宿敵

 救いのない結末を予期して、私は思わず目をつぶり顔をそむける。

 だが、待てど暮らせど何も聞こえない。シャンパンボトルの栓を抜くような銃声も、言葉にならない断末魔もだ。


『あ、れ……?』


 おかしい。一体何が起きた? 再び顔を廊下に向け薄目を開けると、今まさに捕食される寸前の男子生徒は、床に座り込んだ状態のまま動かなくなっていた。

 正確には化け物も微動だにしていないから、時が止まったという表現のほうがより適切であろうか。


「リンちゃん! 大丈夫?」

「工藤!」

「頭は働くけど、身体が動かない……〈Psychicサイキック〉のセーフモードっぽいね、これ。しーちゃむは?」

「右に同じです」


 本来、セーフモードは〈Psychic〉のユーザー自身が直接的な生命の危機にさらされた場合にのみ発動するものだ。目の前で誰かが死にそうな目に遭わされた、というだけでこうはならない。

 しかも、個人にのみ開かれるはずの空間が他者と連動しつながっている。効果時間中は身体の自由を奪われないはずなのに、ここにいる全員が金縛りに遭っている。

 なぜだ? どうしてこうなった? 不可解な現象に首をかしげていると、廊下の隅にぼんやりとした白い光が現れた。


『ひいっ! こ、今度は何だ!?』

「あれって幽霊? 火の玉? ウチ、霊感ないけど初めて見た」

「そんなわけないでしょう。ただの幻です」


 銃を構えたまま、高野さんがため息をつく。その輝きは宙に浮かんだまま、ゆっくりとした動きで移動を始めた。


『あああ謝る、謝るから殺さないで! アレが原因なんだろ? 今朝のアレ。りょーちんの幼なじみディスったやつ。助けてくれるなら全裸で土下座でも何でもする!』


 答えはない。光は鈍く明滅しながら、男子生徒との距離を詰めていく。それが逆に恐怖をあおり、呼びかける声はどんどん切羽詰まっていった。


『俺、うらやましかったんだ。天才が身近にいても、選手生命を断たれても、腐らずにずっと前を向いて生きてるハネショーが』

『……』

『羨ましかった。すごいと思った。あの人も凡人なんかじゃない。才能と技術で勝てないなら鋼のメンタルで補え、なんて考えになるか普通?』

『……』

『なあ、ホントもうマジ無理なんだって! 黙ってないで何とか言えよ!』


 まくし立てる彼の目から、一筋の涙がこぼれた。ガラス窓から差し込む夕日を浴びて、ダイヤモンドのような輝きを放つ。その様子に私は、


(――綺麗だ)


 この世のものとは思えない美しさ、絶望から生まれた生命いのちのきらめき。白光に目と心を奪われた次の瞬間、さらにあり得ない事態が私たちを襲った。


『本当に、何でもなさるの?』


 発光体がしゃべった。黄金比の合成音声という点は同じでも、ヒューマノイド副会長とは質が違う。聞けば心をかき乱し、不安を引き寄せる不協和音だ。


「まさか、そんな――」


 高野さんの黒い瞳が驚きに見開かれる。ギャルはまだ声の正体に結びついていないようだが、ただならぬ状況だとは悟ったらしく笑みが消えた。

 半年前に目覚めてから、私はずっとお前を捜していた。澪を利用して三月二十七日を悪夢に変え、逢桜町の町民に暗い影と深い遺恨いこんを残したお前のことを。


 誰も多くを語らない。ただ、やるせない想いだけが日々積み重なっていた。

 ああ、でも、これでやっと――


「生きていたのですか、〈エンプレス〉!」


 やっと、この気持ちをぶつけられる。人類史上ほかに類を見ない、万国共通にして不倶ふぐ戴天たいてんの宿敵。最大級の非難と戦力をもって切除すべき、サイバー空間の悪性腫瘍しゅように。

 知っているか? 人間は、お前の登場をきっかけに争うことをやめたんだ。選挙や国会での議論しかり、関係が冷え込んだ国との外交然り。そこには必ず、お前がいる。

 三々五々、バラバラであったものを共通の目的で一つにまとめる。それはつまり、世界を団結させるほどの圧倒的な求心力、カリスマ性というものを、この小さな光が備えているということの証明に他ならない。皮肉なことにな。


『でも、ごめんなさい。わたし、あなたの裸に興味はないの』

「は……興味あったら普通にヤバいっしょ」


 こちらの存在に気づいていないか、あえて無視しているのかは断定できないが、〈エンプレス〉は平静を装っているのが丸わかりな工藤のツッコミを意に介さず言葉を続けた。


『時計をご覧なさいな。今日の日没は午後何時?』

『午後……五時、三分です』

『そう。そうよ。五時三分、時間厳守でなくてはいけないわ。それなのにあなたのお友達ときたら、もう! せっかちさん!』


 あどけない女帝の声を届ける光の球は、興奮を示すように激しく発光した。アレの指示に従うのは気に食わないが、自信ありげに言うからには何か理由があるのだろう。

 高野さんとアイコンタクトを交わし、私は時計を確認するため〈Psychic〉の思念操作を試みた。黒みを帯びた半透明の仮想スクリーンが立ち上がり、数字を映し出す。


 ぴろん、ぴろん。

 ぴろん、ぴろん。


『おわかりいただけたかしら? 日が落ちたのはたった今。空に太陽があるうちは、その醜い姿をさらしてはいけないの』

『あ、ェ……?』


 この女帝にとって、時間を守ることは譲れない秩序のひとつであるらしい。攻めるも守るも磁気嵐警報の発令後に行わなければ、機嫌を損ねてしまうようだ。

 聞けば、彼が人面ムカデになって友人を襲ったのは十三秒前らしい。個人的にはその程度おまけしてやれと思うが、そこは独裁者。間違いは許されない。絶対に。


『フライングをした人には、ペナルティを課さないといけないわ。こんなことをするのは忍びないけれど、規則は規則。次はうまくおやりなさいな』

『おい、待てよ。何する気だ? やめろ!』


 男子生徒の懇願を無視して、〈エンプレス〉はチカチカ点滅し始めた。顔一面に耳を生やし、彼に向けて振りかぶられた怪物の頭部が不気味な音を立ててあわ立つ。


「やだやだやだ、キモいキモいキモい!」

「いいですか? 太陽が沈めばここは戦場。このに及んでお友達ごっこに興じるようなら、もれなく全員地獄行きです」


 ぴしり、と視界にヒビが入る。セーフモードの限界が近い。赤黒い時限爆弾と化した巨大な頭を見据えながら、高野さんが言った。


「助かりたいなら仲間を見捨てろ、できないならもろとも死ね。厳しいことを言うようですが、貴女あなたたちもそのぐらいの覚悟を持ってください」

『あぁあああああ――!』


 長い廊下に絶叫が響く。金髪ギャルの震える両腕が私を抱きすくめたその時――大気を震わせる轟音ごうおんを伴い、〈モートレス〉の頭部が爆散した。

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