因果応報

「あと三分か。急ぐぞ、工藤!」

「かしこまり!」


 避難経路は一部がガラス張りになっていて、外の様子をうかがい知ることができた。ふたつの校舎に挟まれ、大きなケヤキの木がそびえ立つ中庭。その一角は、先ほどまでいた保健室に面している。

 現在地はB棟一階の廊下。目的地は直線距離にして八十メートル弱、その終端が大講堂になっているから道に迷う心配はない。


(入学早々、体力テストをさせられるとは予想外だったが……大丈夫、まだ走れる。私はまだ本気を出していないだけだ……!)


 息を切らしながら、左手に二つ並んだ美術室の前を全速力で通過する。右手の窓の外、保健室の向かいにあたる白い建物がキャンパスの中心――教員室と図書室が入る管理棟だ。

 なるほど、ここから管理棟へ行くには手前のドアから中庭に面した通路へ出ればいいのか。二階にある教員室直通の階段は向かいのA棟側だから、図書室の裏に回り込む必要があるな。急ぎの時は各校舎の二階からアクセスした方が早そうだ。

 走りながら〈Psychicサイキック〉の校舎案内図とにらめっこしていると、その通路につながるドアが突然開き、伸びてきた腕に工藤が力づくで引きずり込まれた。何が起きたかき返す間もなく、私も彼女に手を引かれてなだれ込むように扉をくぐる。


「ひゃああっ!」

「工藤! どうし――」

「静かに。近くで磁気の乱れを感知しました。こちらの存在を知らせかねない行動は慎んでください」


 落ち着き払った声の主に手で口をふさがれ、私は視線をその先に向けた。

 猛禽もうきん類のような鋭い目、ウルフカットの黒髪、飾り気のない黒一色のパンツスーツ。防衛省所属の自衛官と名乗り、共闘を誓ったあの女性が、一年前と変わらぬ姿で現れた。


「しーちゃむ! びっくりさせんなし!」

四弦しづるです。高野たかの四弦。目上に対する口の利き方がなっていませんね」


 私と一緒に目を丸くしていたギャルが、その手を引っぺがし小声で抗議した。お前のおかげで一年越しに恩人の名を知ることができた点はめてつかわそう。


「あの時以来ですね。ご無沙汰しておりました」

「は、はあ……」

「お堅いな~。『うぇ~い、元気してた~?』 でいいじゃん」

貴女あなたは日本語も満足に話せないのですか? 育ちの悪さが露呈しますよ」

「? ギャルって元からこういうキャラよ?」

「こちらまで知能が退化しそうなのでもういいです」


 高野さんは額に手を当て、首を横に振った。閉じた扉の向こう、さっきまで私たちがいた廊下に足音がこだまする。

 黒い鉄の扉には四角い窓がついており、そこから廊下の様子が見えた。はす向かいにある階段を慌てて駆け下りる人影が見え、周囲に緊張が走る。


「来ました。彼です」

「あれは……」


 現れたのは、朝に大家の悪口を言っていた三人組のひとりだった。おびえたようなその顔からは、心なしか血の気が失せて見える。

 よほど焦っているのだろう、男子生徒は足を滑らせ中段から階下に転げ落ちた。身体が叩きつけられる音と悲鳴が響く。音を聞く限り、骨折は免れたようだ。


『あっ!? うわああああああ!』

「う~わ、あれめっちゃ痛そ~」

「まあまあの高さから落下しています。軽傷で済んだとしても、すぐには立ち上がれないでしょう」


 彼は床の上で痛みにのたうち回りながら、しきりに上階を気にしている。何だ? 上に何がある? お前はそこから――何から逃げようとしているんだ?


『来るなっ……来るなぁぁぁぁ!』

『なンでニげルんだよ。オれたち、トモだチだロ?』

『聞いてない、こんなの聞いてない! 学校は安全地帯じゃなかったのか!?』


 一段、また一段と別の誰かが階段を下りてくる。暗がりにはばまれ、そのかおをはっきり拝むことはできない。


「貴女の報告によれば、彼は他人の悪口を言っていたそうですね」

「イエス! ハネショーのことめっちゃバカにしてて、マジムカついた!」

「では、あの姿はさしずめ因果応報ということでしょうか」

「んえ?」


 高野さんが両手を広げて一言、「〈開花宣言ブルーム・アクト〉」と言った。手の甲に赤く光る桜、手首に三つの正方形が現れ、そこから生じた光が彼女の得物を形づくる。

 スコープと消音器サイレンサーのついたスナイパーライフルを手に、自衛官は扉へにじり寄った。その間も男子生徒は逃げ惑い、廊下との合流点まで追い詰められる。

 やがて、窓から差し込む西日を受け、追いすがる敵の姿が明らかになった。


「あれは……!」

「あーやだやだ、やめてやめて! マジキモすぎて無理なんだけど!」

「七海。うるさいです」


 その姿は――耳。辛うじてヒト型をとどめてはいるが、全身くまなく無数の耳が生えている。木の幹に白いキクラゲが密生しているかのようだ。

 耳だらけの頭のてっぺんには、赤い物体が見える。妙な肉感のあるモヒカン状の物体は、鶏……シャモ類のトサカに似ていると私は思った。


「お二人とも姿勢を低くし、自分から離れてください」

「言われなくてもそうしますよーだ! 行こう、リンちゃん!」

「あ、ああ」

「あらかじめ断っておきますが、〈特定災害〉はヒトにあらず。災害とは鎮圧するものです。間違ってもなどという気は起こさないように」


 ガシャン、とボルトアクションの銃が機械的な音を立てる。狙撃手の指と同じくらいの長さはある大口径弾を送り込まれた筒先が、怪物に狙いを定めた。


『いやだ、まだ死にたくない! 俺は死にたくないんだ!』

『ビびルなよ。イタいノはいッしゅンだかラ』

『やめろっ、来るな――!』


 化け物の頭部が裂ける。いや、トサカに見えた口を開けたのか。それに合わせて胴体が肥大し、首がなくなり、太く長く伸びていく。

 何をしているんだ。このままではあの男子生徒が喰われてしまうぞ! ハラハラしながら身を寄せ合う私と工藤をよそに、スナイパーはまだ静観している。

 二人の友情を押し流すかのように、大量のよだれが降り注ぐ。まだ人間をやめていない少年は、恐怖と絶望に支配された目で人面ムカデと化した友を見やる。


『――いただきまァす』


 私たちにもはっきり聞こえる声でそう言うと、化け物は俊敏な動きで襲いかかった。

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