドの上で壁にもたれ掛かっていたフィオラは小さく手を振る。


 幻や幻覚ではない。


 全てを包み込むような優しい微笑みは紛れもなく彼女だ。


 見違えるように顔色の良くなったフィオラの様子に、ブレッグの表情は和らいだ。


「あぁ……おはよう」


 互いの様子を確認するように視線を交わす。


「その、もう体調は大丈夫なのか?」


「なんともないわ。ただ、疲れすぎて寝ていただけよ」


 気絶といった方が正しいように思ったブレッグだったが、本人がそう言うのであればそういうことにしておくのが正解だろう。


「それより、ブレッグの怪我は大丈夫なの?」


「レームに治療してもらったから……」


 ベッドの隣に置かれた椅子に座っているレームに目配せする。


「程度はかなり酷かったのですが、安静にしていれば元の生活を送れるようになりますよ」


「そう……よかった」


 フィオラは胸を撫で下ろす。


 ブレッグはレームの言葉の意味を振り返り、不穏な単語が含まれていたことに若干焦る。


 ――後遺症が残る可能性もあったってことだよな。


 右手の動きがぎこちなくなったとしても、ブレッグは昨日の出来事を後悔することはない。


 ただ、適切な治療を施してもらえたレームに対して、ブレッグは心の中でより深く感謝するのだった。


「ブレッグ……」


 フィオラはベッドの上に座ったまま、両手を太腿の上に置く。


 笑顔は消え、いつも以上に真面目な表情でブレッグを真っ直ぐ見つめていた。


「あなたがいなかったら彼女の凶行を止めることは出来なかった。本当に……ありがとう」


 頭を下げるフィオラにブレッグは近づき、そっと肩に触れる。


「感謝しないといけないのはこっちの方さ。フィオラがいなかった俺も村人もみんな死んでいたんだ」

 

「そう……かな。でも、ちゃんと謝らせて欲しいこともあるの」


「シオンのことだろ」


 言い当てられたフィオラは目を伏せる。


「えぇ、もっと早い段階で止められていれば、これだけ多くの犠牲者を出さないで済んだわ。今思い返せば兆候はあったのよ。だけど……何もできなかった」


 フィオラがシオンを慕っていた気持ちは本物だ。


 だからこそ、縁を切ろうと思っても完全に断つことは難しく、シオンが犯した罪に対して責任を感じてしまうのだろう。


 それはまるで血の繋がった本物の家族のように。


「その通りだけど、フィオラに責任はないよ」


「……でも」


「起こってしまったことは変えられないんだ。責任を感じているなら、しばらくこの村に滞在して、手助けをしたらいいんじゃないか?」


「うん……」


 小さくうなずくが、はっきりとしない様子のフィオラに、ブレッグは戸惑う。


 口下手な彼はどんな言葉で慰めればよいかわからなかった。


 すると、今まで沈黙していたデルセクタが口を開く。


「フィオライン様。多くの犠牲者を出してしまった責任は私たちにもあります。ですから、あまり思い詰めないよう」


「……わかりました」


 まだフィオラは釈然としないようだが、それでも自分の役割を見出し、前に進もうとする意志が琥珀色の瞳に宿った。


「それでは、私たちは件の男とシオンの死体を捜索してまいります」


 デルセクタはフィオラに向かって深々と頭を下げる。


 件の男とは継ぎ接ぎ男のことを指しているに違い。


 昨夜の話では、日が昇ったら捜索に出掛けることになっていた。


「お願いします。死体は風に攫われてしまったかもしれませんが、衣服は残っているはずです」


「承知しました。……ダール」


「はっ!」


 元気よく返事したダールにデルセクタは指示する。


「お主とレームはフィオライン様とブレッグ殿に付き添っていてくれ。兵は半数ほど残しておくから、墓の用意も頼む」


「はっ!!」


 先程よりもさらに力強く返事する。


 ダールに任せれば万事が上手くいくと思ったに違いない。


 デルセクタはフィオラに向かってもう一度お辞儀をすると、小屋から出て行った。




 **********************************




 デルセクタを除いた四人は村の一角にある墓地を訪れていた。


 一つとして同じ墓標のない手作り感満載の墓が一行の視界に入る。


 そこら中に雑草が生えているが、道や墓標の周辺の雑草は刈り取られていることから、きちんと管理されていることが伺える。


「本当に手伝ってもらっていいんですか?」


 後方を歩いているフィオラに向かい合い、レームは問いかける。


「いいの。私も、何か役に立ちたいから。それに部屋の中でじっとしているのも苦手だし」


 デルセクタが小屋を出た数分後、ダールは部下に指示を出しに行こうとした。


 そのとき、フィオラが手伝いたいと申し出たのである。


 結果、人手はあるに越したことはなく、騎士は護衛対象の近くにいた方が良いという結論に至った。


「体調に異変を感じたらすぐに教えてくださいね。ブレッグも」


「もちろん、そうするよ」


 と返事をしたブレッグは、レームの視線が自分の傷へと移っていることに気付く。


「本当は、小屋で安静にしていた方が良かったんだけど」


「継ぎ接ぎ男がどこかに潜伏しているかもしれない以上、一緒に行動した方が安全だって話をしただろ」


 レームのぼやきをダールが窘めた。


「わかってる。さっきのは薬学師としてのただの意見よ」


 冷たく言い返してはいるが、仲が悪いわけでもなさそうだ。


 道を歩く二人の距離間は、少しだけ近いように見えた。


 墓地に入って少ししたところで、鎧を着込んだ騎士数名と、村人二人が話し合いをしている現場に遭遇する。


 両者とも睡眠をとっていないのか、目の下にくまを作りながらも話し合いを進めていた。


「少し話を聞いてきますので、ここでお待ちください」


 そう言ってダールが離れていくと、レームも彼の後ろをついて行った。


 フィオラとブレッグは取り残される。


 二人きりになってしまったブレッグは慌てて話題を考える。


 聞きたいことは山のように沢山あったが、まずはこれだ。


「フィオラは魔力を回復できたのか」


「うーん、まだ全回復って感じではないけど、だいぶ元気になったわ。心配しないで、墓石くらいなら持ち運べると思う」


「墓石か……」


 仮にブレッグが万全の状態だったとしても、持ち運べる自信はない。


 身体強化の魔法の偉大さを思い知る。


「俺も魔法で身体を強化出来たらなぁ」


「えっと、出来ないの? 魔法の中でも基本的な部類に含まれていると思うけど」


 ブレッグ目を閉じては首を横に振る。


「魔法は独学で覚えたから、知らないことだらけだよ」


 何が基本で、何が発展なのか。魔法使いとは何を学ぶべきで、何を成すべきなのか。


 師を持つことのなかったブレッグは何も知らない。


「それなら、今度教えてあげるわ。魔法の基礎知識」


「え?」


 フィオラの提案に驚愕し、思わず目を見張る。


 というのも――


「忙しいんじゃないのか? 確かそんな話をしてた気が」


「そうね。忙しかった。でも、私の役目はもう終わったから」


 シオンを止めることが出来た今、これから先の予定が全て空いたということをブレッグは察する。


「……いいのか?」


「ええ、もちろん。それに、これからはしばらく休むつもりだったのよ。時間はたっぶりあるから、ブレッグが知りたいことなら何でも教えてあげられるわ」


 ブレッグは嬉しさから鼓動が早まるも、フィオラの言葉に心がざわついた。


「それって……」


 思い浮かんだ単語は『余生』。


 死期を悟った老人が心の休まる場所でその時を迎えようとしているようだ。


 フィオラは目を細めながら首をかしげる。


「なに?」


「……お金、かかる? 魔法を教えてもらうのに」


「かからない、けど。そんなこと気にしてたの?」


「まぁ、一応」


「ふふふ、そっか。安心して、一銭も取らないわ。いえ、逆にお金を渡さないといけないわね」


 予想外の言葉に今度はブレッグが首をかしげる。


「ん? どうして?」


「私と一緒にシオンを止めてくれたでしょ。機関に報告すれば、それなりの報酬が貰えるはずよ」


「金ならあまり困ってないから、貰わなくても……」


「貰っておいたら。私の授業料は高いかもしれないわ」


 フィオラは小悪魔のように意地悪な笑みを浮かべている。


「金は取らないって、さっき言ってただろ」


「時価よ」


「……嘘だろ」


 今は無料でも、今後は有料になるかもしれない。


 確実に冗談であることはわかっているが、要するにフィオラは金を受け取らせたいのだ。


「じゃあ、ありがたく貰います。授業料に無くなるかもしれないけど」


「うん、懸命な判断ね」


 そのとき、湿気を含んだ冷たい風が吹く。


 日が昇ってから大して時間が経っていないため、肌寒く感じる。


 しかし、寝起きのブレッグにとってはどこか心地よい冷気だった。


 フィオラへと視線を送ると、彼女は朝焼けが残っている少し赤い空を見つめていた。


「何を考えているんだ?」


 大人びたフィオラの横顔に、思わず問いかけてしまう。


 唇の隙間からふぅと息を吐き出し、ブレッグの質問に答える。


「機関に所属するようになってから初めての休暇だから、何をして過ごそうかなって。というか、この世界に生まれてから、やるべきことが多すぎてまともに休んだことがないかも」


「フィオラは子供の時も働いてたのか?」


「孤児院にいたからね。子守に家事、今ほどではないけど忙しかった」


「……凄いな」


 金が無くなれば働き、金が貯まれば休むのが一般的な生活だ。


 一生の中で一度も休んだことがない人物はフィオラくらいだろう。


 前世の記憶を持っていたために、幼い頃から大人に気を使ってしまったのかもしれない。


 ブレッグが冒険者として苦しいながらも生計を立てていたときですら休暇はあった。


 大きい仕事を片付けた翌日は惰眠を貪り、陽が傾き始めてから行きつけの店で食事をとっていたものだ。


「ちなみに、風邪を引いたら?」


「いつも以上に身体強化の魔法を重ね掛けするだけ。そうね、最後の休暇は前世まで遡ることになるかしら」


「過労で倒れなかったのは魔法のおかげよ」


「魔法のせいで休暇がもらえなかったんじゃ……」


「確かにそうかも」


 ふふっと笑って済ませることが出来るフィオラの精神をブレッグは見習おうと思う。


「フィオライン様」


 声のする方へ視線を向けるとダールが小走りで近づいてきていた。


 レームはその後ろをゆっくり歩いている。


「隊の者たちから事情を聴いてまいりました」


 ダールは立ち止まると、上司に報告するようにフィオラへ一礼した。


 眉間に皺を寄せた彼の重い表情から、何らかの障害が発生していることは明らかである。


「何かあったんですか?」


「それが……埋葬するための棺桶が足りていないようでして。穴を掘ればよいとばかり思っていた私が浅はかでした」


「今から作るってことか?」


 ブレッグの質問にダールは首を横に振る。


「木材も足りないから、まずは伐採から始める必要がある」


「なるほど」


 山に囲まれたこの村では、樹木ならそこら辺にいくらでもある。


 しかし、伐採から運搬、加工までやるとなると、かなりの手間がかかるはずだ。


「家族とかは一つの棺桶に入れるしかないんじゃない?」


 そう提案したのは、今も歩きながら少しずつ近づいてきているレームだ。


「最悪の場合はそうするつもりだ。ただ、出来るだけ村人たちの要望には応えたい気持ちもある」


「日没までに間に合うの?」


「わからない。が、出来るだけのことはやりたい」


「ふーん。まぁ、私はどっちでもいいけど」


「あの……」


 立場が一番上であるはずのフィオラがおずおずと声を発する。


「どうしました?」


「実は私、木材の椅子とかを魔法で作ること出来るんです。たぶん、棺桶も大きさとかを指定してもらえば作れると思います」


 稲妻にでも打たれたかのようにダールは驚く。


「い、いいんですか? そんなことをしてもらって」


「はい。消費する魔力も微々たるものですから、全く問題ありません」


「ありがとうございます!」


「詳しい話を聞きたいので、村の皆さんに会わせてもらえますか?」


「もちろんです! こちらへ!」


 ダールが村人たちの方へと戻っていくとき、フィオラは振り向きブレッグへとにっこり笑いかける。


 ついに、フィオラが村へ貢献できる機会が訪れたのだ。




 **********************************




「なぁ、俺たちはいつまでこうしていればいいんだ?」


 膝を抱えて体育座りをした騎士Aが呟くと、同じ格好をした騎士Bが答える。


「人手が必要になって呼ばれるまでじゃないか?」


「いやいや、あの状況で人手が足りないことなんでないだろ」


 つっこみを入れた騎士Aは、せっせと働く樹木達を指さす。


 軽く数えても二十本はある樹木達が、互いに連携しながら死者の埋葬を進めていいた。


 ある者はスコップと器用に操って墓を掘り、またある者は棺桶を運び、さらにある者は棺桶の材料となるため切り出されやすいように寝転がっている。


 肝心のフィオラはというと、樹木の枝――肩のような場所に座り監督をしていた。


 呆然としている騎士と同じく、樹木達の作業風景を見つめていたブレッグは背後から声を掛けられる。


「凄まじいな。フィオライン様は」


 重低音でありながら若さの残っている声はダールのものである。


「本気の彼女はもっと凄かったよ」


「……想像もつかんな。今でさえ、騎士数十人分の作業をたった一人でこなしてしまっているのに」


「俺もそう思う」


「一番凄かった魔法を聞いてもいいか?」


 樹木達の作業を見つめながら、少し考える。


「それは、クリスタの召喚かな」


 『ほぅ』と呟いたダールは眉を上げた。


「俺もクリスタについてはよく知らないんだけど、龍というか、魔物というか。とにかく大きくて力強い生き物なんだ」


「あの樹木達よりもか?」


 ブレッグはこくりと頷く。


「クリスタはあれよりもっと太い樹木を根元から圧し折って、軽々しくぶん投げてたよ」


「どんな戦闘なんだ……」


「シオンとフィオラの殺し合いを言い表すなら『苛烈』って感じだった。規格外の力で互いの命を奪い合うんだ。本当に、恐ろしかったよ」


 その話を聞いたダールは顎に手を添えて何かを考える。


「この村を訪れたとき、粉々になった民家があったが、あれは戦闘の形跡たっだということか。やはり……我々の隊がシオンと出会わずに済んだことは幸運だった」


 シオンと騎士隊が衝突していたら、さらなる犠牲者を出していたことだろう。


 そう考えれば、ブレッグが負った重傷も安いものかもしれない。


「うーむ。聞けば聞くほど疑問になるんだが、ブレッグとフィオライン様はどういった関係なんだ?」


 ダールの問いかけにブレッグは即答できなかった。


 少し悩んでから答えを出す。


「……友達?」


「――なぜ俺に聞き返す」


「フィオラが俺のことをどう思っているかわからないからさ。俺は友達だと思ってるけど、向こうからしたらただの知り合いかも」


「そんなことはないだろ。俺から見ても、二人は恋人同士ではないかと思っていたくらいなんだ」


「茶化さないでくれよ」


「そうか? 俺たちみたいないつ死んでもおかしくない人間は、いつでも自分に正直に生きているんだ。ブレッグもそうなれと言いたいわけではないが、後悔はするなよ」


 褪色者であるフィオラは短命であることを暗示しているのだ。


 しかし、だからといって、恋人になりたいというと微妙なところだった。


 今はまだ答えを出すことの出来ないブレッグだが、ダールの親切心は素直に受け止めることにする。


「わかったよ。ところで、やけにフィオラのことを詳しく聞きたがるけど、何か理由でも?」


「あー、なんだ」


 最初は口籠るダールだったが、やがて開き直る。


「実は、どこかでフィオライン様の名前を聞いたことがある気がしてな。かなり昔な気がするんだが」


「へぇ、それなら直接聞いてみたらいいじゃないか」


「いやいや、恐れ多いことを言うな」


 表情に焦りが現れているダールにブレッグは笑う。


「大丈夫だって。昔の話を聞いたくらいで怒ったりなんかしないから」


 二人が騒がしくしたせいか、樹木の肩に座っていたフィオラは振り向き、ブレッグと目が合う。


「フィオラー! ちょっといいか?」


「あ、おい!」


 小声で叫んでいる騎士を無視して、ブレッグは手を大きく振る。


 樹木から飛び降りたフィオラは歩いて近づいてくる。


 一歩近づくたびに、ダールの顔から血の気が引いていってるようだった。


「どうしたの?」


「フィオラの過去の話を聞いてみたくなったんだ。というのも、ダールはフィオラの名前をどこかで聞いたことがあるみたいで」


「私の過去?」


 フィオラが唇に指を当てて考えているとき、恐る恐るダールが話しかける。


「あのー、作業の邪魔をしてませんか?」


「大丈夫よ。残りはあの子たちが全部やってくれるから」


 フィオラの優しい微笑みに安堵したのか、強張っていたダールの表情も解れていく。


 そして、人差し指をピンと立てたフィオラは答えを導きだしたようだ。


「たぶんあれね。昔、私も軍に所属していたことがあったからよ。これでも一応は元帥だったの」


「「え?」」


 予想外の過去に、ブレッグとダールは驚きを隠せなかった。


「私が元帥になったとき、同じく元帥だったデルセクタさんと出会ったわ。ふふふ、初めて会ったとき、私のことを隊員の子供だと勘違いして、アイスクリームをくれたのよ」


 口元を隠して笑うフィオラに二人は言葉を失う。


 そして、ゆっくりと口を開いたのはブレッグだ。 


「フィオラは今でも若いだろ。昔って何歳のときなんだ?」


「確か……十歳の頃だったかしら」


 ガシャンという複数の金属が地面に落ちたときの音が聞こえてくる。


 それは膝を地面に落とし、放心状態のダールが着込んでいた鎧の音だった。


「十歳で……元帥……」


 上には上がいるという現実を思い知らされたのだろうか。


 何度も挫折を味わったことのあるブレッグはそんなことを知っているが、才能溢れるダールは違ったのだ。


「あー、でも、私の場合はちょっと特殊な状況だったから。名ばかりの元帥よ」


「だとしても……そんな若さでなれるものではありませんから」


 ダールの言う通りだとブレッグは共感する。


 軍隊の構造について何も知らないが、上層部に十歳の子供がいることなんて異例中の異例であることはわかる。


「ダールさんは隊長でしたよね。ということは、元帥を目指して頑張ってるんですよね?」


「……はい。その通りです」


「大丈夫、きっとすぐに元帥になれますよ」


 微笑みかけるフィオラに、やや暗い瞳のダールは疑問をぶつける。


「なぜ、そう思うんですか?」


「私とかデルセクタさんが一番苦労してるのは、後任を見つけることなんです。そして、たぶんだけど、デルセクタさんはあなたを後任にしようとしてます。だから、努力を続けていれば、きっと総帥にだってなれますよ」


「そうでしょうか」


「はい。元帥だった私が保証します」


 フィオラの言葉を受け取ったダールは立ち上がった。


「わかりました。努力します。誰にも負けないくらい」


「応援してますよ」


 フィオラの笑顔が他人に力を与えることをブレッグは知っている。




 **********************************




 四人は朝来た道を戻っている。


「まさか、半日もかからずに終わるとは思っていもいませんでした」


 ダールの称賛に、フィオラは恥ずかしそうに俯く。


「役に立ててよかったです」


「騎士を代表して感謝いたします」


「あはは……」


 レームは困り顔のフィオラに気が付き、ダールへ指摘する。


「もっと普通に言えば? ありがとうって」


「それは失礼だろう」


「どこが? 形式ばった感謝よりは全然いいと思うけど」


「……一理ある……かもしれん」


 意見を求めるように視線を向けられたブレッグは頷く。


「フィオライン様。ありがとうございました」


「いいんですよ。こちらこそ、気を失っていたところを診てもらっていたので」


 ――寝ていただけだと言ってたが、やっぱり気絶していたのか。


 白状したフィオラにブレッグは内心でつっこみを入れる。


 和やかな雰囲気の中歩いていると、前方で村人の集団が待ち構えていることに気付く。


 おおよそ三十名弱。生き残った村人の人数と一致するだろう。


 一瞬驚き身構えるブレッグだったが、村人たちの表情にその必要はないことを悟る。


「あの……」


 村人を代表してか、一人の中年の女性が四人に声をかける。


 多くの同胞を失った悲しみと、生き残ることが出来た幸せが、彼女の表情に入り混じっていた。


 先頭を歩いていたダールが対応する。


「どうしましたか?」


「私たち、お礼を言うために来ました」


 村人たちの視線がフィオラに集まる。


「騎士の方たちから聞きました。フィオライン様が私たちを守ってくださったと。それから、埋葬を手伝っていただいたことも」


「私は自分の使命に従って行動していただけですから、気にしないでください」


「だとしても……本当にありがとうございました」


 女性の言葉に合わせて村人たちは頭を下げる。


「あまり長時間引き留めてたいけないので、これで失礼します」


 そう言うと、村人たちは各自の民家へと戻っていった。


 そんな中、黒髪の若い女性がブレッグの目に留まる。


 ――あの人は、確か。


 ブレッグの脳内で点と点が線で結ばれる。


「……わかった」


「ん? 何が?」


 独り言を呟いたブレッグを不思議そうに見つめるフィオラ。


「俺が異界の魔法使いだったんだ」


「……え?」




 **********************************




 足早に小屋へと戻ってきたブレッグは一つの写真立てを手に取り凝視する。


 ここはフィオラを看病するために使っていた小屋だ。


「突然どうしたの?」


 後ろをついてきていたフィオラがブレッグの背中に声をかける。


「これ」


 そう言ってフィオラに見せた写真に写っていたのは、若い男女の姿。


 肩を寄せ合い、幸せそうに笑っている。


「いい写真ね。でも、これが何なの?」


「さっき、この写真に写っている女性を見つけて思い出したんだ」


 フィオラは目を丸くしてブレッグの話を聞き入る。


「一か月くらい前、村長が俺を訪ねてきたことがあってね。話を聞くと、ある人の心を救って欲しいって依頼だった。若くして夫に先立たれたんだ」


「その人って……」


 フィオラの問いかけにブレッグは頷き、写真を見つめる。


「ひどくやつれてしまっていて、今にも後を追うんじゃないかってくらいだったよ」


「可哀想ね」


「力になりたいとは思っても、生き返らせることなんて出来やしないし、心を癒す魔法なんて存在するかどうかも知らない。だから――」


 ブレッグは目を閉じ、当時を思い出す。


「死んでしまった夫の幻影を作って彼女を騙したんだ」


「上手くいったの?」


「奇跡的にね。疲れ切っていた状態だったから、夢とかと勘違いしたんじゃないかな。なんにせよ、それからは少しずつ元気を取り戻していったよ」


「よかった……」


 フィオラはほっと溜息をつく。


 しかし、話はこれで終わりではなかった。


「この出来事は俺と村長だけの秘密にしたんだ。騙されたことに彼女が気付いたら、心を傷付けることになるかもしれないし」


「あ、話が見えてきたかも。村人の中に、その幻影を見た人がいたんでしょ」


「うん。そして、死者を生き返らせる魔法使いがいるという噂が流れたんじゃないか」


「つまり、異界と交信できる魔法使いなんて存在しないのね」


「そうだよ。当然、俺はそんなことできない」


 フィオラは悲しんでいるのか、それとも怒っているのか。


 ブレッグが顔色を窺うと、彼女はいつもと変わっていなかった。


「がっかりしてないのか?」


「しないわ。初めから望みは薄いと思っていたから。でも、ちょっとすっきりしたかも」


「なんで?」


「駄目なら駄目ってはっきり言われた方が、次に進むことが出来るでしょ」


「前向きなんだな」


「そんなことないわ。慣れてるだけ。今まで何回も手掛かりを見つけたけど、全て駄目だったから」


「……なるほど」


 明るいフィオラとは対照的に、ブレッグの心は沈んでいた。


「シオンをこの村に呼び寄せたのは自分だと思ってるのね」


「あぁ」


 自分に全ての責任があるとは言わない。


 しかし、無関係だとも言えなかった。


 フィオラはブレッグの方にそっと触れる。


「これは私たちの罪よ。無自覚な行動が招いてしまった結果」


 言い返せないし、言い返す気もない。


「だから、より多くの人を救って贖うしかないと私は思う」


「……俺もそう思うことにするよ。大したことは出来ないけど、少しでもいいから誰かの力になる」


「一緒に頑張りましょう」


 人は支え合って生きているのだと、ブレッグは初めて実感した。




 **********************************




 日が沈み始めた頃、デルセクタの報告を聞くために一同は小屋に集まっていた。


 フィオラはベッドに、ブレッグは椅子に座っており、残りの三人は対面するように立っている。


 フィオラたちは自分たちだけ座ることを拒否していたが、デルセクタから強く勧められ、押し切られて今に至る。


「申し訳ありません。シオンの死体も、継ぎ接ぎ男も見つけることが出来ませんでした」


 頭を下げて謝罪するデルセクタに、その場にいた全員が慌てる。レームを除いて。


「大丈夫ですよ。その男も、騎士隊を見て逃げたのでは?」


「ですが、シオンの死体どころか、衣服も見つかりませんでした」


「それは……少し気になりますね。山風に攫われた可能性もありますが」


「明日も探してまいりますか?」


「いえ、大丈夫です。探したが見つからなかったと報告すれば良いだけですから」


「でしたら、私共は明日の朝にでも撤収してよろしいですか」


「はい。そうしてください」


 デルセクタとフィオラの会話に、ブレッグは待ったをかける。


「まだ魔力が回復しきってないんだろ? もう少しこの村にいてもらった方が良くないか?」


「普段の三割程度だけど、もう十分よ。それに、デルセクタさんたちも忙しいし」


「そうは言っても……」


 危機感を覚えているブレッグの肩を、昨日と同じようにデルセクタは触れる。


 不思議と、彼の暖かい手の平は人を安心させる力があった。


「今のフィオライン様ですら、我々騎士隊の総力を優に超えておる。自身より弱い者たちから守られる必要はないだろう」


 デルセクタは客観的に物事を判断できる人物であるためか、騎士隊を『弱い』と言い切った。


 プライドを欠片も感じさせない発言にブレッグは驚くが、それも説得力を持たせるための発言であると納得する。


 話は続く。


「姿を晦ました継ぎ接ぎ男は気になるが、騎士隊を見て逃げたと推測するなら問題はないはずだ。仮に奴がフィオライン様を襲ったとしても、軽く返り討ちに出来る」


「……わかりました」


「では、出立は明朝としよう。ダール、皆に伝えておいてくれ」


「承知しました!」


 ダールの元気のよい返事が部屋に響く。


 張り切りすぎかもしれないが、彼の大きな声に嫌な気持ちを抱くものなどいない。


「あ、そうだ。明日は私も近くの街に行ってくるから」


 フィオラはにっこりと微笑む。


「何か用事か?」


「ほら、機関に色々と報告することがあるから。夕方までには帰ってくるわよ」


「了解。じゃあ、俺はゆっくり寝ていることにするよ」


 行ったきり戻ってこないのではと思ってしまったブレッグは安堵する。


「ついでに何か買ってこようか」


「俺は特にいらないかな」


「うん、わかった」


 フィオラが頷いたとき、レームが一歩前へと歩み寄る。


「フィオライン様、包帯を買ってきてもらえますか。この村にあった分はほとんど使い切ってしまったので」


「おい、レーム」


 目上の人に買い出しを頼むなど言語道断とでも言いたげにダールは詰め寄る。


「なに? 足りなくなっているのは事実よ」


「それなら、俺たちが買いに行けばよいだろう」


「じゃあ、明日はあなただけこの村に残っていなさい」


 ヒートアップする二人をフィオラは制止する。


「平気ですよ。気分転換も兼ね備えて買い物をしたかった気分なので」


 ダールを一瞥したレームは、無言で『ほら見なさい』と言い返す。


「……失礼しました」


「気にしないでください」


 微笑むフィオラに、今度はデルセクタが話しかける。


「フィオライン様。街まで行くのなら一緒に飛竜に乗って行きますか?」


「ありがとうございます。でも、それも必要ありません。寄り道しなければいけない場所があるので」


 ブレッグは寄り道という言葉が気になるが、今聞かなくてもよいことだと判断した。


「では、本日はこのあたりで解散としましょう」


 デルセクタの発言をその場にいた全員が承諾する。




 **********************************




 ブレッグは目を覚ます。昨日と同じベッドで。


 硬くて肌触りの悪い寝床だが、二日も使えば居心地の良いものに感じられた。


 起き上がって最初に思ったこと、それはダールへの挨拶。


 今回の一件で、フィオラと同じくらい親しくなった人物だ。


「もう帰ったかな」


 陽は既に上っており、明朝という時間帯は過ぎているように思える。


 激痛の走る身体で立ち上がった時、小屋の扉が勝手に開いた。


「おはよう。やっと起きたわね」


 小屋に入ってきたのはフィオラだった。


 そして、彼女の言葉の意味は――


「あー、もう騎士の人たちは撤収した?」


「えぇ。とっくに」


「そっか」


 窓の外へ視線を送ると、太陽の位置は朝というより正午の方が近いくらいだった。


 若干落ち込みながらも、気を取り直す。


 ――また、どこかで会えることを期待しよう。


 視線を戻したブレッグは、フィオラが小さなバッグを背負っていることに気付く。


「フィオラも出かけるのか?」


「うん。村の人たちに必要な物がないか声をかけてたら、出発が遅くなっちゃった」


 きっと、村人の中で世話焼きな人物が、フィオラにバッグを背負わせたのだろう。


 村人と会話をしているうちに、お土産として野菜を持たされたという経験がブレッグにもあった。


「ブレッグはどうする?」


「俺は……もう少し寝てようかな。なんか、凄く眠くて」


「その方がいいわ。怪我人なんだから、ゆっくり休んで」


「そうする」


 大きな欠伸を一つ。


 怪我を治そうとする身体の作用か、患部に塗っている薬の作用かわからないが、身体は怠くて眠かった。


「じゃあ、行ってきます」


「気を付けて」


 フィオラが小屋を出て行ったあと、ブレッグはベッドに横になる。


 目を閉じると、すぐに寝息を立て始めた。

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