第3話 濁流
台風などで大雨が降った時、近所の川は濁流になる。子供のころはそれが怖かった。川幅は50m以上あるが、普段の深さはそれほどでもない。かかっている橋の上から見ると、おおよその場所は川底が見える程度の深さしかなかった。
それが、大雨が降ると一変する。水は茶色く濁り、大幅に増えた水がのたくり、うねり、暴れる。
普段見知っているはずの川の様子が変化してしまうことも怖かったが、私にとっては川の中が見えなくなってしまうことのほうに恐怖を感じた。あの中はどうなっているのだろう? 普段は鯉や亀がうろついているのが見えるが、大雨で濁って激しく流れるようになった水の中で、彼らが普段通り生きていられるのだろうか?
子供のころの私は、濁って暴れ狂う水の中は、普段目にする川の中とは違うものになっているのではないかと考えた。祖父の書斎にあった生物図鑑で目にした、人の目の届かない深海にすむ奇妙な魚たち。彼らは光の届かない深い海に住んでいる。それなら、川が濁って光が届かなくなったとき、彼らは私の知る川の中へとやってきて、そこを泳いでいるのではないだろうか?
やたらと体が長かったり、長く鋭い牙が並んだ口を持っていたりする、異様な魚たち。そんな奴らがうろついている水の中に、もし落ちてしまったら……。溺れてしまうとか流されてしまうとかいうことよりも、そんな空想のほうが私にとって恐ろしかった。雨の日に橋の上を渡るとき、母の運転する車に乗っていても、濁流に目をやってしまうと、そんなことばかり考えてしまった。
もう少し大きくなると、濁流の中に訳の分からない生き物がいるなどとは考えなくなってくる。激しい水の流れで怖いのは、流されて溺れることだと理解するようになった。
高校生のころ。夏休みの夏季補習の帰り、午前中に大雨が降ったせいで川は増水していた。傘をさして橋を渡っているときにふと川面を見ると、濁って激しく動く水面に、黄色いものが見えた。
子供用の雨傘か、それともレインコートか。もしも人が流されていたら大変だと思ってそちらを注視しようとしたとき、黄色い物の近くで水がぐっと盛り上がった。黄色い物は、それに引き込まれるように水面下に消えて見えなくなった。しばらくあたりを見ていたが、黄色い物はもう浮かんでこなかった。
家に帰ると、上流の地区で子供が流されたというニュースが出ていた。自分が見たのは流された子供ではないかと思って怖くなったが、すでにどうしようもなかった。
それから一月ほど後に、河口で子供の遺体の一部が見つかった。残りの部分はまだ見つかっていない。夏場に水に流された遺体は、見つかるのが遅くなると損傷が激しくなるものだ。そうだと思う。
雨が降った時には、川に近づいてはいけない。
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