第23話 釣り餌

 夏は水場に注意ということはよく聞くが、そもそも水場という物自体、下手に近づくのは避けるべきだろう。人が泳ぐことを前提として整備している場所であったり、こちらが十分に準備をしている状況で合ったりするのでなければ、池や川、海にうかつに近づくのは良くない。どれほど泳ぎが達者な人間でも、状況が少し悪ければ簡単に溺死してしまう。

 水の中はよく見えないし、屈折で人間の目を欺く。いきなり深くなっていたり、足を取るような障害物が沈んでいたり、見た目以上に流れが速かったりすることも多いのだ。自然は人間を歓迎する気は全くない。歓迎するとすれば餌にする場合だけだ。そのために、水の中から招いてくる奴がいることもある。

 私は水の中から招かれる体験を何度かしている。いずれも未遂に終わっているのが幸いだが。


 最初は小学校低学年のころだ。遠足でちょっと離れたところにある自然公園に行ったときに体験した。公園には深い自然の池があった。池は整備されていないので、泳ぐことはできなかった。それでも大きい池というのはそれだけで遊びがいがあるもので、私を含めた子供たちは適当に石やら枝を放り込んだり、魚を探して周囲を歩いたりした。

 そうやっていろいろとやっている途中で、私は池の近くに何か光るものを見つけた。子供というのはカラスと同じように、光物には引き付けられる。その時の私も例にもれず、池の傍に落ちている物の方に引き寄せられていった。

 落ちていたのはコインだった。500円玉ぐらいの大きさで、表面には人の横顔が掘られており、それまで私が見てきたどんな硬貨よりもきれいだった。当然のように私はそれを手に取ろうとしたが、指に触れる直前に先に行っていた友達から呼びかけられた。手を止めてそちらを向いた直後、コインがあった場所から鞭を振るうような音が聞こえた。驚いたそちらを見た時、私が手を伸ばそうとしていた場所からはコインは消え失せ、地面に葉池まで一直線に何か細い物を勢いよく引きずった跡が残っていた。引きずった跡の先で、池に何かが勢いよく入ったことを示す波紋が立っていた。

 その後にどうしたのか、友達や先生に話したのかどうかも憶えていない。


 2回目は中学校の頃で、部活の準備運動でランニングをしていた時だった。いつものコースで川の近くを走っていた時、河川敷に光るものがあるのが目に留まった。すぐに、かつて池の傍で見たあのコインのことを思い出した。それなりに遠かったので良くは見えなかったが、光り方がそっくりだった。

 その日は前日に雨が降ったので川が増水しており、コインはいつもより広くなった川の水のすぐ横に落ちていた。走っている最中だったうえに嫌な予感がしたので、皆に遅れないように、それでいて視界の端に収めたまま通り過ぎようとした。ちょうどその時、小学校の頃の私のように光り物に惹かれたらしいカラスが、コインの近くに降りたのが見えた。

 次の瞬間、何かに引っ張られたように、ギャッという声を残してカラスの姿が川の中に消えた。先ほどまでカラスがそこにいた痕跡は何もなくなってしまった。


 次は大学生の時に遭遇した。大学は海に近いところにあったので、私は時折、趣味にしていた写真を撮るために海に出かけることがあった。その時は夏だったので、砂浜には私と同じ大学の生徒が来ていた。いわゆる、ちょっとばかりパリピなグループが、集まって騒がしくしている。帰り道に彼らがいるところの近くを自転車で通り過ぎる時、大きな声でコインを見つけたという声を聞いた。

 後日、大学で、海で1人が行方不明になったという掲示があった。


 そして先日、今度は部屋の風呂場の縁にコインが置かれていた。風呂を入れて入ろうとしたときだった。カミソリをぶつけてやると、ひものような物が素早くしなってカミソリを巻き取り、コインと共に水中に消えた。遂に自然の水場では満足できなくなったらしい。

 自然の水場だけでなく、自宅のふろでも気を付けなくてはいけない。水というのは本質的に恐ろしい物である。

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