第13話 首の骨

 高校生のころ、部活は柔道部に入っていた。外の道場から先生がボランティアで教えに来てくれる本格的な部活だったが、全国大会だなんだのをめざすというのではなく、基本をしっかりして柔道を学ぶことを大切にしましょうというスタンスをとっていた。成果ではなく、上達していく過程の方が大事にされていたので、スパルタ式だったり根性論だったりすることもなく、「教える」「学ぶ」ことが主体だった。そのためか、緩い雰囲気ではあったが皆が自然と熱心になり、かなり楽しい部活だった。今でもいい思い出になっている。

 その中でも、格別に才能があった部員が一人いた。彼のことはA君として置く。私と同じようにA君も初心者だったのだが、瞬く間に強くなっていった。1年もたてば3年生と同レベルに渡り合えるようになり、2年の夏休み前後には部の中で勝てる者が誰もいなくなった。3年生になるころには、先生でさえ本気を出さないと投げられかねないほどになっていた。


 これほど強いのだが、A君の体格はいたって普通で、レスラーのようなマッチョでも、相撲取りのような巨漢でもなかった。サッカーやら陸上競技やらでもスーパープレイを見せるようなこともなく、ごくごく平均的で可もなく不可もなくといったところだった。

 だが、柔道になると話は別で、とにかく強い。技に入られるとこちらが対処する隙も与えず畳にたたきつけられ、技をかけようとすると、すかされてカウンターを食らってこっちがひっくり返る。寝技に持ち込もうとしても倒れないし、寝技だけの練習をしているときでも、掛けようとしても抜け出され、襟や袖を取って刃物で切り付けるような締め技や極め技が入ってくる。これはもうセンスがずば抜けているとしか言いようがない。

 そんな状態であったが、誰かがA君に嫌がらせをしたり無視したりすることもなかった。部の雰囲気がのんびりしていたことと、A君が強くても天狗になることなく、あくまで謙虚で親切ないい奴だったことが理由だろう。


 それでも対戦形式のスポーツをする高校生ということで、自然と対抗意識が生まれてくる。誰もA君に勝てないまま3年の夏休みが近づくと、男子の中には何とか1回ぐらい勝ってみたいという思いが強まるようになった。

 とはいっても、普通にやったところで勝てるわけもない。いろいろと考えた末、私は少し奇策をとることにした。

 実力に差があるとはいえ、私とA君では教えられている柔道の技は同じだ。ということは、ほとんど教えてもらっておらず、部で使っている人が誰もいないような技を使えば、いくらA君でも対応しにくいはずだ。いろいろ考えた末、倒れこみながら相手を投げる、いわゆる捨て身技はあまり使われていないという結論に至った。

 A君の得意技は背負い投げだ。そこで、投げるために後ろを向こうとしたとき、逆に胴と袖を掴んで後ろに放り投げ‶裏投げ″をするという、一か八かのやり方で行くことに決めた。


 目論見がばれると意味がないのでこっそりと練習を続け、夏休み前で最後の練習の日、私はついにその技を試すことにした。皆も同じように打倒A君を目指していたようで、まるでサイン会のように次々と挑戦者が出るが、大体30秒と持たずに放り投げられていった。最後の挑戦者が私となり、これが最後の勝負と組み合った。単純な膂力では負けていないはずだが、A君の動きのキレというか、どう表現すればわからないがそうしたものが圧倒的に違う。狂暴な台風を相手にしているかのような具合で、防ぐので精一杯だ。

 だが、すぐに待っていたタイミングが訪れた。私の袖と襟を取ってA君が背負い投げに入るべく背中を向けようとしたとき、私は彼の体を抱きかかえて、反り返りながら後ろへ倒れこんだ。ただ、A君が技に8割方入っていたためか、こちらのかけ方が無理やりだったせいか、真後ろではなくA君を抱えたまま一緒に倒れこむような形にしかならなかった。なお悪いことに、A君の側頭部が畳にぶつかってしまった。

 畳に倒れた瞬間、私は何か良くないことが起こったことを理解し、A君の首がおかしな方向に曲がっているのを見て血の気が引いた。彼の首は半分捻れたようになって、こちらに後頭部を向けていた。私は自分がやらかしてしまったことの重大さに気づいて飛びのき、助けを求めるべく後ろにいる先生の方を向いた。先生からは、私の体が邪魔になってA君の今の状態が見えていない。

 口を開きかけたとき、A君がのっそりと起き上がる気配がした。驚いてそちらを見ると、A君はなんでもないようにして立ち上がり、腰を抜かしかけていた私に手を差し出した。慌てて大丈夫かと尋ねたが、彼はけろりとして、私の策に驚いたと笑っていた。あの首の捻れ方はどう考えても無事では済まないように見えたので、部活が終わって受験勉強に集中する間も彼の体調に注意していたのだが、特に何か問題が出る様子もなく、私の高校生活は終わりを迎えた。


 卒業式の日に、分かれる前に柔道部のみんなでどこかに遊びに行こうという話が持ち上がり、当然A君も誘うことになった。A君は家が遠く、駅とも反対方向にあるということで、学校帰りに皆と一緒にどこかに行くことは一度もなかった。ただ、卒業式の後ぐらい一緒に遊ぼうということで、私がA君を探して呼んでくることにした。

 探していると、一人で玄関から出ていこうとするA君の姿を見つけた。声をかけようとしたが、A君が段差を降りたとき、彼の頭がガクンと〝落ちた″のを見て、私は硬直した。首を曲げたり頭を傾けたりしたのではなく、彼の首の中で骨の連結が外れたとでもいうように、だらりとぶら下がったのだ。長いふくろに入っている細長いスナック菓子が、袋の中で折れたときのような動きが、人間の首で起こっている。

 私が完全に硬直していると、A君はシャワーのヘッドのようにぶら下がる頭に手を添えてひょいと元の位置へと戻し、何事もなかったかのようにそのまま立ち去った。

 皆のもとに戻った私は、A君は既に帰っていたと告げ、そのまま遊びに出かけた。

 それから何年もたったが、A君とは会うことはなく、同窓会にも姿を見せなかった。引っ越していったらしく、住所もわからないという。彼が〝何物″であったのかは、多分ずっとわからないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る